3.人か否か
倉匣が『わすれもの』といわれる由来の一つは、忘れたいものを詰める箱というものだ。
母親の死を忘れたい勘助がつけたのでは……とも言われているが、真偽は不明である。
この箱がもとになり、魔術研究家 松尾春之助により魔術用具として開発されたのが現在ウルフが使う倉匣の原型である。
物の怪……今では禁忌と呼ばれる……を封印するために作られた、いわば持ち運び可能な牢屋であった。
それが現在では姿を変え、禁忌どころか記憶、自らの能力など形ないものまで収納できるようになった。
その代わり倉匣は魔術用具としての能力、構造を失い優れた科学技術により作られた便利な道具へと変化してしまった。
簡潔にいうなれば、魔術用具は化学製品に変貌してしまったというところだ。
仕組みについて詳しく話したいところだが、この序盤の説明だけで諸君はもう満足だろうし、語らなくても構わないところなので話を本筋に戻そう。
ウルフが倉匣に封じていたものは何だったのか。
全く見当がつかないが、刺客は不敵に笑う男に恐れを感じていた。
自らの能力は知られているというのに相手の能力がわからないというこの状況ほど恐ろしい時はない。
無論、この刺客は自らの能力に自信を持っているためそう簡単に負けるとは思っていない。
だがそれでも無知に対する恐怖は消えることはないのだ。
「どうしたぁ、動かないのか」
刺客は挑発するように呼び掛けた。
相手の動きを見なければなにもできはしない。
大丈夫だ、自分にはレーザー光線がついているのだ……。
周囲を焼き尽くす破壊光線が……。
彼は自分にそう言い聞かせながら視覚はウルフをにらむ。
ウルフはといえば、相も変わらず不敵に笑っているが顔じゅうに汗をかいている。
その汗は暑さによるものだけでなく、倉匣を開けたことにより体にかかる負荷から来るものもあるように見えた。
笑ってむき出しの歯も、よくみれば強く食いしばられている。
「……動いていいのかぃ」
「動きたくないならそこで大人しく無様に殺されればいい。私にねェ」
「俺も……できれば動きたくないんだ」
ウルフはそう、視覚を見据えた。
「止まれなくなるからな」
瞬間、ウルフの姿が目の前から消えた。
いや違う。
速い、速すぎるのだ。
その動きのスピードに自分の眼球の動きがついていっていな。
わずかに舞う灰の動きで刺客はその事に気づいた。
「だが速さだけで私に勝てはしない!」
そう叫び刺客は棺の中に沈み、戻り、内部スイッチを探る。
(…マニュアル通りだ)
自分に言い聞かせ、見つけたスイッチとメーターを交互に見ながらその数値がシンクロする地点を探す。
シンクロしさえすれば、光線はいともたやすく放たれる。
探す間にウルフが逃げるのではないか、と読者諸君は思うかもしれない。
だが、先のユダに対する発言と、道中の彼の人柄を見た結果、刺客は彼がスピード勝負の力業で棺を破壊しに来ると確信していた。
それを証明するかのように、舞う灰の動きは棺の周辺から遠くへは行かない。
だがそれでもこの粘土細工の中に疑念は一つあった。
それは、彼がなぜ真っ先にこの棺を狙わなかったのか、ということであった。
一度棺に攻撃してしまったそのタイミングで光線を放たれればひとたまりもないと考えたのか?
それとも何らかの策があるのか……?
(悩んでいる時間はない)
シンクロした瞬間、彼はスイッチを押すしかなかった。
光が辺り一面を包み込んだ。
焼野原。
何も残っていない。
棺の中の怪物はその光景に安堵しながらも、先ほどの疑念が完全に解けたわけでなく、一抹の不安を感じていた。
そしてその不安は、突如棺の中に飛び込んできた音により、現実のものとなり刺客に襲い掛かってきた。
音……その正体は棺のふたが開けられたことによる音であった!
