5.さよならウルフ

「おまえは利口なようだな、サイコウルフ」


 てるてる坊主はしわがれた声で喋った。


 ウルフは知らぬだろうが、それは妖術長の声色であった。


 あたりから音は消え失せている。


 2人は睨み合い、お互いの思惑を把握しようとすることに精一杯であった。


「それほどでもないさ。それを言うならあんたの方にその言葉をそっくりそのまま返すぜ?あんたアキレス腱の切れた死体の体で妖術長を殺したんだからな」


 ウルフは讃えるようにそう言う。


 彼は魔を魔と見做みなし下等生物と思い込み対峙し散っていった禁忌狩りを数々見てきた。


 彼らは弱い。


 故に強いのだ。


 そのことを忘れてしまえば、死はすぐに首元まで迫ってくる。


 そのことをウルフは知っていた。


「……サイコウルフ。君は間違えている。妖術長だけを殺したのではない。あの女妖術士も殺したのだ」


 ウルフは素早く倉匣のスイッチを押す。


 途端に彼の身体能力は飛躍的に上昇し、彼の瞳はすぐに部屋中を駆け巡った……。


 そして見た。


 妖術長室の中で血の海に横たわる哀れな女の姿を……。


「舐めちゃならんようだね」


 ウルフの額を汗が流れた。


 口元に流れた汗を舌でぺろりと舐めとり、彼は考える。


 相手は不自由な体で2人もの妖術士を殺したの魔だ。まさしく悪魔と比喩できる。


 悪魔は最初に見た位置から動かずにウルフを見据えていた。


 値踏みしている。


 サイコウルフの死に自分はどれほどの労力をかけるべきか値踏みしている。


 そう直感した瞬間、てるてる坊主の体が前方に倒れる……。


 いな、それは足を踏み出す動作!


 敵はサイコウルフに一直線に近づく。


 反応の遅れたウルフは腕でガードを取ろうとするが、そこを狙われる。


 敵は驚くべきことにウルフの腕を自らの手で自分の腹部にぶっ刺した‼︎


「なにを……」


 ウルフが動揺で呟いた時、顔は見えぬが彼はてるてる坊主がにっこりと笑ったように感じた。


「予言の再現さ」


 耳元で囁かれるのは悪魔の奸計かんけい


 ウルフの脳裏を駆け抜けるのは、渚の口から語られた、山蘭の予言だった。


 左腕のない男が妖術長様を突き刺す光景。


 魔があざけりながら正太郎を侮辱する声。


「お れ は つ き さ さ れ た」


 一文字一文字はっきりと言う。


 ウルフはそこでようやく答えにたどり着いた。


 この予言はあくまでウルフが妖術長を突き刺す予言だ。


 魔が死ぬ予言ではない。


「そして俺が嘲らなければ、予言はいつまでも続く……。俺は嘲るまで生き続けるのだ」


 魔は唾を飲み込みゆっくりとウルフをわらった。


「予言は絶対なのだから」


 しかし、魔の予想と裏腹にウルフもまた一緒に笑い始めた。大層愉快そうに笑うのだ。


 いや、違う。


 どこか、なにかを嘲笑うような……。


 魔は賢かった。


 故にウルフの行為の意味に瞬時に気がついた。


 予言を振り返れば、答えは簡単である。


 山蘭の見た予言は、あまりに曖昧なものであった為にあらゆる解釈が取れるものだった。


 ウルフの解釈は……といえば、それは『魔』の取り違えであった。


 山蘭の視点から見れば、ウルフは妖術長を殺す『魔』である。


 故に彼女の言う嘲笑う声というのはウルフの声である。


 他に多数の解釈が取れる中、ウルフのこの解釈は一種の賭けであった。


 だがそれに頼らないでいられるものか!


 ウルフはめいいっぱいに叫んだ。


「正太郎とかいう小僧を殺したのは俺さぁ‼ 愉快な面で死んでいったぜ‼︎」


 てるてる坊主はこの言葉に意味がないと信じたかった。


 妖術士の予言した光景がこれではないことを必死に祈っていた。


「ばふぅあぐっ‼︎」


 部屋に響く消え入りそうな乱雑な擬音。


 死にかけの声が叫んでいた。


 山蘭だ‼︎


 もうほとんど動けない山蘭は自分の耳に響いたその嘲りを死ぬ間際に受け取り、そして激昂し叫び出した‼︎


 途端に山蘭の方から眩い光線が、ウルフ目掛けて飛んでくる。


 ウルフの腕に突き刺さったてるてる坊主も逃げることはできない。


「これを狙っていたのか!サイコウルフ‼︎」


 そう、ウルフは狙っていたのだ。


 予言というものが、未来の妖術士が経験した光景を夢を媒介とし過去の自分に教えているのではないか、という空想に、仮説にウルフはすべてを賭けたのだ。


「博打は大成功だ‼︎ざまぁみやがれ‼︎イカれクソ野郎」


 今度こそウルフは心の底からてるてる坊主を嘲笑った。


 そして光の中。


 白い……白い……光の中。


●◯●◯●◯●◯●◯●◯


 地下の部屋は薄暗かった。


 十数年ずっと過ごしてきた部屋だ。


 配線の中に埋れながら、ただただ誰にも会えないで……。


 渚は一人、地下の部屋の中にいた。


 ユダと氷鬼守を地下から追い出して、自分一人だけがこの場に残った。


 優也は泣いていただろうか?


