幼少期編16

私の股間の前後にナイロンタオルを廻し、上にずり上げるようにして前後に何回も擦った。自然と私の片足は上がり、もう片方はつま先立ちになった。でも決して痛いとは言わなかった。言えば父に負けるような気がしていた。ただ、無知とは恐ろしいもので、人から洗われるのはそういうやり方なのだろうと思い込んでいた。この修行はだいたい2ヶ月に一度行われていたように感じる。つい5年ほど前くらいに、ふと思い出したことがあった。道を歩いていると股間がチクッと変な小さな激痛が走るのだ。私は、変な病気になってしまったと思い、そのことをひた隠しにしながら生きてきたが、今となっては、擦り切れたクリトリスにパンツが刺激を与えて沁みていたに過ぎないのだ。無知とは、恐ろしいものである。


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どんなにいいことがあっても、世間からの評判が良くても、私はもう何者にもなることができないなりそこないであった。必死でもがいてももがいてもその煉獄から逃れることなんてできなかった。父の機嫌が少しいい時に、私が口を開いた途端に父の目は座り「今日は、お前は調子よかね。なんにやがっととや」。にやがるとは、少し羽目を外して調子付いているとでも訳せばいいだろうか。その言葉が出れば、次は決まっての娑婆の成り立ちを教えてくれるというありがたい時間が待っているので、秒速で逃げなくてはならない。

私にとって、いや、私を含めて家族全体が家に帰ってくることは、戦場に戻ることを意味していたように思う。


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私はなりそこない、私はどうしようもない、もう人生の先は無い。私は世界で一番醜く、汚く、存在してはならない生き物であるという考えが常に私の思考の底にへばりついていた。

ある日、小学校2年生の頃、学校の朝礼の前に私は何らかの正当な理由があって、席を立っていた。学級委員長をやっていたMちゃんは、理由もなしに私を叱った。その時私の中のトリガーが引かれたのだ。この場でも私の存在が否定されるのであれば、私は死ぬしかない。私は、すぐに廊下の窓から飛び降りた。


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小2にして、初めての自殺未遂である。成功しなかったのは、未だに私が生きているから、全くもって平気だった。2階から飛び降りても運が悪くて骨折程度、私は、小さな茂みなどがクッションとなってほぼ無傷であった。学級委員長のMちゃんは、びっくりしたのか自分が先生から叱られるのが嫌だったのか、私が何の前触れもなく窓から飛び降りたということを先生に報告した。先生は、その理由については何も問わず、ただ罰として漢字を4ページ描きなさいと私に言った。私も何だかその時には、正気に戻っていて、どうして私が罰を受けなくてはならないのかという腹立たしい気持ちを持っていたが故に小さな反抗を試みる。漢字はしっかり学習ノートに4ページ書いた。1ページごとに春夏秋冬を一文字ずつびっしり詰め込んで、先生のもとに持って行った。何か言われるかもしれないと思ったが、先生は、何も言わず、もう飛び降りないようにというだけで、私を家に帰した。多分、私という存在は、先生にとっても手にあまる者であって、どう対応していいかわからなかったのだろう。

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