幼少期編19

絶頂感こそ味わえなかったものの、私と言う少女の中に性倒錯が若干生まれたのかもしれない。当時、比較的近くだった駅前のスーパーに毎週日曜日に母親が買い出しに行くのであるが、私はその間本のコーナーで待っていた。そして、女性の裸体がなんだかクネクネしている表紙を見つけて本屋さんの片隅でしっかりとそれを読んでいた。

読んでいたと言う表現はおかしいかもしれない。ほぼ写真ばかりなのだから、観ていたと言う方が適しているのだろう。ただ、その系統の本にしては、多分大人になった今になってようやくそれがキワモノであることが理解できる。そこに映し出されている女性は、ほとんどが猿轡を咬まされているか、亀甲縛りで宙に浮いていたりしていた。一番多かったのは、ろうそくを垂らされている写真だった気がする。今となって、毎日のようにろうそくを灯すことが仕事になったが、その経験からは、なんの恩恵も得てはいないと思う。もしあるとしたら、少し寒気がする。



そんな性倒錯中の私にさらに美味しい獲物がやってきた。望めばなんでも相手からやってくるものだ。国鉄官舎に住んでいた我が家の隣には、子供のいないご夫婦が住んでいらっしゃった。奥さんは、少し上品に見える人だった気がする。どうしてそんなに記憶が薄いかと言うと、旦那さんの容姿があまりにも特徴があったからだ。その人は、バセドー氏病のような感じでさらに両目の向きがいつも違う方向を見ていた。幼心に見てはいけない、聞いてはいけないものを目の前にしているような感覚だった。その旦那さんの趣味がとても素敵なもので、読み終わったらしい18禁の雑誌を玄関先に恥ずかしげもなく小積んであった。私は、見つからないようにその中から数冊(本当にたくさんの本が放置されていたのだ)くすねて、自分の勉強机の奥底にしまいこんだ。家に誰もいないときは、その本を恐る恐る取り出して読みふけっていた。その本は、比較的文章が多かった気がする。どうも私は視覚よりも言語野からの刺激に弱いらしいことを小学校1年生にして知ってしまった。早熟な私だ。書きながら、よくもここまで赤裸々に書けるなと我ながら感心する。何はともあれ、私には現実逃避する必要に迫られていた。その必要はなくなることはなく、毎日大きくなり続けるばかりだった。その度に私の弟への残虐性も増し、自慰行為の回数も増えた。当時は、その行為自体が邪悪なことのように思えており、決して知られてはならない秘密ではあった。にしても、麻薬のように私を引きつける存在であったことに違いない。


スーパーマーケットの本屋さんにて相変わらず大変刺激性の高い雑誌(当時はビニール袋にも入ってなかったし、紐でも綴じられてなかったのだなぁ)を物色して、これは見たことないやつだと取り出して本コーナーの隅っこに行ってジロジロ黙々とその世界に陶酔していた。どこか遠くで店員さんが「好きだよねぇ」という声が聞こえる。でもだからと言って読むのをやめたら、なんだか勿体無い気がしてその貴重な世界を私は見出すことなく過ごしていた。しかしながら、変化とは、前触れもなくやってくるものだ。それは今私が携わらせていただいている占い業に関しても言えること。どんなに予測したとしても、奇跡というものが起きる以上、その逆の晴天の霹靂というものもなくならない。私の秘匿の時間は、母幸子の一言で終焉を遂げることになった。

「美奈子ちゃん、美奈子ちゃん」。そこにはニコニコしたさちこの顔があった。

さちこの両手にはスーパーのビニール袋。私の手には、陵辱物のエロ本。素敵な親子の記念すべき誕生だ。

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