誰が開けたのか。
それはユダであった。
ウルフは何の策もなく、棺を攻撃しようと考えてはいなかったのだ。
説明しよう。
彼が倉匣に封じ込めていたのは自分の驚異的な身体能力だったのだ。
彼は、その力により高速移動し、棺が光線を放つ前に薄く緑色に光った瞬間、ユダを抱えて空高く飛び上がったのだ。
光線の死角とは空中だったのだ。
あたり一面が焼き尽くされることにより、使用者は空中へはそれほど光線があたっていないことに気が付けなかったのだ。
ウルフにとってもこの策は一か八かの賭けであった。
もしかすると空中へはとどかないかもしれないという思い付きだけで、彼は動き……そして賭けに勝った。
光線がやむと、彼らは棺の上に降り立ち、ユダの血解で棺のロックを外してふたを開けたのだ。
だが、何が起こったのかわからない刺客は目の前の状況にただ慄くしか術がない。
目を見開き口を金魚のようにパクパクと開閉する化け物の頭部に、ユダは無言で錫杖を突き刺した。
「な、なぜ……とおり……ぬけな……い」
化け物の声は震えていた。
恐怖。
彼の脳みそはもはや正常に働かずただ禁忌狩りへの恐怖で埋め尽くされていた。
「どう……して」
「世の中には不思議なことがいっぱいあるんだ。諦めろ」
ユダがそう言った瞬間、刺客の頭ははじけ飛んだ。
「なかなか派手にやるなぁ……あんた。つーかその殺り方どういう仕組みなんだよ」
倉匣に能力をしまいなおしたウルフは感心しながら彼女に近づいていく。
「知りたいか?」
そう笑うユダの顔は、なんだか不気味でウルフは思わず目をそらした。
「まぁ正常な判断だ」
「……で、一応一難去ったわけだが…」
とつぶやくウルフの視線の先は頭部の欠けた棺の中の死体だった。
注目すべきは、棺の中には死体が一体しかないということであった。
「籠姫のやつぁどこに消えちまったっていうんだよ……」
「籠姫など存在しない」
ユダが当たり前のように言うその言葉は、まるで鈍器で殴られたかのような衝撃をウルフに与えた。
「き、聞いてねぇぞ!?」
「言ってないからな。ほら、棺の中を見ろ」
ユダの指さす先には、棺自体に内蔵されたスピーカーがあった。
「機械じみた声はここから発せられていたんだ。第一、棺が壊れたと申告された直後に奴が襲い掛かってきて不思議に思わなかったのか? タイミングが良すぎると」
「タイミング……だと」
「他にも気になる点はいくらかあった。棺が立ち止まり、耳を澄ますと漸く刺客の音に気が付いたこと。刺客が真上にいるというのに気が付かなかった籠姫……そして刺客が動き回っている中動かなかった籠姫」
「何が言いてぇんだ。はっきりと言いやがれ!」
「籠姫など存在しない。最初からあの棺の中には、『あの刺客』が入っていて、内部から操作していたのだ。声はスピーカーにより別の場所から発されていた……。大方、敵の大将だろうな」
「じゃああの刺客との戦いは……茶番だったのか」
「ああ。加えて……周りを見ろ」
ユダの言葉に反応し、ウルフは視線を動かし周りを見た。
すると、そこは森どころか木一つない、煉瓦造りのビルが乱立する街の道のど真ん中だった。
「魔界が解けている……。っつーことはさっきの刺客が術者だったってことか」
「そうだろう……。ウルフ、ここまでくると柘榴塔まではあと少しだと思うが、その斬れた左腕はどうするつもりだ」
「……あぁ。しまった忘れちまってたよ」
「痛みはないのか」
「痛覚が死んじまってんだよ。まぁいい……どのみちこの怪我じゃ禁忌狩りは難しいだろう。ユダ、どこか近場の建物にでも俺は隠れている。一人じゃ怖えからついてきてくれ。ついでに俺の昔話をしてやるよ」
ウルフはそう告げるとつかつかと石の道を下っていく。
ユダは、その後ろ姿にどこか懐かしいものを感じたが、すぐに思い違いだと自分に言い聞かせてその後を追った。
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