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1.黒鐘家と白鐘家
石造りのテーブル。
それは旧世代のものらしく値の張るもので、この机を一目見れば誰でも持ち主が相当の金持ちであるとわかるだろう。
そのテーブルを挟んでこの書斎には二人の人間がソファーに座っていた。
一人はこのテーブルの持ち主 黒鐘家当主 黒鐘孫助であった。
彼は鼻の下に蓄えた手に余るほどの髭を片手で持て余しながら目の前に座る女を見つめていた。
軍帽に軍服にマント……とバンカラな服装で片手には錫杖が握られている。
顔全体に真っ赤な縦縞のペイントが塗られている。
彼女の名はユダ。
禁忌というものを退治、もしくは対処することを仕事としている。
禁忌とは神秘的技術を悪用したもののことである。彼女はそれを狩るもので、加えて死んでもよみがえるという特殊な力を持った夕能という存在でもあった。
彼女は口を開く。
「それで……依頼は」
「君、ここに来るまでにこの黒鐘家のほかにもう一つ大きな屋敷を見たろう」
孫助はその体を前のめりにしてユダを見た。小さく頷く。
「その家は、白鐘家と言ってな。うちとあちらで村の権力を二分しているのだが……我々は実はそれ以外にも二分しているものがある」
「なんだ」
「カミサマとの交信だ。君のような人間はカミサマなぞくだらない、と言うかもしれんがそれはこの村の人間にとって確かな存在を持つモノなのだ。黒鐘と白鐘は毎年巫女呼びの日と呼ばれる日に各家の長女である巫女を遣わせ交信を行い、カミサマの怒りを買わぬよう祈祷するのじゃ……。だが白鐘はそれをどうにか独り占めしようとしておるんじゃよ」
ユダはそう語る孫助の瞳に微かな嘘の色を見た。
ぎょろりと不自然に、かすかに揺れたのだ。
彼女はだが言及することなく黙って話を聞くままだった。
「そして今月の月のない晩……巫女呼びの日。奴らがなんらかの禁忌を行使しワシを殺すという情報を仕入れた」
「情報の仕入れ人は誰だ。詳しく話を聞きたい」
「今呼ぼう……やしちぃぃぃぃいいいい!!」
孫助が声を扉に向けて荒げる。
すると直後扉を二度ノックする音が聞こえた。
孫助が「よし」と促せば扉は開き、オールバックの黒髪の青年が入ってきた。
「弥七でございます、ご当主様」
「こちら、禁忌狩りのユダ様。彼女に例の情報を詳しく教えてほしい」
孫助が手でユダを指して弥七に言う。
弥七はかしこまりました、と頭を下げユダのほうに向きなおった。
「その情報は何処で仕入れた」
「白鐘に仕えております召使の香という女性から。少々言葉は悪いですが……たらしこみまして、細かな情報を伝えていただいております」
ユダはそれを聞いて目線を弥七に固定した。
それ以降、一切の視線のぶれも許さず彼を見つめ続けたまま次の言葉を繰り出した。
「なるほど。その禁忌というのが如何なるものかは」
「不明でございます。探りましたが、そこはしっかりと隠されておりました」
「そう簡単に情報は出さない……当然のことだ。巫女呼びの日、とやらにそれが行われるのは確かか」
「間違いございません。香以外に直接耳を立てました。情報に相違ありません」
「なるほど。有益な情報を教えてくれたお礼をしよう」
そういうとユダは立ち上がって彼に近づく。
すっと懐からがま口の財布を取り出し、片手にちょいとひねって開けると折りたたまれた一万円札を彼の胸に押し付けた。
「受け取れ」
「い、いやしかし」
「こういうのが好きだろう」
顔色一つ変えずに彼女はそうつぶやき弥七は見た。
彼女の瞳に光はない。
こいつは闇だ。
闇だ権化だ。
そしてその闇は自分の心の中にも絡みつき、そして食い尽くしてしまいそうなそこのしれぬ闇だった。
弥七はお金に目を落とす。
彼は確かにお金が好きだ。
大好きといっても過言ではない。
だが、そんな様子はおくびにも出さないようにしていつも仕事はこなしているつもりだ。
「私は」
彼の思考を断ち切るようにしてユダが呟いた。
闇はいまだそこに在る。
彼女の口が開く。
そこから発せられるものもまた、彼には光があるようには思えなかった。
「夕能だ。知っているはずだ。民話に出てくるあれだ」
そう言って彼女は自分の顔のペイントを指してじっと弥七に見させる。
それは確かにペンキで書かれたようにも見えるが、じっとみればペンキで書いたようなムラがないことがわかる。
それは皮膚。
まさに皮膚。
皮膚自体の色なのだ。
「夕能は死なない上、年も取らないがその代償というものは確かに存在しているのだ。弥七、分かるか」
ゆっくりとはっきりと彼女は言う。
弥七の耳にこびりつくその言葉は脳内で延々と……ぐるぐると回り続ける。
彼は自分に言い聞かせる。
だからなんだと。俺はそんなこと知らんと。
「わかりません」
