3.魔!魔!魔!

「人はどう足掻こうと人ではないか」


 ユダは山蘭を見る。


 彼女は隈の涙を拭い、妖術長室の方向を見つめた。


「それでも人は超えなければならない時があるのじゃ。くだらないと鼻で笑われる戯言ざれごとにも耳を傾け、仇を取ろうと躍起になることが……。正太郎は妖術長様のせがれじゃった」



 ……その時、ぶつんっと何かが途切れる音がユダの耳に響いた。


 それが妖術長室から聞こえたことが彼女には分かった。


 耳慣れぬから不確かだが、それは妖術の源である魂の断ち切れる音。


 山蘭にはその音が聞こえていないようだった。


 ユダは素早く腰を上げ、床に置いていた錫杖しゃくじょうを持ち上げて音の方へと駆け出す。


 廊下の最奥に木製の引き戸があった。


 手をかけた時点でその戸には魔術・妖術のたぐいがかけられていないことが理解できた。


 こんな状態では何者かに侵入されても文句は言えまい……。


「どうしたのじゃ?戸を開けぬのか?妖術長様を殺すのではないのか?ぇ?」


 ユダは背後に立つ山蘭の殺気に気がついた。


「山蘭……。妖術長室の中に何者かが侵入することは……普段の状況では可能か?」


「……入ることは可能じゃろう。だが妖術長様の力を舐めては困る。普通に戦えば何者も敵わぬだろう」


「……ならば中を見ろ」


 ユダは目を閉じた。


 そして、妖術長室の戸を開けた。


 中は暗かった……。


 目の前のことさえわからないほどの闇が広がっている。


 山蘭はなんの躊躇ためらいもなく、その闇の中に足を踏み入れる。


 だが手が震えている。


 息が荒くなっている。


 ユダの言う妖術長の死などありえないのだ、と自分に言い聞かせていた。


 余所者の悪い冗談だ、と一笑にふせばよいだけのことだ。


 しかし、戸を開けた時から自分に降り注ぐこの死の気配は何だ?


 正太郎のものとは違うこの気配は……。


 疑う山蘭の頬を何かが撫でた。


 冷たく、流れ落ちる何かが撫でたのだ。


「ぷぅああんっ!!」


 彼女は思いっきり叫ぶ。


 喃語なんごのようなその声が部屋中に響き渡る。


 たちまち山蘭のまわりに風がたち、それと共に彼女は薄い光に包まれた。


 その驚くべき光景を捉えたユダの脳裏には、彼女の奇抜な格好の意味がようやく分かりかけていた。


 妖術士の中にも天才はいる。


 だがそれは完全無欠の人ではなく、一つのことに秀ですぎた者のことだった。


 長々とした呪文を唱えずとも、擬音を放つだけで術を使う者……その者は天才と呼ばれた。


 妖術士にとって詠唱は習得にかなりの年月を費やすものである。


 その詠唱の質が妖術の質に直接的に通じるものだ。


 だが天才は擬音を言うだけでその妖術の力を最大限引き出すことができる。


 そのようなものを天才と言わずしてなんと言えるか?


 無論欠点はある。思考能力だ。


 天才はその能力と引き換えに考える力を失った。


 妖術士は何百年という歴史の中でその欠点を補う術を探した。


 山蘭の頬の管……。


 それこそが打開策、思考補助装置だった。


 それを得ることで天才は、欠点のない天才へと進化した……。


 だがその場合、敵は天才のどこを攻撃すべきと判断するか?


