3.悪魔は笑う
作戦指揮用の天幕の横に、陸砂両用車が横付けされている。
後方の扉が開けられおり、車内の人間とも声を少し張り上げれば意思疎通が図れる。
このようにするのは、陸砂両用車車内に各脳機の状態データが常時転送されるからである。
脳機は現在、天幕建設地点を出発し埴輪より半径二千メートルの円状に各機一定の距離を置き配置されていた。
日は沈み今や夜、脳機からは暗視スコープで埴輪が見えるといえ、天幕から埴輪はよく見えない。
直後にライト点灯予定もあるので東地ら作戦の指揮を担当する人間含めてにスコープは配られてはいなかった。
だがそれでも暗闇の中全員にこの緊張感というものはしっかりと伝わっていた。
「これより……作戦を開始する。脳機は二一〇〇、一斉に塔に向けドーラザムによる遠距離射撃を開始。脳機はライトを点灯」
東地が口を開いた。
その声は陸砂両用車にもしっかりと届き各脳機に伝達される。
時計に目を向ける。
二十一時二十八分。
脳機前方につけられたライトが点灯し、埴輪がおぼろげに照らされ花の園に影が落ちる。
緊張の二分間が始まった。
「内部で夢見るなら遠距離でやれば攻撃を受けないだろう……か。単純だがそううまくいくかねぇ」
天幕外、呪文を唱えて『影縫い』の準備を終え、いつでも影縫いを行えるような態勢のユダの横で、しゃがんで頬杖をつくウルフが呟いた。
額に汗を浮かべるユダは鼻で笑いながら
「割とうまくいくものなのだ。特殊作戦部隊は一個人の禁忌狩りでは到底出せないような火力を持っているが、作戦自体には慎重なのだ。だから単純ながらリスクの低い方法から順次に試していく。彼らもその道のプロだ」
「だがなぁ……実際にあの攻撃を受けた身としてはあれで大丈夫かねぇ……と」
「怖がるのも無理はない」
だが心配はするな。
無言がそう語っているように見えた。
ウルフはつい数分前に特殊作戦部隊からもらった水に口をつける。
乾いていた口内に水分が戻ると、心にも落ち着きが戻った気がした。
「なぁウルフ」
「ん、何だよユダ」
「……おまえダイエットとかしてたりするか」
「はぁ?」
意味の分からないユダの台詞に
二十一時三十分。
ドーラザムによる遠距離射撃が開始された。
一体のドーラザムが人間の男が泣き叫ぶような音を上げて砲撃を放った。
砲撃はまっすぐ埴輪に向かって飛び、ぶち当たる。
薄い砂埃を上げるのみで傷ついた様子は見えない。
東地の指示は他機体に移り、また別の脳機が砲撃を上げる。
また別の位置に砲撃が当たり
埴輪は依然、その黒くなにものもとらえていないような不気味な目は天幕を見つめていた。
「ユダ、影縫いの準備はできてるよな」
「あぁ。いつでもできる状態だ。それがどうかしたのか」
「いや……なんでもない。多分俺の気のせいだ」
ウルフはそうつぶやくとまた頬杖をついて砲撃を見つめていた。
脳機による砲撃は十機それぞれによる砲撃を終え、第二段階である十機一斉射撃に移るところであり、天幕からはあわただしい音が聞こえる。
東地の指示の声も響いている。
「気のせいでも構わないだろう。言ってみろ」
ドーラザムの遠距離射撃砲が一斉に埴輪を向く。
「ああ……」
瞳は地面に咲く花を見つめて。
「あの埴輪。全体的に少し縮んでないか……?」
砲撃の音が遠くからきこえた。
一斉に発射された砲撃が同時に埴輪に届く。
第一段階のそれぞれによる砲撃とは違い、埴輪の表面の塗装が破壊される。
砂埃を上げ破片が勢いよく周囲に飛んだ。
続けてもう一度一斉砲撃が埴輪に注ぐ。
再び砂埃が舞う中、ユダの視線は埴輪に釘付けであった。
冷汗が額を流れ落ちる。
「ウルフ、私は東地に話をつけてくる」
短くそう告げ、ユダが天幕に入ろうとする。
横に着けられた陸砂両用車の中からは
天幕内も同様の混乱に包まれていた。
東地が頭を掻きながらテーブル上の地図を苦虫を噛み潰したような顔で睨みつけている。
井畑補佐も混乱の中、陸砂両用車車内の通信機を通じて連絡を取っているようであった。
隊員も備品の確認、情報の整理等で行きかっている。
