2.雨を狩る者(中編)

 頭部に生える無数に枝分かれした角。

 身体を支える細い四足は走ることよりも凹凸を越えるために特化し、全身を覆う体毛は胴体の急所となる胸部が深く覆われている。

 レインメーカーは一見すれば鹿型の魔物と変わりない。

 だが、その身体に宿す能力はそこらの魔物とは圧倒的に格が違っていた。






 鋭い目つきは『五柱』を目の当たりにしても敵意が衰えることは無い。

 中肉中背の身体は長い年月をかけて蓄えられた鍛錬と経験によって構築されており、無数の傷跡も残されている。

 その身体を構成する精神も同様に、目の前の敵がどれほどの格上でも相対することに戸惑いは無い。黒髪と容姿は極東人としての特徴を強く表していた。


 長い年月をかけて鍛えられた一つの剣。

 レインメーカーが人間の青年から感じ取った印象はソレだった。

 同時に一つの疑問が浮かぶ。


 どうやって、感知をすり抜け水底に来た?


 水はレインメーカーの支配下であり、何かしらの異物が侵入すればすぐに感知できる。

 そして、この場所に来るには天上の水面を通るしかない。

 全身が濡れている青年の様子からも、天上の水面を通って来たのは間違いないだろう。


 だと言うのに、何故察知出来なかった?