 当たり前の論理だ。


 である。



 薄い光を頼りに上を見上げることにより、彼女は頭上から滴る液体の正体に気がついた。


 血だ。


 彼女の目にははりにぶら下がる、無惨な妖術長の足を伝い滴り落ちる鮮血が見えた。


 山蘭の思考が一瞬止まった。


 そして敵はその一瞬を待っていた。


「山蘭――ッ! 上だぁっ‼︎」


 ユダの叫びが山蘭の思考を呼び起こす。


 素早く一歩後退すれば、彼女の前に白い体が飛び降りてきた。


 幸い、頬の管は無事であり山蘭は冷静に目の前の敵について観察することができた。


 白い体。


 それはてるてる坊主であった。


 大きな布を纏い、首を麻縄で縛ったてるてる坊主は不気味に地を這いながら山蘭を見上げた。


 管を切ろうと飛び降りてきたらしいが、どうやら失敗したらしい。


 じとっ……と粘りつくような視線は山蘭を釘付けにする。


 だが引くわけにはいくまい。


 少し前に踏み込んで山蘭は叫ぶ。


「ぐぁんっ‼︎」


 声と共にてるてる坊主の周りに5つの炎が出現する。


 炎はそれに迫るが、地を這い器用にそれらを躱して山蘭に近づいていく。


 思考補助装置を切られぬよう守りの体制をとろうとする山蘭。


 両手を正面で交差させるがタイミングが遅い。


 敵の顔は彼女に迫っていく……。


 山蘭の体が突如後方から引っ張られる。


「化け物とのキスはお好きじゃないだろう」


 ユダが引っ張ったのだ。


 ユダがてるてる坊主に頭突きを喰らわせる。


 両者相応のダメージが響く中で、ユダはそれの顔面を今度は足で蹴った。


 流石の相手も二回攻撃を喰らっては動けずに床の上でうずくまる。


 山蘭はというと、ユダに引っ張られたことにより一歩後ろに下がることになった。


 茫然とてるてる坊主を見つめる彼女の方をユダが振り返る。


「山蘭、応援を呼べ! 部が悪い、氷鬼守をっ!」


 それは現状最も正解に近い答えだった。


 ウルフが隔離堂にいる今、御祓殿に向かっているであろう氷鬼守に助けを求めることは合理的だった。


 理解した彼女は、後ろを振り向き妖術長室を出ようとした。


 ユダはその時気づいた。


 現在山蘭が立っている位置が、彼女がこの部屋で死体を見つけた位置と一致していることに……。


 もしやと思い敵の手を見る。


 てるてる坊主の右手には天井へと伸びる麻縄が握られていた。


 そしてその麻縄は今、手から離された。


 それは悪魔の如き奸計かんけいであった。


 てるてる坊主が最初からこの方法を要に戦っていたのかは分からない。


 もしかすれば偶然に頼ったのかもしれない。


 だがこの仕掛けは面白いほどに上手くいってしまったのだ。


 麻縄の片方はてるてる坊主の手に握られていた。


 だが、もう片方はどこに繋がっていたのだろうか。


 それは妖術長の死体であった。


 てるてる坊主は、巧みに縄を操ることで上手く妖術長の死体が梁には引っかかっているように見えるよう偽装していた。


 しかし実際は、梁には麻縄が引っ掛けられそれに吊るされる形で妖術長の死体は在ったのだ。


 闇が周りを包み込むからこそ、この仕掛けは気付かれなかったのだ。


 麻縄が手放された今、妖術長の死体は地面に向かって落ちていく……。


 ここに第二のトリックがあった。


 妖術長の腹には背中から刺された刃が突き出ていたのだ。


 落ちる妖術長の体は、丁度山蘭の目の前を通過する。


 つまりそのとき、刃も彼女の前を通過するのだ!


 一瞬だった。

 

 奇跡的にその刃は、彼女の頬の管を切り裂いた。



 天才からが失われた。



 床にへたり込む山蘭を見て、ユダは敗北を悟った。


 いったん引くべきと判断し、ユダは出口へと駆け抜ける。


 通り過ぎる時、山蘭は何かを呟いていた。


 優也……。


 正太郎……。


 妖術長様……。


 おかさあさま……。


 おとうさま……。


 親しい者の名を呼ぶことはわかる。


 ユダの耳は捉えた。


 彼女が『なぎさ』と呟いたことを。


 特に理由はないが、そのことがユダには引っ掛かった。


 御祓殿の入り口にたどり着いた時、氷鬼守優也は丁度バイクを降りるところだった。


 走り出たユダを疑いの目で氷鬼守は見つめた。


「何の用だ」


「バイクを出せ。隔離堂へ走らせろ」


「あの死神を逃す気か?馬鹿じゃないか。そちらの手口は読めて……」


 氷鬼守の言葉が止まった。


 ユダに喉仏を錫杖で押さえられたからだ。


 その錫杖からは黙って自分に従えという意志が感じられた。


「山蘭の思考補助装置が怪人物に裂かれた。私はその怪人物がウルフではないことを証明したいのだ。嘘だと疑おうと疑うまいと、この御祓殿に魔を持つ者を逃がさない妖術をかければいい」


 氷鬼守が返事をしないことに気づくと、ユダはさらに語気を強めた。


「さぁ早くしろ!あの怪人物がここにたどり着くのが先か。おまえの妖術を張るのが先か‼︎」


 氷鬼守は、大人しく妖術を張るしかなかった。


 ●◯●◯●◯●◯●◯●◯


「貴女のやっていることは脅しだ。それに僕の封魔の術を破り隔離堂から出ることは不可能だ。貴女のいうことは成り立たない」


 愚痴を呟きながら、砂の上を走るバイクの上に氷鬼守はいた。


 サイドカーに陣取るユダを憎らしげに見る。


「氷鬼守優也。お前はウルフが犯人だと決め付けているからそういう思考になるのだ」


「予言は絶対だからこそ貴女のその意見は矛盾している。妖術長様を殺すのはあの死神だ!だが死神は隔離堂から出ることはできない。ならば妖術長様が死んだのは君が殺したからだ。だがそれでは予言と矛盾する」


「だが後ろを見てみろ」


 山蘭の台詞に、氷鬼守はちらりと御祓殿の方を振り向く。


 遥か遠くのその入り口には、妖術により貼られた膜にへばりつき、必死に外に出ようとするてるてる坊主の姿があった。


「だからこれは夢なんだ……。予言が外れることはあり得ない……」


「だが予言は外れた。ならばウルフが犯人ではない、と私は信じている」


 ききぃっと錆びたブレーキの音がした。


 二人の目の前には、砂の中にそびえる隔離堂があった。


 それもまた膜に覆われたままであり、彼の術が破られていないことは明らかであった。


「ほら見ろ。中にはウルフが……」


 ユダが呟きかけた時、二人は縦繁障子の隙間から見える光景に絶句した。


 ‼︎


 姿‼︎


 ユダは目を疑った。


 いないということは即ち、あの予言が外れたとは言い切れない……。


 ウルフがあのてるてる坊主だ、とも言えるのだ。


 彼女は氷鬼守に鼻で笑われて「言った通り、予言は間違わない」と告げられるだろうとすぐに思った。


 だが横を見ると、信じられないという顔で隔離堂を凝視する氷鬼守の姿があった。


「そんな……馬鹿な……」


 その呟きはウルフが自分の術を躱して消えたこととはまた別のことに対する言葉だと、根拠はないがユダは感じた。


 砂漠を風が駆け抜けた。


 二人の間を抜ける風は、ただびゅうびゅうと言うだけだった。

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