考魔行

1.御祓殿の死神

 砂の飛沫しぶきを飛び散らせながら《砂の海》を走る二つのバイクがあった。


 片方に乗っているのは山高帽を深くかぶったガタイが良い男だった。


 チェックの長袖のシャツを着ているが、その姿には多少の違和感を感じさせる。

 

 もう片方のバイクはというとその黄土色のメカニカルな機体とは対照的な、軍帽をかぶりゴーグルをはめた女が乗っていた。


 軍服にマントを羽織っており、歳は若くまだ十代のように見える。


 その顔全体には異様なことに赤い縦縞たてじまが何本も引かれていた。


 二人はこの……人の営みを拒む海を、陸地を求めて進んでいた。


「悲報だユダ。砂容器サンドボトルがもうじき切れる。俺に容器ボトルの交換ができると思うかい?」


「ウィリーでもすれば出来るんじゃないか」


 冗談めかしてユダが呟くと、男は笑っているのか微妙な引き立った声で砂埃すなぼこりのたつ音に負けないように叫んだ。


「片腕の俺にどうやってウィリーして容器交換しろって言うんだぁあ!」


 違和感の正体、それは彼の左袖だった。


 いや、そこには袖どころか腕さえ存在しない。


 ただただ赤黒く、血が流れていないことから少なくとも切断から数時間が経っていることは分かった。


 彼、サイコウルフは時々不調で変な音を出すバイクを片足で少し蹴る。


 少し前に調達した片手用バイクだが、オンボロなので頻繁ひんぱんにこうなるのだ。


 蹴ればちょっとの間はマシになるが、所詮その場しのぎだ。


 それを横目に女、ユダは口笛を吹き出して懐から懐中時計のようなものを取り出す。


 それはCMH(禁忌対策本部)特製の簡易電子地図マップであった。


「安心しろ、そう遠くはない。おまえの腕が魔に魅入られる前にはそこで御祓おはらいをしてもらわねばならないからな」


 ユダは電子地図マップを懐に入れ直すと、目の前の砂の丘を越えるためバイクのスピードを上げる。


 自分の視界から消える前に追いつかねば……とウルフもそれを追う。


 丘を登れば、遠くにうっすらと珍しい木造の建物が見えてきた。


 そここそが彼らの向かうべき場所…御祓殿おはらいでんであった。



 御祓殿とは、世に宿る魔に関する御祓、占い等を行う妖術士の公共施設であり全国各地に存在している。


 妖術の都 『稜宮りょうぐう』から資金が出ているためこの海のど真ん中では珍しい木造建築だ。


 施設内には通常4人の妖術士が置かれている。


 妖術長……副妖術長……予言士……妖術士……。


 妖術長は各々の御祓殿の責任者であり、リーダー。副妖術長はそのサポートであり、主に御祓の仕事を担う。


 予言士は、基本的に占いの仕事を担うが、時折予言をすることによりその地域の治安が荒れないように活動する。


 妖術士は、それらの仕事の補佐的立場で、いわば見習いというようなものである。


 では、彼らの行う御祓とは何か。


 その御祓こそが2人が御祓殿へと向かう理由なのである。


 『魔』をご存知だろうか。


 魔術を使用する際に生じる魔術の意思のようなものである。


 術者に従属して魔術の使用を補佐することがほとんどだが、時折ときおり術者を乗っ取ることもある『魔』を。


 魔は魔術を使用する際にしか存在しないわけではない。


 魔は常に空気のように漂っている直接人間達に関わるのが魔術を使用するタイミングが多いだけである。


 では、ほかにどのような場合で人をのっとることがあるのか。


 それは人が、生物が怪我を負っている時である。


 魔はその傷口から体内に入り生物を乗っ取ることもある。


 それに対処するのが御祓であり、御祓をすることにより魔が体内に入らないようにし、魔に乗っ取られた生物は殺す。


 それが御祓殿であった。


 先の戦いにより左腕を切られたサイコウルフには魔に乗っ取られる可能性が大いにあった。


 だから進むのである。


 丘を越えて……。

 


