幼少期編2

父の実家で何か集まりがあるときは、必ず酒がつきもので、

祖父の葬式の後も酒が振る舞われた。

葬儀などという大義名分とは恐ろしいものだ。

酒飲みに至っては、際限なく飲んでいいというお墨付きをもらったかのように飲みまくる。

少し場が白んだと思えば誰かが「親父に乾杯」という言葉とともにまた酒が進む。

男たちは、腰が低いものそうでないものにかかわらず飲むことには変わりない。

その間、女は酒の燗や煮しめや酒のアテになるものを作り続ける。

飲めば減るのは当然なので、

電話で酒の注文をする。

その間、私を含めた子供は座敷から漂い、既に副流煙だらけとなった祖父宅にて長すぎる時間を持て余していた。

毎日父は祖父のためにお銚子を持って酒蔵に日本酒を買いに行かされていたということだ。

当時、焼酎もあったが焼酎は日本酒を飲めない貧乏人が飲むものだということを

その当時に父は祖父から刷り込まれているようだ。

父方の親戚は、強い弱いは別として、みんな酒が好きな種族である。

小学生の頃、私は夏休みと冬休みの通知表をもらうとすぐに帰省という名の口減らしの為、

祖父母宅に預けられた。

私が記憶している祖父の記憶は約10年ほどである。

そこには、父の兄である長兄で、いとこ同士で結婚した叔父と関節リウマチを抱える伯母、

その息子2人も一緒に暮らしていた。

この長兄夫婦のケチぶりというのがとても素晴らしく、

公共料金などの支払いの際には、絶対に玄関には出て行かない。

祖母が財布を持ってハイハイと出て行く。

当時安くはなかったみかんの缶詰を開けるときに伯母は、

「美奈子ちゃんは、汁だけで良かよね」

とにこやかに言った。

目は笑ってなかった。

私も子供ながらに居候の身であることをわきまえていたのか、

「うん。いいよ」

と答えていた。

万事、この調子だ。


祖父の私の記憶は、いつもコタツの中でじっとしているイメージしかない。

しかも笑った顔を一度しか見ていない。

一度しか見ていないものだから、その記憶はあまりにも鮮明である。

別に大したことではないのだが私にとっては、とても嬉しい出来事であった。

父の実家は、私が訪ねてきている時代には納屋とは違い、まあ、当時の田舎の古い家であった。木枠のガラス戸から吹き込んでくる隙間風は、常に家の中の空気をクリーンにしてくれる永遠の空気清浄機のようなものだ。ただ、冬の寒い時期私は、少しでも暖かい場所を探していた。

そんな中でも相変わらずコタツの中でジッとしている祖父なのであるが、私はストーブがそこにあるのを見つけ、冷え切った指先を温めようとストーブの上に両手をかざし、温まるのを待っていた。

待っているだけでは、つまらないので、何か上の空に考え事をしていたように記憶している。数十秒経った頃にいかにケチな家のストーブにしても温まるのが遅いと感じた私は、ザルをひっくり返したようなニクロム線を覗き込んだ。

果たしてストーブは、点いていなかったのだ。

ケチな長兄夫婦は、自分たちがいない時はストーブを消していたのだ。

もしかすると、子供が居るのにストーブを付けて家を後にするのを危険だと思ったなどというのは、多分考えすぎだろう。

「あ」私の口から出た言葉は、その時部屋の中に唯一コタツの中にくるまっていた祖父の耳にのみ入った。そして、一部始終を見ていたらしく、「そりゃ、あったまらんよ」と祖父は笑った。

私と祖父だけのその空間は、なんだか暖かかった。

ストーブも付いていないその部屋は寒かったが、私の体は実際に暖かさを感じていた。

初めて祖父とも通じ合った気がした。この人の血が私にも流れているのだと感じた。祖父は厳しくもあったが、優しい人でもあった。

そして、私からの視点では、彼は公平な人でもあった。

ただ、その祖父母が暮らす一帯は、男尊女卑がとても色濃く残っていた。

もちろんそれは、男尊女卑が底辺にありつつの公平さを祖父は持っていたということでもある。そして、それは父にも引き継がれていき、私の育ちにも大いに関係してくる。

祖父母宅でご飯を頂く時は、今でこそ同じ卓につくのであるが、

私が幼い頃は、祖母と伯母は土間で食べていた。

私が高校生の頃までは、座敷で鉢盛りを囲んで酒を飲むときは、私の祖母を含め叔母全員は台所でなんやかんや酒のアテを作ることに専念していた。

父は、次男坊ということでもあるが長男とは、まったく違う扱いを受けて育った。長男よりも勉強ができたけれども褒められることはなく、飯を炊き、酒を買いにいくことが一番家族から求められていたことらしい。末っ子にあたる三男は、そんな環境の中破天荒な行動を見せはじめ、いわゆる不良と呼ばれる存在になっていった。その三男を木刀で制し料理人の道へすすめていったのは父である。三男と長男10歳以上も年が離れており、三男がそのような状態になっている時にはすでに国鉄に勤め始めていたこともあるが、厄介ごとには首を突っ込まない性質である。

その長男夫婦のケチぶりがいちばん露見したのは、祖父の葬式から1週間経った時のことであった。

少ないながらも蓄えもあり、いくばくかの田畑を持っていた祖父の遺産相続なのであるが、長兄は父の職場である熊本駅まで突然訪れ、その場でこれにサインと捺印をしてくれと迫ってきた。

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