4.白き竜姫

 身体が宙に浮く感覚。暗闇に身を任せたと思ったら、意識が少しずつはっきりしてくる。

 目の前に居たのは少女――ルーだった。最初に出会った時のように一糸纏わぬ姿で唇を重ねている。


「……ぼふっ!?」


 思わず驚いて分け与えられている空気を少しだけ吐き出してしまった。

 少女は青年――光陽が意識を取り戻した様を確認すると口づけを止め、今度は額と額をくっつける。


「生き返ったか?」


 骨振動による会話でルーは光陽の安否を尋ねる。


「おかげさまでな。お前、オレの渡したローブはどうした?」

「おいおい、この状況で気にかけるのはそれか?」


 何もない水中に光陽とルーだけが漂っている。確かに今はそれどころでは無い。今は水面に出ることが先決である。

 すると、ルーは手を差し出す。まるでエスコートをするかのような仕草。

 光陽としては、それが悪魔との契約のように見えて進んで手を伸ばせない。


「また溺れたいのか? 我があげられるのはファーストキスだけだぞ」


 変に意地を張れるような選択肢はないか……ていうか、ファーストキスだったのかよ……

 光陽は仕方なしにルーの手を掴む。すると彼女の背中に翼が現れた。


「……本当に……お前は何者だ?」

「黙ってないと舌を噛むぞ」


 水中で彼女の翼が羽ばたくと、引っ張られる要に上に高速で移動を始める。

 射出されたように加速し、そのまま水面を飛び出した。


「おい、止まれ!」


 どんどん水面が点になっていく。


「レインメーカーを倒したらどうなったか知りたいだろう?」


 更に高く上空まで飛翔する。






「全員無事か?」


 津波が収まった村では、家屋のほぼ全てが流れてしまったものの、死者は出ていなかった。


「雨やんだー」


 ミナの言葉に皆が空を見上げる。

 あれほどまで降り続いていた豪雨が嘘のように止まり、天を覆う雲が少しずつ消えていく。


「……これは」


 そんな中で師範だけが地を見ていた。

 自分たちを護った謎の存在。魔法を行使したのならば、何かしらの痕跡があると思ったが案の定、ソレを発見した。


「……鱗か?」


 掌ほどの大きさの純白の鱗。花びらと間違えそうなほどに傷一つ無いソレは、自分たちを囲むように四方に落ちていた。

 その鱗一つ一つに強い魔力を感じる。


「師範、それは?」


 師範の行動を視界の端に捉えたライラは覗き込むように問う。


「……鱗だ。おそらくは……」


 津波が避けた時に水の向こう側に見えた白い影。アレがこの鱗の持ち主だとすれば少々面倒な事になる。


「『ドラゴン』だ」


 それはレインメーカーと同格の『五柱』に数えられる魔物の一体だった。






「おーおー、見ろよ。綺麗にハゲたぞ」

「…………」


 光陽は雲に近い位置でルーの腰にしがみついてアスルの森を見下ろしていた。

 森は溢れた地下水によって一部の木々が流れており、それはエルフの村まで被害が出ている。


「安心しろ。村の奴らは我が助けておいた」

「そうか。ありがとな」


 話を聞いた時は眉唾だったが……レインメーカー一体で地形が変わるほどの被害が生まれている。

 『五柱』は世界を滅ぼす可能性を持つとも言われている魔物。単なる強力な存在である比喩かと思っていたが、そうでは無かった。


「……もう少し慎重に動くべきだったか」


 皆生き残っているのは、様々な事がかみ合って奇跡に近い形で収まったからこそだ。

 今回は本当に運が良かった。こんな偶然は二度と起こらないだろう。


「光陽。一つ良いか?」

「なんだ?」


 自らの行動が浅はかなものであったと眼下の光景を見て反省していると、ガクッとバランスを崩す。


「魔力が足りない。翼を維持できない」

「ちょっと待て! お前、そこら辺を計算して飛び上がったんじゃないのか!?」

「テンション上がってたんだよぅ。それに貴様から魔力を貰えると思ってたから。なのに貴様魔力無いじゃん。ふざけんな」

「ふざけんなはオレのセリフだぁぁぁぁ」


