禁忌狩り

ソメガミ イロガミ

石榴塔

1.影のない街

 夜ばかりの街はない。


 この都市とて昼は来る。


 人の賑わう昼が……。



 日は昇っていた。


 雲一つない青空が広がっているというのに村に人影はなかった。


 街の門をくぐった少女はちらりと辺りを見渡す。


 煉瓦れんが造りのビルの乱立するその光景は正に人の賑わう都そのものだというのに、異様なほどの静寂に包まれていた。


 石造りの道をしばらく歩くと、坂の上の1番立派そうな屋敷を見つけた。


 少女はこの真夏のような気温の中、軍帽を被り、長袖の黒い軍服に身を包み、その上マントを羽織っている。


 片手には錫杖しゃくじょうが握られており、何より特筆すべきは彼女の顔全体には赤い縦縞たてじまがペイントされていたのだ。


 それは日本人らしい黄色の肌とで縞々の模様を描いていた。



 彼女は、屋敷の前に立つと小さくコンコンと扉を叩く。


「CMH(禁忌対策本部)のユダだ。扉を開けていただけないか」


 彼女がそう語りかけても、扉の奥から声はしなかった。


 いや、正確にはしたのだがもごもごと小さく、あまり聞こえなかったのだ。


 恐らく相手側も自分が何と言ったのか聞こえなかったのだろうとユダは判断して、今度はもうすこし声を上げて言う。


 すると、相手の声も微かに聞こえてきた。


「開けることはできない。扉を開ければ家の中に光が漏れ入ってきてしまう」


 老人のしわがれた声はそう告げると、しばらく黙り込んでしまった。


「影抜きか……」


「あぁ……。気付かぬうちにやられてしまったようだ。面目ない……」


「いや、影抜きは相手の名前と道具さえ手に入れば誰にでもいつでもできる初歩的な呪術のろいの一つ。無理もない」


「すまぬ……」


「今どちらにいらっしゃいますか。二階か一階か」


「二階だ……。裏口の扉ならば中にそこまで陽は入らんじゃろう……。そちらを開けて入ってきてはくれぬか?」


 ユダは玄関扉を右に曲がり屋敷の周りをぐるりとまわる。


 すると、木製のこじんまりとした扉が見えた。


 ノブを捻っても開かず、どうやら内側から鍵がかかっているようであった。


 彼女はその扉に錫杖を持った右手で触れると、左手で自分の左目をえぐった。


 目から流れ落ちる血が頬を伝い……首を伝い……そして左手に伝う。


 彼女がその手を扉に押し当てると、驚くべきことに扉は最初から鍵がかかっていなかったように滑らかに開いた。


 気づくと、彼女の左目もえぐった後など全く残っておらず、変わらずそこには瞳があった。


「おもしれぇな。俺ぁ『血解けっかい』なんて初めて見たよ」


 後方から野太い男の声が聞こえた。ユダは素早く振り返り錫杖を構える。


 そこに山高帽を被り、チェックの長袖のシャツを着、サスペンダーを付けた黒ズボン、腰にウエストポーチを巻いた男が立っていた。


 ガタイが良く、スーツを着たせいで窮屈そうにみえる。倉匣わすれものを背負い、チューブは彼の首筋に突き刺さっている。


 両腕には白い布製の手袋がはめられ、素肌は顔以外隠されている。


 顔はというと、彫りが深く頬はこけており、かけられたメガネが日光を反射し、怪しげに見えた。


「……禁忌狩りか」


 そう呟き、ユダは警戒するように彼を睨んだ。


 男は…と言うとその態度に対して歯を見せて笑い返した。


 その余裕は、幾つもの死闘を乗り越えてきた戦士だからこそのものであるようにみえた。


「あんたCMHの魔術師か。血解使いがいるとは初めて聞いたよ」


「血解なんて誰でも使える。当たり前だから言わないのだ」


 ユダは裏口の方に向き直して中に入っていく。


 それに続いてその巨体を屈めて同じく中へと男が行く。


 ユダは足早に屋敷中のカーテンを閉めていく……。


「あんたたちにとっちゃ当たり前でも俺らから見れば魔術に変わりはない」


 独り言のように男はそう呟き、ユダと同じように近くの窓のカーテンを閉める。


 屋敷がだんだんと闇に近づいていく。


「あんた名前なんてんだぃ」


 それは確かな呼びかけだった。


 はっきりとしたその声に反応し、カーテンを閉める手を止めてユダが男を見る。


 そこに敵意はなかったが、同時に親しみもなかった。


 何も感じられない表情がそこにあるだけだった。


「ユダだ。貴様こそ何者だ」


「ふーん……。偽名くさいが……わかったよ。俺ぁサイコウルフだ」


「偽物なのはお前もじゃないか」


「怒らないでくれよ。元の名前は捨てたんだ。使う必要もないからな」


「お前も依頼を受けてここへ?」


「いや、通りかかった村に人気がないからな。たまたまここに寄ったのさ」


 ウルフはそう言い、カーテンに目を向ける。


「影抜きをやられてるらしいな…。この感じだと昨夜ってところかね」


「詳しい話は家主に聴こう。数は多い方が心強い……」


「おいおい、それじゃああんたの取り分が少なくなっちまうんじゃあねぇのかい」



 彼のそんな言葉はユダの耳に全く入っていないようで、振り向きもせずに先へと進む。


 少しして階段を上る音が響くのを聞き、ウルフもそちらへと向かった……。



●◯●◯●◯●◯●◯●◯


 こんこん、と小さく扉を叩けば中からしわがれた声がした。


 それは、部屋に入ることを了承する言葉であった。ユダはそれを聞くと扉に向けて、


「屋敷中のカーテンを閉めたがもしかすると日光がまだ入るかもしれない。扉から離れて」


 そう言い、ゆっくりと扉を開ける。

 