その中を突っ切りユダは、まっすぐに東地の元へ寄った。
「すぐに脳機全機に攻撃をやめるよう通達していただきたい。影縫いを行う」
その言葉に東地は地図を見つめたままに唇を噛んだ。
「その必要はない。すぐに影縫いをおこなえ」
「影縫いをすればその時に範囲内にある砲撃もその場に固定される。それでもかまわないのか」
「構わん! 状況の説明はあとだ、今は早く影縫いを!」
泣き叫ぶような声だった。
ユダはそれ以上何も言わず天幕を後にし、ウルフの元へと戻った。
「見ろよユダ」
ウルフがしゃがんだまま埴輪を指さす。
空中を舞ういくつもの砲撃と揺れる光。
それは点灯した脳機が東地の指示がないままに揺れ動いていることに違いなかった。
「なんだかわからねぇが、埴輪になんらかの攻撃を受けてるようだぜ。あんな状態で影縫いはできるのか」
「できるか、じゃない。やるんだ」
ユダはそうつぶやくとともに手首の皮を食いちぎる。
血の糸が引き、腕を垂れていく。
彼女はその血をこぶしに力を入れて強く噴射させてもう片手に持った錫杖に流しかける。
血に染まる錫杖の周りには周りよりも数度低いような風が吹く。
彼女はそれを天に掲げ、ただひたすらに「《
呼びかけるように、それであって宣言するかのように。
小さく小さく……。
直後!
光の柱が八つ天高く伸びた。
それは何処から。
それは脳機から。
光の柱は埴輪を囲む。
宙を舞っていた砲撃も、埴輪の破片も、そして埴輪さえも、その動きを空中であろうが地面の上であろうが関係なく……止めた。
ユダがふっと息を吐く。
だがそこで休んだままではいられまい、とユダは踵を返して再び天幕へと向かう。
ウルフも、その腰を上げた。
「脳機の機能を強制的に全停止させました」
通信官の報告が天幕内に響くと、東地は肩の力を抜きひとまず安堵の息をついた。
「各乗員は……?」
「発狂したままです」
「待て」
天幕中央テーブルより離れた入り口付近に立つユダの声が響いた。
「説明してもらおう。何が起こっている」
「予測はついているはずだ」
東地の声は低くよく響いた。
指で通信官に何かを持ってくるよう指示する。
通信官はユダの真横を通り抜けて陸砂両用車へと向かう。
「予測はついている。彼らは埴輪により何らかの干渉を受けた。それは夢ではないか」
「ご名答だ。さすがだな。これではっきりしたな……悲しいことだが奴の攻撃範囲は脳機の配置されていた半径二千メートル地点までは危険だ」
「いや、そうではない」
ユダは腕を組み、きっぱりと告げた。
「ウルフが教えてくれたのだ」
「え、俺?」
自分は情報提供以外何もできてねぇなぁと思いながら話を聞いていた彼は、急に呼ばれた自分の名に素っ頓狂な声を上げてユダを見下ろす。
「そう。お前だ。お前、言っただろう。『埴輪が全体的に少し縮んで見える』と」
「縮む……?まさか」
東地は思い当たったようにつぶやく。
ユダは目を閉じて頷く。
「奴は一度縮み、膨らむことで破片を飛ばしたのだ」
「脳機の砲撃を利用したのか……?」
「ああ。だから二千メートル離れた脳機付近にも飛んだのだ。間違いない……私の目は見た。もしかしたらそれが夢を見させたのかもしれない。だから一つ提案が……」
彼女の横を通信官が通る。
片手には取っ手の付いたレコーダーのようなスピーカーの付いた機械を持ち、まっすぐにテーブルへと進み音もなくそれを置いた。
「ユダ。君は彼らがどんな夢を見たと思う」
東地は指を組み膝の上に置く。
緊張しているように見えた。
「いや、わからない。それぞれの悪夢ではないのか」
「違う」
機械のスイッチを通信官が押した。
暴れる音がした。
壁を叩く音。
泣き叫ぶ声。
許しを請うような泣き声もあれば、笑い続けるだけの声もある。
だがそのどれも、とても正気だとは思えなかった。
あまりの惨状にウルフは別にみられているわけでもないのに機械から視線を外す。
心の底からの救いを求める声が響く。
「問題はここだ」
東地が呟き通信官に巻き戻すよう指示をする。
ウルフは嫌々ながら耳を澄ます。ユダは……。
『やめろ、触るな』