 ルーの翼が完全に消え自由落下を開始する。地面に激突まで十秒もない。


「そう焦るなって」


 ルーは自らに鱗を展開すると、自分が下になるように位置を移動。落下の衝撃を全て受けるつもりだった。

 この程度の落下の衝撃は十分に耐えられる。すると、光陽はルーを抱き締めて庇うように自身が下になる。


「おい。死ぬぞ」

「ここまで来て死ねるか! 翼は出せるか?!」

「出せるが維持が出来ない」

「一瞬でもいい! オレの言うタイミングで翼を出せ!」


 迫る地面。死を目の前に光陽は冷静にタイミングを見極める。


「出せ!」


 翼を開く。すると空気の抵抗を受けて落下速度が極端に落ちた。

 二人は飛び上がった水面に高い水柱を上げて落下する。






「ししょー! どこですかー!」

「……」


 ミナと師範はエルフの村から少し離れた場所にある棄てられた寺院に来ていた。

 一度、濁流に呑まれたはずだが、浸水しただけで建物事態はまだ残っている。

 二人はそこに要る筈である人物の安否を確認しに来たのだが人の気配は感じられない。


「ししょー!」


 ミナは反響する寺院の中で声を出し続けている。


「厄介なものだな」


 弟子は魔力を持たない。もし、声の届かない場所で倒れていたらこちらから見つけることが出来ないのだ。


「生きているなら立て! 光陽こうよう!!」


 師範は弟子の名前を呼ぶ。修練で気を失った時は、この怒声を聞かせると決まって立ち上がっていた。


「しはーん。ししょー、死んじゃったの?」

「……そう簡単に死ぬほど柔な鍛え方はしとらん」


 もしかすれば、森の反対側に行っているのかもしれない。


「ミナ、一旦戻るぞ」

「うー」


 ミナは納得出来ない様子だが、村も大変な状況だ。いつまでもここにいるわけにはいかないのである。

 寺院に背を向けて村へ戻ろうとしたとき、歩いてくる人影が目についた。


「なんだ? アレが貴様の家か? 廃墟じゃん」

「うるせぇな……文句あるなら来るなよ」

「ふふん。我が肩を貸さないと歩くことも出来ないくせに」


 そこにはルーに肩を借りて寺院へ戻って来た光陽の姿があった。


「……もういい」

「もういいって……一人で歩けないんじゃ――」


 師範の姿を見て光陽はルーの手助けを外し、一人で歩いていく。

 そして、声の届く距離で止まる。

 師範は光陽の負傷した右腕と右脇腹を一度見た。


「すみません師匠。不覚を取り負傷しました」

「そうか」

「未熟の極みです。『桜の技』に泥を塗ってしまいました。本当に申し訳ありません」

「【玄武】と【白虎】はどこまで得た?」

「師匠の言っていた『極み』まで」

「双神技は?」

「修めました」

「……」


 師範は歩き光陽の横を通り過ぎる。期待に応えられなかった。光陽は落胆し、師の背中を見れない。


「敵へのトドメは『一門』か?」


 師範は通り過ぎ様に光陽の右腕の負傷から敵に渾身の一撃を見舞ったと見抜く。


「はい」


 光陽は背を向けたまま応える。


「医者を呼んでくる。今日はここからは動くな」


 光陽は歩いていく師範に向き直ると深く頭を下げた。






「一体、どういう鍛え方をしてるんだ?」


 光陽から渡された防水ローブを着ているルーは通り過ぎようとする師範に語りかける。


「お前はなんだ?」

「おっと失礼。向こうでは『白き竜姫』と呼ばれていた」


 ルーの躊躇いの無い返答は荒唐無稽なもの。彼女の向ける獣のような様な眼と、それを信じるに値するモノを師範は見つけていた。


「この鱗はお前のか?」


 師範は助かった時に落ちていた純白の鱗を見せる。


「詫びだ。村の再興には金がいるのだろう?」

「こんなものは売れん。状況が状況なのでな」


 レインメーカーに続きドラゴンまで出たと知れれば、世界中の戦士がアスルの森に殺到する。それだけで無く、アスルの森自体が国の厳重な監視下に置かれ、この地に住むエルフ逹は出て行かなくてはならなくなるだろう。