 もっとはっきり見ていればよかった。


 ぼやけた顔しか思い出せない……。


 瞳は涙に覆われていた。


 大粒、小粒、大きさなど関係ない。


 とめどなく流れていた。


 自分が死ぬことは分かっている。


 そのことはむしろ受け入れるべきことだ。


 覚悟は決めたはずだ。


 自分は本当の意味で人柱になるのだ。


 半端に生きる人柱ではなく、死んでこの地を平和にする人柱に。


 自分のこの命の全てを使って……。


 がたがたと天井が揺れ、埃が舞い落ちてくる。


 舞う埃を見て思い出すのは、自分の想いを託し戦いの場へ送り出したサイコウルフのことだった……。


 カタカタっと御祓殿に続く扉の方から微かな音がした。 

 

 視線を移し、じっと見据える……。


 ドアが開いた。


「賭けには勝った。勝負にも勝った。俺はついてるぜ、アンタ」


 傷だらけのサイコウルフは笑いながらそこに立っていた。


 そして配線の海の中に倒れ込む。


「片腕はなおらねぇし、この傷のつき方からしてもう疲れちまったんだろうさ。ユダには悪ぃが俺もここでリタイアさ」


 はっはっはと大きく笑う。


 その笑いが渚の心をきつく締め付ける。


「ウルフ…」


「謝るなよ。アンタが悪いわけじゃない。アンタの話を聞いて、納得したのは俺だ。そして頑張りすぎた俺が悪い」


 配線の中を這ってウルフは渚がいる場所へと近寄っていく。


「嬉しいことに俺は生きてる。あんたも生きてる。それでいいじゃねぇか」


「……えぇ。……そうかもしれない」


 涙は流れていなかった。


 ウルフに微笑む少女は、どこからどう見ても普通の年頃の女の子だった。


 最期に彼女を重荷から解放できたなら、俺が頑張った意味もあるかねぇ……。


 ウルフはそう呟きながら口笛を吹いた。


 何故だか、懐かしいメロディだった。


 配線に絡みつきながら部屋中を包むその曲は、自分の死への道を鮮やかにしてくれる魔法みたいに思えた。


「ねぇ、ウルフ」


 少女は笑う。


「私、なんだか安らかな気持ちなの……。死ぬって怖いけど……、今はちょっとだけ気が楽」


「ならよかった」


「けどね……」


 少女は自分の片腕に手をかけた。


 そして、思いっきりに引きちぎった。


 なんの躊躇いもなく……しかし顔を歪ませて。


「お、おまえ!なにを‼︎」


「これは……私の左腕……。ねぇ、報酬として……もらって欲しいの」


「わけが……わからん」


「きっと、馴染むと思う……私の腕だから……貴方に」


 それは少女の最後の願いのようにウルフには感じられた。


 彼は腕を受け取ると、恐る恐るそれを自分の斬れた左腕に近づけた……。


 すると、不思議なことにその腕は自分の切り口と絡み出し、あっという間に跡も見えないほどにウルフ自身の腕と化したのだ‼︎


 戸惑いながらウルフは彼女を見る。


「ありがとう」


 少女が呟く。


 その時の顔をウルフはよく覚えていない。


「さよなら、ウルフ」


 だが、それでよかったのかもしれない。


 彼女自身自分のいろんな感情の入り乱れた表情を誰かに覚えてもらいたくはなかっただろうから。


 ウルフの記憶はそこで途切れた。


●◯●◯●◯●◯●◯●◯


「おまえはほんっとに運のいい奴だ」


 ウルフの意識がはっきりした時、目の前には泣き腫らしたユダが立っていた。


 声色こそいつもの通りに思えるが、目がまだ赤い。


 あたりを見まわせばここが隔離堂の前だということがわかった。


 少し離れた場所に氷鬼守が腕を組み立っている。


「ユダ、俺はどうやってここに…」


「分からない。気がつくとここにいたんだ」


 ユダは首を横に振ってそう答える。


「渚だ。きっと渚が彼をここまで連れてきたんだ」


 氷鬼守は、安らかに微笑んでウルフを見る。


 その目にはもう憎しみなど篭っていない……暖かいものだった。


「理屈じゃなくて、きっとそういうことなんだ」


 氷鬼守はそう告げると砂上バイクにまたがり、砂容器サンドボトルを突っ込む。


「御祓殿に向かって君たちのバイクを持ってこよう。待っててくれ」


 バイクはすぐに視界で追えない場所へと行ってしまった。


 ユダは隔離堂の方に目を向けて少し悲しげな表情をする。


「なぁ……ユダ。あの男は、山蘭も渚も……妖術長も親友も死んで……いったいこれからどうやって生きていくんだろう」


「死んだのではないのだ。彼女らは風になったのだ。もうこの地に魔が湧くことはないだろう。だが同時に人が訪れることもない」


 ユダはひとりでに呟いていた。


 そして思い返す。


 渚……山蘭……妖術長……。


 彼らと過ごした時間はわずかである。


 だが、彼らは一生懸命に生きていたのだ。


「ただ忘れられていくだけの風だ。だからこそ彼は……私たちは生きていくのだ。彼女達の残した平和を噛みしめながら……」


 ユダは微かに笑った。


「ただそれだけだ」


 遠くで名を呼ぶ声が聞こえた。


 振り返ると一つの砂上バイクが駆けている……。



 風が吹く。


 希望を乗せた風が。



 考魔行 《完》

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