「【玄武】『一門』」


 動揺から動きが止まっているレインメーカーに青年は更に追撃の掌底打を叩き込む。鈍い衝撃がレインメーカーの体を通り抜けた。


 このニンゲンは濡れている――


「【玄武】『重――』」


 トドメの一撃を青年は放った。


「……速すぎだ」


 青年の一撃をレインメーカーは受けていたが、最初の二擊に比べて微動だにしなかった。青年は一瞬で乾いて・・・しまっていたのである。

 あらゆる水を支配下に置くと言うことは生物の持つ水分も例外ではない。


「……」


 レインメーカーの角が光る。

 青年を見下ろす眼光は離れろと言わんばかりに天水の一部が落ちてくる。

 レインメーカーの意思を宿した水面は一部が流動的に変化すると蛇のようにうねりながら青年を取り込もうとしていた。


「冗談のレベルだ」 


 青年は距離をとって意思を持つ水をかわす。水に捕まれば次に出てくるのは水死体になったときだ。

 捕まればその時点で勝負が決まる。


「器用な奴だな」


 天上の水面を維持したまま、他の動作まで行っている。これが世間ではどれ程のレベルなのかは解らないが、容易く出来ることではないと言うことは解る。


「……アイツの言った通りだな。濡れるのが怖いか」


 青年は少女からの情報を思い出していた。






「レインメーカーは濡れるのを嫌う。つまり水が怖いんだ」

「そうなのか?」

「ふふん。奴の体毛は斬擊、衝撃、魔法に対して高い抵抗力を持つ。正面から砲弾を食らっても微動だにしない程にな」

「無茶苦茶だな」

「毒、熱、凍結、他、自身にかかるあらゆる魔法効果を打ち消すオマケ付きだ」


 桁違いの水操魔法を行う事に目が行きがちだが、どちらかと言うとその身を包む体毛の方が厄介なのだ。レインメーカーの体毛はあらゆる障害を完璧に遮断する。


「だが、無敵じゃない」


 青年の言葉に少女は思わず笑う。


「その通りだ。レインメーカーの体毛は水分を含むと全ての耐性を失う。故に奴は濡れるのを何よりも嫌うのだよ」


 完全無欠の生物など存在しない。万物には必ず天敵がおり欠点が存在する。


「皮肉なもんだな。水が弱点でありながら、水を操作する事しか出来ないとは」

「それは前提が逆だな」


 青年の解釈に少女が蛇足を入れた。


「水が苦手だからこそ、レインメーカーは水操魔法に特化しているのだ。どの様な状況でも欠点を補う為にそのように進化したと考えれば納得がいかないか?」


 レインメーカー自身からすれば水操魔法の方がオマケであり、本来の能力は完全防御の体毛であるのだ。


「水操魔法をかわしたとしても、その体毛に攻撃を止められれば勝つことは不可能だぞ?」


 少女は水操魔法よりも完全防御の体毛の方が障害になってくるであろうと予測していた。


「機会は二回だな」


 それでも青年はレインメーカーの能力を全て越え、仕留める機会は二回だけあると踏んでいた。






 レインメーカーは天上の水面より、青年を捕まえるように無数の水柱を落とす。


「これで制限のかかった状態か」


 青年は水柱をかわす。水面が僅かに揺れる初動を見逃さなければ捕まる事はない。

 驚くべきは、天上の水面を維持し続けた状態で、これ程に多彩な水操魔法を別で行えるキャパシティだ。

 何日も前から雨と、この水面を維持している。少なからず消耗もしているはずだと言うのに――


「この程度はまだまだ余裕って事か」


  青年は回避から一転。レインメーカーに接近する。

 接近を妨害するように水柱が落ちて来るが、無駄のない運足にてかわしつつ、真横に落ちた水柱で片腕を濡らす。

 だが、レインメーカーは自分と青年の間に水幕を落とした。

 このまま接近すれば、青年は自ら水の中に飛び込む事になり、足を止めれば水柱に呑み込まれる。


「【玄武】『一門』」


 水幕が吹き飛んだ。水飛沫がレインメーカーに襲いかかる。

 青年は水幕に打を放ち、レインメーカーを濡らす事を目論んだのだ。自分の意思から離れた水飛沫をレインメーカーは横に跳ねてかわす。


「読みが当たったな」


 レインメーカーの避けた先に青年がいた。

 水幕の回避に気をとられ、水操が外れる一瞬の隙をついて青年は水幕を抜けたのだ。

 濡れた右腕に拳を作り、レインメーカーに叩き込む。だが、


「!」


 レインメーカーは逆に前に跳ねると、青年と入れ違う用に拳を回避した。

 鮮やかにも映るその動作は完全に青年の虚を突いた動き。

 それは経験があるか無いかの違い。レインメーカーは青年の挙動から先の行動を予測していた。


 自らの能力と弱点を把握し、数多の戦士との戦いの経験を得ている。青年との近接戦は全て想定内の範囲だった。


「――――」


 レインメーカーを視界に捉えようと振り向いた青年を何かが通過する。


「かっ――」


 それは小さい水の玉。それがレインメーカーの枝角の間から放たれたのだ。音速の水弾は青年の右腕と右脇腹を通過していた。






 レインメーカーはただ強力な能力を持っただけの魔物ではない。

 『五柱』に数えられる魔物とは存在するだけで、人々が滅びを連想する程の災害そのものなのだ。

 水面を維持する為の思考と魔力を維持しつつも、絶えず近接に詰め寄られようとも、その程度では命には届かない。


「……」


 何故外れた?

 レインメーカーは自らの放った水弾が青年の身体の中心を狙ったにも関わらず、右側に外れた事に疑問を抱いていた。


 後ろ目だった為、目測を誤ったか。


 レインメーカーは青年に向き直り、再び、枝角の間に魔力を集中し水弾を作り出す。


「お前を討つ……機会は……二度」


 青年は上半身の力が抜けているかのように項垂れ、そのような言葉を口にする。


「一度目は……もう逃した」


 最初の奇襲が最も勝つ可能性が高かった。しかし、その機会は過ぎ去った。

 脇腹の血は止まらず、右腕も使えない。だが、青年に倒れる様子はなく逆に足腰は安定している。


「ここからが……二度目の機会……」


 その言葉は強がりでも、負け惜しみでもない。青年の中でこれからの結末は既に決まっていた。


「ここからは一つの読み違いが命を左右する。レインメーカー……お前は読み勝てるか?」


 青年の眼はまだ強い闘志を宿している。戦いはここからは折り返す。






「こうして英雄は竜を倒し、囚われていたお姫様を救い出しました」


 ライラは娘のミナが寝付けるように物語を聞かせていた。


 英雄と竜の物語。


 国ごとに異なる解釈がされているものの、結末はどれも同じだった。

 英雄によって竜は倒される。この結末だけはどの話でも覆らない。


「おかーさん。何で竜は英雄に倒されるの?」

「悪い竜だからよ。お姫様を連れ去って、沢山の人を不安にして不幸にするの」

「じゃあ、いい竜もいるのかな」

「ふふ、居るかもしれないわね。なんで?」

「かっこいいもん」


 ミナは特異な才を持つからか、物事の論点が少しだけずれている。

 皆が疑問に思うことを別の角度から捉える事が多く、誤解される事も多々あった。


「だって、そらを飛ぶんだよ! 鱗だって強いし、火もはく!」

「だったら、ミナのししょーとどっちがカッコいい?」

「え? うーん」


 娘の中では空想の存在と実物の存在を比べた際、天秤は平行線のようだ。


「悩み終わったら寝なさい。お母さんは雨の様子を少し見てるから」


 ベッドに入った娘の頭を撫でる。


「おかーさん」


 部屋を出る際に娘に呼び止められて、なに? と振り向く。


「雨、少しだけ弱くなったよ」


 ライラは帰ったときよりも雨音が小さくなっている事に気がついた。

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