 ユダは『松島御祓殿』と刻まれた石碑の砂を払った。


 しゃがんで石碑をよく見れば、そこには黒く固まった血の跡が見えた。


「ウルフ、御祓は通常屋内で行われるものだな」


「あぁ、確かそうだったな」


 バイクを降り、砂容器のヒビとにらめっこしながらウルフは自分の記憶を思い返す。


 間違いないはずだ、とユダの方に目を向ける。


 彼女は既に話を聞いていないようで御祓殿の木製の引き戸に向かい歩いていた。


 興味のままに動くひとだと呆れながらウルフもその後を追おうとした。


 その時、彼の嗅覚は鼻をくすぐる砂の香りの中に異様な人工的な臭いを感じた。


 薄い樹脂製の糸が放つ殺意を。


 瞬間、ウルフの目の前が赤く染まった。


 誰の血か。


 いや、問わなくても分かる筈だ。


 ユダの血だ。


 ユダの肌に薄い四角の線が無数に浮かんだかと思えば、それはすぐに彼女の体に食い込み肉を裂いたのだ!


 砂の上に落ちるのは醜い肉の塊。


 血に染まった乙女の末路。


 ウルフの体にも同じように薄い線が浮かんだ。


 とっさに彼は背中にからった倉匣わすれもののスイッチを一つ押す。


 自分の体に浮かんだことによりその線の正体がはっきりとわかった。


 この薄い線は樹脂製の糸である。


 そう理解した時にはもう3ミリ程糸は肉にめり込んでいた。


 体に力を込める。


 耐えろウルフ。


 倉匣はウルフの本来の力を抑えていたものだ。


 それが解かれた今のウルフにならば、この糸にも耐えることができるはずだ。


 目的を達成するまで死ぬ訳には行かないのだ、と自分に言い聞かせる……。


 糸に入っていた力が突如和らいだ。


 そして、冬の風のような声が聞こえた。


「殺しちゃいけないと分かってはいたけど、力加減というものは難しいものだと思わないかい?」


 それは若い男の声だった。


 ウルフは声の主を探すため拘束された体の中で唯一動かすことのできる瞳をまわす。


 御祓殿の屋根の上。


 そこに白装束しろしょうぞくの男が立っていた。


 透き通るような青緑の長髪が風に揺れ、両腕は胸の前で交差されている。


 詳しく見えないが、恐らくそこで糸を動かしているのだ。


「たいそうなもてなしだな。次は何をお見舞いしてくれるんだ?俺としちゃあアンタの土下座が欲しいんだがな」


 ウルフがそう笑うと、糸にまた鈍く力が込められた。


 抵抗するなということらしいと認識すると、彼は笑うのをやめ砂の上に転がるユダの肉塊に目を向けた。


 肉塊は揺れていた。


 周りに散らばった血が生き物のように地を這い、肉塊へと向かっていく。


 血と合流した肉塊はコロコロと転がりながらまた別の肉塊と合流する。


 それが繰り返されていく……。


「夕能か」


 糸使いの男が小さくつぶやく。


 集まった肉塊は徐々に元の女の形にもどり、男を睨みつけながら立っていた。


「戦う意志のある青年か? もしそうならば私も相手をしてやる」


「僕はあまり人を殺したくはないんだ」


「ほぅ、私を殺したことをもう忘れたのか。思った以上のノータリンだなぁ?」


ユダは不敵に笑った。


「弥勒――ッ!!」


 ユダの叫びと同時に石碑の前に停められた砂上バイクから紐でくくりつけられていた錫杖しゃくじょうが飛んでいく。


 ユダの右腕に素早くおさまると、彼女はその錫杖で男を指した。


「まず名を名乗れ。そして答えよ、貴様の目的はなんだ」


 男は静かに笑った。


氷鬼守 優也ひきがみ ゆうや……左腕を失った死神を殺しに来た」

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