幼少期編10

今でもしっかりと覚えている。父は、私に祖父母宅の最寄り駅に至るまでの停車駅を列挙した紙を渡した。そしてこう言った。「一つ駅に停まったら、この紙を折れ。そして最後の駅になったら降りるんだ」。そして父は、私の席の一つ前に座っていた大学生らしき男性に私の降車駅を告げ、よろしくお願いします。とかなんとか言って去って行った。汽車はホームを滑り出し、線路の継ぎ目ごとに私の体を揺らした。左手に握りしめていたその紙を何度も見返していた。停車駅一区間の時間がやたら長く感じられたが、緊張感の塊の3歳児であった私を汽車は丸ごと運んでいく。2つ目の停車駅が過ぎた時に私は幼心に前の席に座っているお兄さんに何かお礼をしなくてはと思い立った。当時私はおやつはマヨネーズだったが、さすがに汽車の中でマヨネーズを食べなさいということは現実的ではなかったので、うずまきソフトキャンディを好んで買ってもらった。その袋の中から「イチゴ味はあまり好きじゃないかもしれない」と子供ながらに気を巡らせながら、お兄さんに「お世話になります」と言って、3つのソフトキャンディを渡した。島添美奈子3歳の頃である。今よりも、ずっといい人だった。いつからこんなに傍若無人になったのか、それは私にもわからない。


お兄さんは、私よりも先まで乗車しているものだと思っていたのだが、私が降りるよりも2駅前で降りて行った。この次の次に降りるんだよ、と私に告げて去って行った。3歳の私は、当時の車両の椅子のかたさに辟易としながら、あと二つ。と緊張しながら、特に意味もなくお兄さんを見送った。祖父母の住む家の最寄の駅というのは、今の映画のワンシーンになりそうな無人駅であった。誰もいない駅は、まるで死んだ人の家のようで、どこかしら寂しい感じがするものだ。でも、私にとってはそれ以上にその駅のトイレの臭さと大嫌いな蛾がたかっているという情報の方が鮮烈に残っている。ただ、トイレさえ臭わなければ、そして蛾がいなければ、その情景は美しかった。駅が寂しければ寂しいほど美しさは増すように感じられた。春先は菜の花の黄色の絨毯とレンゲのピンクが綺麗なワンピースのようだったし、夏は照りつける太陽が線路をゆらゆらと蒸気させ、秋になれば涼やかな風とともにススキの穂がさやさやと音を立てた。でも、最も印象的だったのはやはり冬だ。周りに建物一つないその世界で独立した無人駅は唯一の他の場所への入り口であり出口でもある。その世界の中で一人佇む私は、決まってどこかで見た風景の真似をして線路に耳を押し当てて汽車の音が聞こえるか試した。音は聞いたことはないが毎日の列車の通過により、サビも落とされた線路の冷たさが耳に痛く突き刺さるようで、私はこの世においてひとりで生きていて、ここからどこにでも自由に走り続けていけるような錯覚を教えてくれた。線路の先は、一点集中技法で描かれた絵画のように真っ直ぐに、ひたすら真っ直ぐに私が乗る汽車が来るのを待っていた。

当時の私は、その年頃で電車に一人で乗せられるのは普通だと思っていたが、今になってみると非常に危険なことのような気がする。おそらく、当時でも危険だったのではないか。よくわからないが私と同年代の子に尋ねても私の他に3歳で一人で汽車に乗せられた人は誰もいない。

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