「レインメーカーの死体はあるのか?」

「あるよ。戦ったのは光陽だがな」


 水を痛める可能性から一応は引き上げてある。場所を知るのは光陽とルーだけだ。


「角の一部を持ってこれるか?」

「全部は要らないのか?」

「逃げたと思わせる方が後々都合が良い」


 まだレインメーカーが居るとなれば、捜索に協力を求められ村の復興の妨げになるだろう。


「後で持って行こう」

「恩に着る。それと先ほどの答えだ」


 師範は光陽を鍛えた経緯を口にする。


「魔力が無くとも生きていけるように鍛えてある。アレは我々の“悲願”だ」


 ルーは去って行く師範にそれ以上は聞かなかった。ミラが光陽に泣きながら抱きつきタックルをくらわせて、光陽が倒れたからである。






「ししょー! 無事でよかったですぅぅ!!」

「師匠って言うなって言ってるだろ。お前を弟子にしたつもりは無い」


 傷口を圧迫するな、とミラを左手で引き離す。


「今更だが、ひどい有様だな」


 ルーは光陽まで歩み寄ると再び肩を貸して立ち上がる。そして、少し離れた石段に座らせた。


「お姉さんだれ?」


 ミナが直接的な疑問をルーに投げかけていた。


「なんだと思う?」

「うー、ししょーの恋人?」

「ぶっ! アハハ!!」


 ルーは思わず吹き出す。そして、光陽の隣に座った。


「だってよ。そう見られてる様だぞ?」

「知るか。ミナ、コイツは恋人なんかじゃない」

「じゃあ、だれ? ししょーの奥さん?」

「アッハハハ!!」


 再び腹を抱えて笑うルーと頭を抱える光陽をミナは交互に見る。


「30年ここにいて鍛錬してるんだ。結婚なんてしてるわけ無いだろ」

「おお? なら貴様もアレがファーストキスか?」

「ししょーキスしたのー?」

「あー、聞こえない聞こえない」


 真面目に受け答えするのが面倒になり、光陽は聞こえないフリをする。すると、灰色の雲の切れ目から光が差してきた。


「はれたー!」


 別の事に興味が移りミラは楽しそうに空を見上げる。レインメーカーによって長引いていた雨季が終わり、これから本格的に暑くなってくる。


「……長い雨期だった」

「我は雨が嫌いだから丁度良い」


 空が晴れることを心から嬉しそうに見上げるルーの横顔は絵になるように美しさを感じさせる。


「ん? お、今見とれてたな。この我の美しさに」

「……見てねぇ」

「嘘つけぇ。顔が少し赤くなってるぞ。本当に血が足りてないのか?」

「本当にめんどくせぇな、お前」

「ふふん。居心地がいいんだよ。ここは」


 雲はレインメーカーが無理矢理作っていたモノだ。本来なら維持できるような時期では無いため従来の天候である晴天に戻っていく。


「ルー、お前はこれからどうするんだ?」

「世界中を飛び回ってみようと思う。元々、そのつもりだったからな」


 自由を謳歌する。いずれ修復された【英雄】が追ってくるだろうが、それまでは自由に生きてみようと思っていた。


「そうか」

「んー、貴様はどうして欲しい?」


 足を抱えるように座るルーは首を傾けて光陽に問いを返す。


「……なんて答えて欲しいんだ?」

「ふふん。さてな、その辺りは貴様の器量に期待す――」

「ここに居てくれ」


 光陽は空を見ながら呟いた。その返答にルーは思わず惚けて彼の横顔を見る。


「お前は魔法に長けてる。村の復興に魔法を使える奴は一人でも多い方がいいからな」


 と、ルーはどことなくため息を吐く。そして吐いてから疑問に思った。

 我は今、落胆……している? 何を期待した?


「うーむ。やはり、この問題を解決してからの方が良いな」

「なにブツブツ言ってんだ?」

「しばらく、貴様の側でやっかいになるよ」


 今までに無い感情を彼から次々に感じる。この気持ちがなんなのか理解する事は今後にもプラスになるに違いない。


「だったら、まずはお前の服を買うか」






 ギルドは魔物の侵攻から人類の衰退を護るために民営組織であり、その規模は全国に及ぶ。

 スポンサーは各国の主要国家であり、【英雄】や【勇者】の支援も視野に入れている。

 ギルト総本部――主塔。


「巫女様!!」


 主塔の【神言の間】にて『神導の巫女』は倒れた。神儀を見守っていた護衛士達は慌てて巫女を抱き起こす。

 凄まじく衰弱している。それだけ、今回受けた神託が重要なモノであった証だった。


「急ぎ、医者を呼べ!」

「サウラを……」


 巫女は言葉を振り絞るように護衛士の一人に伝える。


「サウラ・オーバーンを呼びなさい……今すぐに――」


 その名前はギルドが保有する戦力の中で三指に入る実力者であり、過去にドラゴンを討伐した【英雄】の名前だった。

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