4.過去という名の怪物
町中にひとつ人気のないビルを見つけた。
そこを一時的な休息場とすると決めると、ウルフは床にごろりと転がった。
「埃くせぇ」
しかめた顔でそう呟くと、窓から外を見るユダに語り掛けた。
「石榴塔は見えるか」
ユダは、彼のほうに顔を向ける。
眉間にしわが寄っていて、何やら難しいことを考えていたような顔であった。
彼女は、もう一度目だけで窓の外を見つめて唾を吐きかけるかのように嫌々と答えた。
「あぁ。禍々しくそこに在る」
それは、彼女にそれほどまでの態度をとらせるほどに邪悪な気配を放っていたのだ。
一体、あの塔で
恋人達は何を目指すのか……。
ウルフは考えてみたが答えは浮かばなかった。
「そうかぃ……。もう行くのか」
「いや、お前の話を聞かせてくれ。語るといったものの道中ではしゃべらなかったからな」
ユダはそう冗談めかした口調で言う。
ウルフは、頭部を少し掻いて笑ってごまかす。
「いや、なんつーかね」
「話したくないのか」
静寂な水面に石を投げこむような……はっきりした声だった。
「いや、あんたになら話してもいい。あんたは俺にそっくりだからな」
「……どこがだ」
「CMH出身だってところが、さ。俺はあそこで生まれたんだ。あの地獄のような暗闇の中から虚無という粘膜に包まれて這い出てきた。力と記憶を得る代わりに痛覚をなくした。何も感じないんだ、俺ぁ」
「
「だからほんとは名前なんてねぇんだ。勝手にこの驚異的な能力からサイコウルフって名乗ってるのさ。あんただってそうなんだろう?」
「いや、私には名前があった。だがそれは私のための名でなく、実験体としての名前だったがな」
「なんてんだい。よけりゃあ教えてくれよ」
「……
その名をウルフは確かに聞いたことがあった。
実験室でまことしやかに囁かれた非人道的魔術の産物……。
或る魔術のために媒体として使われ、そのために生きて死ぬしかないという。
「……あんたが、夕能だったのか」
「ああ。その様子だと知っているのか」
「噂程度だ。詳しくは知らねぇよ」
「ならば教えてやる。私は、気が付いた時にはCMHの実験室の薄汚れたガラス窓を眺めていたんだ。それより前の記憶はあまりにも朧気で覚えていない。私がどこで生まれてどこで育ったのか……なにもわからなかった」
「本当に何も覚えてないのか」
「理解していることはあった。それは、私が何のために存在し、また何ができるのか……。そんな性能のことばかり私は知っていた。ガラス窓を見つめてどれくらいの時間がたったのか私はわからない」
彼女は少しだけ黙り込んだ。
それは短い彼女の人生を静かに振り返っているからだった。
「けれど」
再び語り始める。
「ある瞬間、ガラス窓は人の手により叩かれたのだ。コン……コン……とね。それが私と私の所有者たる早川博士との邂逅だった」
「早川光臣か」
「あぁ。やはり知っているか」
「……奴には世話になった」
「そうか。早川は私にはっきりと『自らの望みのために君を殺す』と私に告げてきた。自らの野望を持っているというのに偽りの善意で私に語り掛けてきたりしないところは、私としては好感が持てた。彼は正直な人間だったのでね」
少しだけ笑う。
幸せそうに…彼女は思い出を語るのだ。
「彼は妻を失っていた。CMH設立時のいざこざでな。その死を、私を使ってなかったことにしたいと」
「……死者蘇生か」
「あぁ。今回の禁忌である死霊とは違い、完璧な死者蘇生だ。死霊は、術者が黄念蟲により魔を増幅させ、疑似魔術から死者を……あくまでその死体自身に生きていると思い込ませる術だ。本当に生きているわけではない」
死霊はあくまで対象は死んだままなのだ。
そのことはウルフも知っていた。
そして、死者蘇生というものが如何なるものなのかも。
「だが、死者蘇生は心臓の鼓動も記憶もその体のぬくもりもすべてが正常に、生者と何一つ変わらない状態に巻き戻すのだ。疑似的な魔術ではない……本物の魔術だ」
「ほら話だと思ってたよ。本当に存在するたぁ俺ぁ知らなかった」
「当たり前だ。現在魔術が人道的な面から禁止されているように、死者蘇生もそのあまりに残酷なやり方から禁忌とされているのだからな」
「詳しくは知らないが……たしかにかなりやばいと聞いたことはある」
「死者蘇生はやり方さえわかればとても簡単なのだ。夕能をまず用意すればいいのだからな」
「そこなんだが、俺ぁ夕能ってのが具体的に何なのか知らねぇんだよ」
「夕能とは、非人間だ。この顔に刻まれた赤いペイントが夕能である証……夕能は処女でなければならない。無垢なる少女でなければならない。」
そう言い、自分の頬を撫でる。
ほんの少し忌々し気に。
「この赤きペイントの呪いで、我々は年を取ることがなく、術に使われるか処女を失うまで死ぬことはない。怪我を負おうと体は自然と治癒する。いくら絶望して自殺しようとしても死ぬことはできない」
〔呪い〕
そう、呪いだ。
死ぬという行為が絶望にも救済にもなることのない。
死という行為の意味を完全に奪ったもの……
「一度、ナイフを押し込み処女膜を断ち切ろうとしたのだが、自分でやるとどうも死ぬことができず回復していく。処女を失うと本当に死ぬのか怪しくなるほどにな」
乾いた笑みを浮かべる。
自分を憐れめとも自分を笑えともいうことはない。
ただ一人笑うしかないのだろう。
「本当のことはわからない。他者によるものならば死ぬのかもしれんが、確かめようがない。死者蘇生の方法は……」
「いや、それはいい」
「いいのか」
意外そうにユダは言う。
「あぁ。それを知っちまうと何かが終わっちまう気がする。やめてくれ」
「……………………それがいいのかもしれないな」
その一言は、心の底からの安堵に思えた。
ウルフはふと気になることが浮かんだ。
「ところで、あんたはどうしてCMHにいるんだ?」
「逆に聞かせてもらおう。なぜ君はCMHにいないのだ」
「CMH内部じゃ探せないことがあるんだよ。あんたになら言ってもいい。俺は早川博士を探しているんだ。俺のこの体の秘密を知ってるだろう奴をな」
「不思議なものだな」
「どうした」
「私はCMH内部でしか探せないと思っていた。消えた博士の行方を追うためにはその思考をたどらねばならないのだろうと…」
「じゃ、じゃあ」
興奮してウルフは言った。
「おまえもか!」
その瞬間、窓を破り何かが飛び込んできた。
窓ガラスが割れるほど強力な一撃。
それは弓矢であった。
ただの弓矢ではない。
そこには手紙が括り付けられている……。
「矢文か」
弓矢を拾い上げ、ユダはかすかに笑った。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます