生まれて
私は、9月18日という日が終わり、
それから数分後にこの世に生を受けた。
18日に生まれてこなかったのは、きっと私がそれを頑なに望まなかったからに違いない。
生まれてきたのは、よかったものの、
私の人生において最も口から発せられた言葉は、
「生まれてこなければよかった」である。
なぜにこんなことになってしまったのか…。
この言葉を私は何度繰り返してきたことだろう。
その言葉をリフレインすることで、
私は、自分の存在を明らかにし、
自分を生かす糧としてきたのかもしれない。
この言葉がなければ、私の心も体も空虚なまま、
ただ「生まれてこなければよかった」という言葉だけが私を支え続けた。
果たして私は9月19日に生を受け、
名前を美奈子とされた。
母は、本来は忍という名前をつけたかったらしいが、
父の育った側に忍という名前の狂人がいたということで、
私の名前は美奈子になった。
私は、自分の名前である雄高美奈子という響きを嫌いではない。
むしろ好きである。
変えたいと思ったことは、一度もない。
ただ、雄高美奈子という存在をこの世の中から消し去りたいという思いは、
鉛筆で点を打っていけば、点の集合体ではなく面となるように、
それは私の前に黒々と広がり、やがて私を囲い始めた。
雄高美奈子という存在を認めながら並行して否定し続けるという日々に至ったのには、
もちろん理由が存在する。
誰しも生まれながらにして、すぐに死にたいと思うものはいない。
2、3年前に母から聞いたことだが、
父は、私が生まれたことを病室の外で知り、そのまま仕事に出かけていく際に
「洋子、万歳!」「洋子、万歳」と叫んでいたそうだ。
私の誕生は、彼にとっても嬉しい出来事であったのである。
これだけの事実を引き出してみれば、
私はとても幸せな子供であるに違いない。
両親から望まれ、その生を受けた私であるのだから。
それがどうして私の自己否定感につながっていくのか。
先に両親の生まれた境遇などを記しておこうと思う。
このことは、幼い頃の私はもちろん知りえなかったことだが、
彼らの行動がどうして引き起こされたのか、
創造する上で極めて有用だからだと判断するためである。
父は、4人兄弟の3番目次男として生まれた。
当時、祖父は国鉄職員であったが、かなり貧しい生活をしており、
母曰く、納屋のような家に祖父母長男夫婦、姉、弟が住んでいたそうだ。
父は、家族のご飯を炊くのが役割だったということで、
今でも小鍋で少量のご飯をこげ一つ作らずにそれこそ上手に炊き上げることができる。
祖父も父と同じく酒飲みであった。
毎日の晩酌は欠かしたことはない。
10年患いながらも肺が真っ黒になり機能しなくなってからも、飲み続けていた。
運び込まれた遠方の大学病院の医師は「ここまで痛みに耐えられる人は、そうそう居ません」と管だらけで生きながらえているいわば延命処置なしには生きられない祖父を前に言った。
もう死ぬと誰もが思っていた祖父であるが、驚異の生命力からか、危篤状態からなんと帰宅することになる。
もう死ぬこともわかっていたこともあり、誰も祖父が酒を飲むことを止めることはなかった。
祖父が他界したのは、帰宅してから半年後になる。
祖父のがん患者特有の真っ黄色な遺骨を箸で摘もうとするが、その度にボロボロと崩れた。
祖父の遺骨は一体どれだけが骨壷に入ったのだろう、
一番重いのは、入れ歯じゃなかろうか。
入れ歯は、あの世までこの骨を連れて行ってくれるのか?
とりあえず骨壷にあまりにも余裕がありすぎるので入れ歯は同居することになった。
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