幼少期編15

警察が来るのは当たり前だったけど、そのおばさん連中はただ、危ないという理由だけでそのイチョウの木を切り倒した。ジイちゃんは特にそういうことに目くじらをたてることもなかったけど、寂しかったに違いない。その頃になるのだろうか、私は西山ジイちゃんのことを書いた作文が学校で入選した。始まりや途中はよく覚えていないが、締めくくりの言葉は今でも憶えている。「みんなじいちゃんのことを悪く言うけど、私は西山ジイちゃんのことが大好きです」。その言葉に今での変わりはない。ジイちゃんは、自殺して死んでしまったけれど、未だに私は謝らなくてはならないことが沢山ある。それは、ジイちゃんがまだ元気な頃、国鉄アパートの官舎の周りは古い使い物にならなくなったレールで囲いがしてあったのだが、私はその端っこにジイちゃんの耳を付けさせて、反対側のレールの端を思いっきり金槌で打った。









ジイちゃんは、「うわっ!」と言って、耳を押さえていたが、怒りはしなかった。怒るよりもそのあと、ジイちゃんは、金槌で打つ場所を変えることで音階が変わることを誇らしげに、私に「これは美奈子ちゃんじゃなくて、僕の発明だ!」と喜んでいた。でも、もう一つのことは、どうも許してくれてなかったらしい。

ジイちゃんが何かの修理かおもちゃを作っていたのか、とにかく外で作業をしているのを通りすがった私は見つけて、ソローっと近づき、思いっきりジイちゃんのお尻を蹴った。そして逃げた。思いっきり走って逃げた。そのことは、ジイちゃんが中学校に竹馬で乗り込んできた時に、私がジイちゃんから見つからないようにコソコソジイちゃんの前を通過しようとしていたら「美奈子ちゃんは、僕のお尻を蹴って、まだ謝りに来ていない!」と拡声器で言われたので、怒ったのか道理を通していないことを私に学ばせたかったのかもしれない。中学生の私にとって、ジイちゃんは、恥ずかしい存在の塊であった。



にしても、小学生の頃のジイちゃんは、私にとってレスパイトする環境として最適だった。だけど、私も段々と友達という存在ができていき、西山ジイちゃんの家に遊びに行くことが少なくなってきた。そんな時、私が友達の家に遊びに行ってる時に西山ジイちゃんは、我が家に怒鳴り込んできた。たまたま家にいたのが幸か不幸か父である。ジイちゃんは、「お前が美奈子ちゃんを遊びに来させないようにしてるんだろう」と父に詰め寄った。父は「俺はそんなことは、美奈子には何にも言わん」「だったら、どうして美奈子ちゃんは僕のところに遊びに来なくなったんだ。お前は社会党だろう」と言ったそうな。その時の話をする父は自慢げだ。酒を飲みながら私に話してくれた「俺は、そん時言ってやった。俺は社会党なんかじゃない。自民党だ!」。まあ、私にとってそれがどんな意味を持つのか知らないが、共産党と自民党が水と油であることくらいは理解できたような気がしていた。ジイちゃんは「そうか」と言って、家に帰って行ったそうである。


別にジイちゃんが嫌いになったわけではない。ただ、他に遊ぶ友達が増えただけだ。でも、ジイちゃんには寂しかったんだろうな。

夏休みになると町内別に集まってプールに行くのだが、その集合場所がジイちゃんの家の目の前だった。ジイちゃんは、いつも嬉しそうに水鉄砲や竹とんぼを作ってくれた。ジイちゃんは、いい人だった。ジイちゃんがいなかったら、私は、もっと早くにこの世から居なくなっていたはずだ。

その頃すでに毎日父のストレスのごみ箱と化していた私だが、学校でそれなりに目立つ存在になってくると、神はさらなる試練を私に与えてくださった。

小学校3年の頃になると私は、それまで通知表に「発表の時は、もっと声を大きくしてください」と書かれるくらい表に出ない子供だったのだが、急に活発になっていく。それは、そうならざるを得ない事情があったからだ。



10

5、6歳の頃から私は父から執拗な折檻と言葉の暴力を毎日シャワーのように浴びせかけられた。そして、その様子を母は何も言わずに見て見ぬ振りをしていた。黒豚、白豚、お前はもうどんなに努力しても何にもなることができないなりそこないだ。お前ほど汚くて醜い人間はいない。どうしてそんなに根性がひねまがっているのか。こんな言葉を毎日聴かせ続けられながらも子供というものは親から愛されるように努力するものだ。学校の成績はそれなりに良い方だったが、それは、俺の遺伝子がそうさせるという彼の手柄であった。父の前で一生懸命に取り繕うと、「かっこつけても中身が腐っとるから変わらん。気持ちわるかだけ」と言われた。今の彼にそのことを言っても、そんな酷いことを言った憶えはないと言う。ただ、私の中での記憶は鮮明なのだ。それがもし、私の脳が作り出した虚構のものだとしても。


11


父は、気がむくと極たまにであるが私と一緒に風呂に入った。決まって父が先に入っていて、途中で私が呼ばれる。私はそれが恐ろしくて仕方なかった。彼から殴られるよりも蹴られるよりも、肉体的なきつさはこの風呂が一番辛い思い出である。父は、自分の背中を私に擦らせた。小学低学年の私は必死になって父の背中を擦り続けた。塩梅が良くなると「代われ」と父が言う。地獄の始まりだ。私も幼心に知恵を絞って、「先にあがってていいよ。自分で洗うから」というと、父は「お前は汚いから、俺が綺麗にしてやらんといかん」と言って、ナイロン製のタオルで私の身体中が真っ赤になるまで擦りあげた。時には、洗う前の湯船の温度が50度近くあったこともある。そして、彼は「ここが一番女で臭くて、汚いところだから、ちゃんと洗わないといけない」と言うと、

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