男の叫びがスピーカーから聞こえる。
ガタガタと機内から逃げようとする音。
必死に脱出しようと扉をがりがりとひっかく音もする。
その音も爪が折れてしまったのか聞こえなくなってしまう中……男の声は響いている。
『死なせてくれ!もう死なせてくれッ!!』
涙。
呼吸をしている暇さえ無駄にしていられないというほどに畳みかけるように男は泣く。
『俺は……おれは夕能なんかじゃない!!』
その言葉を最後に、あとは男の発狂したような笑い声だけが響いていた。
ウルフはユダを見た。
彼女は、珍しく青ざめていた。
微かにふるえている。
「わかるかユダ」
東地は言う。
「他の音声も聞けばわかる。どれも……同じ夢を見ている。そのすべてが……お前の夢なのだ。ラボでのお前の実験風景の夢を見ているようにしか……思えない」
東地はそうつぶやき、通信官に機会を片付けるよう伝えて席を立った。
外の埴輪の様子を確認するらしく、天幕を抜け出ていく。
ユダは、震える自分の手を見つめていた。
横に立つ巨体の禁忌狩りは、状況の把握があまりできていなかったが彼女が自分を責めていることだけはわかった。
「なぁ……そのぅ……落ち着きなぁ?ユダ」
顎を掻きながら、ウルフが呟く。
ユダは、その言葉に反応してウルフを見上げた。
「なぁウルフ。私をだっこしてくれ」
「は?」
「頼む。柘榴塔のときも私を抱えただろう……」
涙を目にためて頼む少女の言葉を、ウルフは拒絶できなかった。
腰に手をやって他の場所はなるだけ触らないよう配慮してユダを抱えると……。
彼女は信じられないほどに軽かった。
まるで体の重さがないみたいに。
「私はな」
ユダはウルフの腕に体を寄っかからせて呟く。
「お前が埴輪から落ちてきて……それを抱きとめたときにすべてに気づくべきだったんだ……」
「どういうことだよ」
「花囲いの塔周辺で起こる連続殺人事件の謎。何故頭以外が人形に挿げ替えられているのか……その答えは単純で、そうしないと体に重さがないとばれてしまうからなんだ」
「……じゃあ、体の体重がなくなることを相手にばれないようにするために体を人形の体と入れ替えてたっていうのか?でも、どうして軽く…」
「……私が抱き留めたお前は、頭の重さくらいしか感じないくらいに軽かった。それと連続殺人、夢……特殊作戦部隊からもらった『悪魔退治』の民話の資料。すべてをつなげれば、埴輪が相手の体重と記憶などをよみとって夢に介入、もしくは夢を見させるという相手であることは容易予想はつく。誰が被害に遭ったのかの判別は体重を調べればわかることも……だがすぐに言わなかった」
「あんたのことだ。確証がなかったんだろう」
「ああ、その通りだ。だから言わなかった。だがそれに何の意味があるというんだ!」
ユダは泣き、ウルフを見た。
ああ、そうかと彼は思った。
当たり前だけれどこいつにだって感情はあるんだと。
「だからこそ私もすぐに体重さえ調べれば私の夢を彼らが見る可能性に気づけたはずだというのに……!」
「自分を責めすぎだ」
ウルフは、ユダを地面に下ろす。そして、頭を軽く撫でた。
「いいかぁ?そりゃ今回の悪夢はあんたのものかもしれねぇが、気づいたからってこうならなかったって断言なんて出来やしねぇだろう。あんたが言ってんのはもしもにもしもを重ねた妄想だ」
「だが……」
「気にすんじゃねぇ」
ぽんっと頭をたたく。
やさしい掌の温かみを、彼女は感じた。
「今は進むのみだ。とりあえず部隊の連中全員の体重調べてまたあの埴輪の野郎をぶったおす方法考えようぜ」
ウルフはしゃがみ、ユダに笑いかける。
それで十分だった。
彼女はうつむきかけていた顔を上げ、いつものように顔を引き締めると前だけを見つめ天幕の外へ向かった。
埴輪。
ひびが入り、表面は大分破壊できたかに思えたその巨大な建造物はその割れた部分のなかにはまたもう一つの埴輪があることが理解できた。
かすかに光を浴びる夜の埴輪は、恐ろしく、笑っているようにも見えた。
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