はっきりといった。だがユダに動揺はない。なにも変わりなく、また口を開いた。
「ならば教えよう。我々夕能はこうした体質である代わりに脳内にずっと聞こえ続けているのだ。他人の体の中の黄念蟲の声や、人の奥底の本当の声が」
「ほんとうの……こえ」
繰り返すことしかできなかった。
そんなはずはないと一笑に付したいのに、弥七はわらいもしなかった。
確かにユダは自分の金の欲を当てて見せた。
弥七は自分の体ががだんだんと温度を失っているように思えた。脅えているのだと感じる。
ユダに見られているのだという、この状況だけで自分が追い詰められているのだと。
息を短く吐く。
嘘だろう、と自分に言い聞かせると。
ユダの顔が耳元に近づいてきた。
「弥七」
ユダは囁く。
「お前は白鐘のスパイだな」
そこで弥七の思考は完全に切れた。
彼は悲鳴を上げて服の内側に隠し持っていた銃を抜き出してユダを撃とうとするが、それより早くユダは動き、彼の握ろうとした銃を床に手ではじき落とした。
銃が床に着く前に彼女は素早く弥七の腹を錫杖で突いた。
弥七の体は後方に飛び、あっという間に壁にぶち当たる。
ユダは錫杖を弥七の方に向けて、いつでも攻撃できるような体制をとっている。
そこに物音を聞いて、屋敷の何人かの警備が書斎に駆け付け銃を構えて弥七を包囲した。
「もう一度問おう。白鐘のスパイか」
ユダが問えば、弥七はあきらめたように笑い「はい…そうです」とつぶやき床にしょんぼり座り込んだ。
「白鐘の誰の使いだ」
「愚者のセンセイに……」
弥七は怯えながらにユダを見上げた。。
「愚者とは何者だ」
孫助が問う。
怯える男は孫助を見て、あわあわと震えながら口を開いた。
「黒鐘が禁忌狩りを雇ったように、白鐘も禁忌狩りを雇ったのです」
そう言って高笑いする弥七を奇妙そうに孫助は見下ろしながら、ユダに視線を向ける。
「しかし、人の心まで見透かすとは私もまた見透かされてるのか」
「いや」
ユダはそうつぶやき、再びソファーにどかっと腰を下ろす。
「心までは見抜けない。恐怖で包み込んで吐かせただけだ」
弥七の震えが止まった。
彼はユダを見てとうとう泣いた。
喉の奥から「あなたは」と悲鳴にも似た雄たけびを上げて泣く。
全てが台無しになってしまったことにどうしようもない感情を抱えて、どうしようもなく吠えるのだ。
そして、なにもわからず「うあああああ」と叫びながらユダに近づこうとして……。
銃声三発。
弥七は床に倒れた。
ユダはため息をつき警備兵を見回す。
「何故撃った」
「な、何故と言われましても……撃たなければ貴方様にご危害が及ぶかもしれないと……」
警備の心配にユダは舌打ちをする。
不満そうに頬杖を突き孫助を見た。
「情報が途絶えた。あれだけの情報ではどうにもならん。愚者という名の助っ人がいるというだけではな」
「だがどうする気だ」
「白鐘の屋敷を見てくる」
彼女はそういうと、ソファーを立ち部屋を後にする。
血を流す無残な弥七の死体は尚ユダを見つめ続けているように思えた。
村の最北に黒鐘邸があり、白鐘邸その真逆の最南に建っていた。
黒鐘邸と同じく立派なもので、正門も豪勢に作られている。
ユダはその正門をスルーし、屋敷の囲いのすぐ横にある木々の群れの中へと入っていく。
緑の中を進めば、ちょうど枝を上れば囲いの中を覗けそうな場所を発見する。
ユダは帽子を深くかぶり枝に足をかけてこっそりとその囲いの中を覗き込んだ。
そこは中庭であり、年老いた男とフードで顔まで隠した人物が白い樹脂製の椅子に腰かけてテーブルを囲み茶を飲んでいた。
年老いた男が白鐘家の主であることはユダも容易に予想が付いた。
だが無防備に外に出ているあたり影武者の可能性もある。
ユダは息をひそめて動きがないかを見つめていたが、二人は茶をすするばかり。
どうしたのか、と考えてそこで初めて気が付いた。
自分の登っている以外の木は細かく整えられ枝もまた少ない。
そしてちょうど足場になるこの木の枝と、囲いの中がのぞけるように自然に開けられた葉と葉の間の空洞……。
ここは、人工的に作られた空間だ。
「罠か」
ユダが呟けばフードの男の顔がユダの方を向いた。
未だ顔は見えない。
男はユダのほうを見たまま茶を口に運び、余裕を見せて笑っているように見えた。
「黒鐘の雇った禁忌狩りだな。分かっているぞ」
男はそう大きく告げた。
ユダは息をひそめたまま、身動き一つ取らなかった。
男はそれも予想済みといわんばかりに動揺などほんの一瞬も見せなかった。
「我が名は愚者。黒鐘の禁忌狩りよ!この愚者が受けて立つぞ!せいぜい足掻いて見せろ!」
はっはっはと大きく笑う。
それはまさしく宣戦布告であった。
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