 幸い、光は部屋の中に入らなかったので、二人は特に苦労もなく部屋の中に入る。


「……。数が増えておるが」


 老人はベッドの上にいた。


 部屋のカーテンが閉まっているためほとんど光は入らない。


 それでもやはり陽が恐ろしいのか……、日光を避けるために布団を体に巻きつけて顔だけ覗かせている。


 震える体。


 その瞳は驚きにより見開かれている。



「禁忌狩りだ。いないよりはいた方がいいだろう。なに……彼も雇うならば私の分の取り分を減らしてもいい」


 平然とユダはそう告げる。


 ウルフは酷く動揺した。


 通常禁忌狩りというのは金を稼ぐために行うものであり、その任務の遂行は命がけである。


 それだけの思いをするというのに取り分を減らすなどと言い出すことを彼は信じられなかった。


「お、おいおい。正気かいあんたっ!人のためにそんなことして……」


 ユダの瞳がウルフを捉える。


 そして強い口調で告げる。


「人のためではない。私のためだ。自ら金を払わず仲間が増えるのだ。闘うならば負担も軽くなるだろう」


「まぁそう言やぁそうだが……。爺さん、それでいいのか?」


「……構わん。儂は留里子を救ってくれるならば誰でも構わんのだ……」


 老人の布団を握りしめる力が少し強くなったように見えた。


 恐怖に耐えるためにはもはや何かにすがるしかないのだろう。


 老人は二人の顔を見回して懇願こんがんするように見つめる。


 しばらく沈黙の続く空間であったが、それを打ち破ったのはユダであった。


「留里子とは」


「儂の孫娘じゃ……。昨晩、死霊しりょうさらわれた」


 死霊……。


 それはその名の通り、死した者がその朽ちた肉体のままに現世に舞い戻ってきたもので、ポピュラーな禁忌の一つである。


 個体によって戦闘能力も違えば知能も違う。


 だが、どれにせよ少し油断をすれば命を失う危険性があることに変わりはなかった。


 だが、ウルフにとって今一番気にすべきことは情報の正確さであった。


「憶測で言ってんのか?それとも見たのか」


「見た」


 老人は静かに告げる。


「月光の下、死霊の後ろを歩く留里子の姿をな……。追おうとしたがこの老いぼれた体では何もできず見ていることしかできなかった」


「死霊の正体は……」


 そうだ。


 死霊といえど見た目はほとんど普通の人間と変わりはない。


 だが、老人が死霊と断言する以上、彼はその人物がすでに死んでいることを認識しているのだ。


 ならば情報は多いに越したことはない……、ウルフはそう考えた。



「先月発作で死んだ留里子の恋人の寅彦じゃ。奴は疑似魔術を研究していた。恐らくそれを使いよみがえったのじゃよ……」


 そう告げた老人の口調はどこか忌々しそうに思えた。


「地獄の底から留里子を娶りにやってきたのだ。だがそれを許すことはできぬ。彼女らの間に生まれるであろう地獄の子の苦悩をなくすためにも……そして二人の未来のためにも……どうか助けてくれ」


 深々と老人は頭を下げる。


 ユダは小さくうなづき了承するが、ウルフは不機嫌そうに舌打ちをした。


 老人はそれに反応し少し顔を上げて彼の表情を窺う。


『気に入らない』


 そう言っているように顔が歪んでいた。


「……別にいいが訂正させてくれよ」


 ウルフは老人を睨みつけた。


「二人のためだとかなんとか言ってるが……それはすべて自分自身のためなんだろう」


「なに」と呟く老人の声は震えていた。


「あんたが怖いんだ。娘と禁忌が愛し合うと言うことに悍ましさを……拒否反応を起こしているんだ。だから二人を言い訳にせずにきちんと言いな。自分たちのために二人の未来を潰してくれってな」


「きさまっ……!」


「ウルフ。言い過ぎではないか」



 ユダのその一言は水面に水滴を落とすようにウルフの思考を正常なものへと戻した。


 彼は頭を少し掻き、申し訳なさそうに老人に軽く頭を下げる。


 老人の顔には、それでも不快だという感情が残っているように見えていた……。


「……かもな。だが自分の心に嘘をつきたくはなかったんだ。人間である以上な。気を悪くしたならすまねぇな爺さん」


「……っ」


「仕事はちゃんとする。だから許してくれ」


 老人はまだなにか言いたそうであったが、少し待っても黙り込んだままであった。


 それを了承と受け取ったユダは短く呟く。


「方向は」


「恐らく西南の…町のはずれにある時計塔『石榴塔ざくろとう』へと向かったのだろう。行けばわかる。赤煉瓦の不気味な塔だ」


「わかった」


「あぁ……、それと……おぬしたちの前にすでにここに来た者もいるのだ。そこの窓から少しのぞいてみたまえ。儂は部屋の端にいよう……」


 老人は端に身を寄せてカーテンが開こうと日光の届かない位置に陣取る。


 ユダは窓へと進み、ほんの少しだけカーテンをめくり外を見下ろす。


 そこには棺があった。車輪の付いた鉄製の棺が草むらの上にポツンと在った。


籠姫かごひめの名を持つ禁忌狩りじゃ」

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