5.愚者のために
「ここは白鐘の屋敷じゃねぇな。それなのにどうして白鐘の警備兵がいるんだ」
玄関扉を開けて辺りを見回すウルフがぽつりとつぶやく。
その一歩先を進むユダが軽く振り返る。
「黒鐘孫助が白鐘屋敷を攻めている間に、黒鐘の屋敷をのっとったのだ。白鐘屋敷は孫助ら黒鐘の人間ごと火で焼かれた」
「え……えげつねぇことを……。どうしてそんなこと知ってるんだ」
「蹴られている間に警備兵が漏らした情報を整理しただけだ」
二人はそのまま夜の暗闇の中に向けて走り続ける。
ただただ先へ、先へと。後ろは振り返らなかった。
街を外れ、林の中へ……。
闇と木々が二人を隠していく。
ウルフがふと振り返った頃には屋敷はもう見えなかった。
火事の黒い煙は遠くに微かに見える。
「しかし、あの差出人不明の手紙はなんだったんだ。妙なタイミングで届いたが……」
「あれは私が前もって送っていたものだ。念のためにと作っていて助かった」
ほっと一息つきながらユダが呟く。
地面に軽く腰かけて錫杖の汚れをマントで拭う。
ウルフは木に背中を預けて腕を組む。
まだ疑問は残っていた。
「そもそもあの手紙はいつ出したんだ。白鐘家が黒鐘の屋敷を乗っ取るなんて可能性として考えることはできても、実行するかはわからなかったはずだ。俺だって知らなかったわけだし」
「手紙自体は喫茶店でお前と会う直前だ。郵便屋に黒鐘屋敷に届けるよう渡していたのだ」
「だが、その先のことは……」
「あの手紙を、もしも黒鐘の人間が受け取った場合何の意味もなしはしない。なにせ黒鐘家に白鐘家あての殺害予告が入っただけだ。警戒は強めるだろうが、それだけだ。対して、可能性として薄くはあったが白鐘家が屋敷を乗っ取っていた場合は隙を生む一つの材料になるワケだ。聞いてみると単純だろう」
錫杖を磨き上げてユダは満足そうに笑う。
確かに単純極まりない罠だったが、ユダのハッタリもあって効果は絶大だったわけだ。
ウルフは納得して頷く。
「それで、これからどうする。体勢を立て直して黒鐘屋敷に攻め込むかい?使いつぶされて『ハイサヨナラ』はちと気分がわりぃもんだが」
不満を含んだ声はユダに向かって刺さる。
彼女はしばらく黙って錫杖を触っていた。
「ウルフよ。何故孫助は何の警戒もなく陣地である黒鐘屋敷を留守にしたのだと思う」
しゃらん……しゃらん……しゃらん……
「禁忌狩りが二人逃げました」
黒鐘屋敷書斎にて警備兵によるその報告を聞いた三十郎であったが、意外なことに彼は怒りもしなければ驚きもしなかった。
ただ短く「そうか」と言い、あとは警備兵を責めもしない。
相当怒られるのではないか、と内心おびえていた警備兵はほっと胸をなでおろす。
だがそれはそれで疑問は残る。
ご当主様は何を考えているのだろう、と見つめれば当主の口がゆっくりと開く。
「召使と巫女を呼んで来い。巫女呼びを行う」
「しかし、まだ月は出ておりますが」
窓の外にはまだかすかに月が浮かんでいる。
巫女呼びの日までまだ数日あった。
だが三十郎はそんなことは些細な事だと鼻で笑う。
「構わん。黒鐘亡き今、巫女呼びは白鐘のものと言って過言ではない。それに、巫女呼びさえしてしまえば禁忌狩りが何人逃げようと関係ない」
その言葉に警備兵はそれ以上何も言わず部屋を後にする。
すぐ召使たちに当主の言葉を告げ白鐘家の巫女を呼ぶ。
屋敷が巫女呼びの準備に騒々しくなる中、三十郎は一人地下への階段を下りる。
巫女呼びのための下見のためである。
地下には巫女呼びのための円陣が描かれている。
それは白鐘の屋敷も同じであった。
彼の理論上、白鐘の巫女でも黒鐘の円陣で儀式は行えるものだといえる。
だが、実際に見て確かめるべきだ。
「さぁ、野望はもうこの手の中だ」
三十郎は呟く。
彼の心は幸福に満たされていた。
「知らねぇよ。相手の裏をかこうとしただけなんじゃねぇか」
「それもある。だがそれだけではない」
ユダは錫杖を触る手を止める。
「それに、今後我々は何もしない。あとは白鐘三十郎次第だ」
「どういうことだ」
森の中、鳥のざわめきさえ聞こえない。
微かな風が吹き葉っぱ同士がこすれる音がするだけで、冷たくはあるが遠くから薫る火事の匂いもありどこか落ち着かない。
ウルフの台詞もその環境の影響を受けて少し心配そうであった。
「巫女呼びの儀式は、巫女呼びの日以前にもできるらしいがそのころは力が強大すぎるらしい。それこそ世界征服でもできるくらいにな。つまり、白鐘三十郎が世界征服をたくらむ人間だったならば今日にでも巫女呼びは行われ、良心のある人間ならば巫女呼びは当日に行われる」
「もし世界征服をたくらんでるんだとしたら今すぐにでも止める必要があるだろう!どうしてなにもしねぇんだ!」
ウルフの感情は荒ぶる。
もしもそうだとすればとんでもないことになる。
不安な気持ちはもう爆発しそうで、彼の目は見開かれ眉は吊り上がる。
ユダは座ったままその体勢を崩しはしない。
顔を火事の匂いのする方に向ける。
暗闇の中微かに見える赤は、きれいであったがひどく悲しく見えた。
「実は儀式を行う場所に期間限定の地雷を仕掛けてきたのだ。巫女呼びの日までに足を踏み入れればドカン。屋敷自体が吹き飛ぶ。私は彼の良心を試しているのだ、ウルフ。彼が孫助を殺したことは非常に残念だ。だがその理由が世界征服などというくだらない理由でなければ彼は死ぬことはない」
その時、火事とは真逆の方向から爆発音が聞こえた。
家一つ吹き飛ぶような大きな音が。
ウルフが振り向く。
驚愕の汗を流しながら唖然としてその方向を見つめていた。
ユダは小さくつぶやく。
「仕事はこれで終わりだ。勝者など存在してはならない」
1/2 《完》
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