3.雨を狩る者(後編)

「才が無いことを自覚しろ」 


 師にそう言われた。分かっていたことだが、言葉にされるとそれなりにショックだった。


「『一門』は【玄武】の基本だ」


 オレの動作がなっていないと、師が『一門』を行う。

 大地に沈むかの要に深く踏みしめると地にヒビが入る。反ってくる衝撃を下半身から上半身に伝え、肘を終点として突き出す。

 師が何もない空間に『一門』を放つと、周囲に衝撃が広がり、オレの肌を撫でた。

 無駄な動作を限りなくゼロに近づけた『一門』。オレの『一門』に比べて完成されている。


「解るか? これでも無駄がある」


 師は踏み込んだ際にヒビの入った地面を指差す。地が損傷すると言うことは、全ての力を伝えきれていないと言うことだった。


「お前はコレを越えなければならない」


 師は自らが70年以上研鑽してきた『一門』を一週間以内に越えるよう告げて来た。


「始めろ」


 冷徹な師の言葉と視線は4歳にもならないオレにとっては拷問に近かった。






 数多の戦士と戦ってきた。

 剣に才の有る者。

 魔法に才の有る者。

 知略に才の有る者。

 統率に才の有る者。

 相対するならば、その全てを屠ってきた。

 水と渇きは生物にとっては避けられぬ定めだ。


 だが、このニンゲンはなんなのだ?


 目の前に存在していると言うのに、何も感知出来ない。

 渇きはずっと行っている。だが、このニンゲンの様子は何も変わらない。

 右腕と脇腹は致命傷のはずだ。なのに何故……このニンゲンの死を連想できない?


「レインメーカー……お前は読み勝てるか?」


 静かな闘志がニンゲンから漂って来る。今まで戦った中で、最も軽視してはならないその雰囲気が消えた時はどちらかの命が消えたときだけだ。


 迂闊なことは出来ん。


 魔力を角に集中。死角を生む水操は止め、水弾で屠る。






 青年は上半身を脱力し、中腰で項垂れる要にレインメーカーと相対していた。

 対してレインメーカーは水柱や水幕等の、死角を作ってしまう水操を止め、水弾の形成と発射だけに思考を寄せる。

 青年の右腕から流れ落ちる血だけが唯一動いている時間だった。

 青年とレインメーカーは直感していた。動き出した後の数手で勝敗は決する。

 先に動いたのは――レインメーカーだった。






 水弾を放つ。人体を容易く貫通する速度を持った水の弾丸は青年の額を狙っていた。


「――――」


 対して、青年はかわす。右に倒れる要に身体を傾け完全にかわしきる。

 回避した先に更なる水弾が放たれる。彼の重心は崩れている。次はかわせない。

 次に動いたのは青年の脚部。青年にとっては崩れている状態ではなかった。

 緩慢な動き。体勢を戻し僅かな足運びで完璧に回避する。水弾は最初から外れていたように青年には当たらない。


 レインメーカーは焦らない。距離はまだ離れている。撃った順に次弾を形成。発射感覚にパターンを作らない。

 放たれる水弾。しかし、青年は素早く動いていないにも関わらず最小限の動きで避け続ける。

 一見不毛な射撃に見えるが、限界は見えていた。

 レインメーカーの水弾に弾切れは無い。しかし青年は負傷からいずれ避けられなくなる。

 すると青年の肌や服に水弾が掠り始めた。


 なるほど、混乱魔法か。


 レインメーカーは全てのつじつまが合う解を導き出した。

 このニンゲンの持つ魔法は自他共に影響する感覚のジャミングだ。

 正面に居るにも関わらず、魔力を全く感じられないのはこちらの認識を狂わせているからなのだろう。

 最初の奇襲。あの時、細かい認識を狂わせられるニンゲンの魔力を撃ち込まれた。

 感覚を支配する魔法は“浅くて長い”か、“深くて短い”のどちらかだ。

 このニンゲンの混乱魔法は後者。攻撃を打ち込む事で継続出来るのであれば、無手で攻撃を続けるのにも納得がいく。ならば――


 水弾が緩む。そのタイミングを逃さず、青年は距離を詰めた。


 来い――


「……」


 青年は数歩で自らの攻撃の間合いにレインメーカーを捉えた。


 終わりだ――


 レインメーカーは“渇き”を単体ではなく範囲を対象として行う。

 水柱や水膜にて湿った地面が干上がったように乾燥し、全ての水分が失われた。

 生物が死ぬ世界。感覚が狂っていても関係ない。

 全てが渇き、過去一度もレインメーカー意外には存在出来なかった空間――


「【玄武】――」


 だが、彼はそこに居た。

 全てが静止したかのように、渇きの中で青年が地に足を大きく踏み降ろしていた。

 音も無く、ただ発生した衝撃は青年の身体を通る。青年は衝撃を身体を伝わらせ血に濡れた右肘・・・・・・・を終点として打ち出す――――


「『一門』」


 爆発するかのような衝撃が胸部の体毛を通り抜け、骨を砕き、その先にある心臓を破壊するも、そのまま背面に通り抜けた。

 遅れて、青年の踏みしめた部分を起点として、円形に地面が沈むように衝撃が発生する。

 死を受けて、レインメーカーはようやく気がついた。


 このニンゲンのこの攻撃には魔力が――


「読み違えたな……レインメーカー」


 水面みなもが落ちてくる。






 地底湖の底に居たレインメーカーの死によって貯め続けた雨水は落下する。

 地下から発生した衝撃は水脈を通り、森の隅々から亀裂と共に大量の水を押し出した。

 地下水が衝撃と共に噴火のように吹き出したのだ。一部の大地が吹き飛び、森が地面から爆発していく。

 エルフの村では井戸が吹き飛び、少し離れた見張り台の真下も吹き飛ぶ。エルフ達は何事かと家から飛び出した。

 レインメーカーを探しに行こうとしていたライラは慌てて家に戻り、ミナを抱えて避難する。


「レインメーカーの仕業でしょうか?」


 止まらない爆発と地鳴りの中、ライラは師範に問う。


「だとしたら回りくどいが……とにかく今は避難しろ」


 更に揺れが大きくなると森の奥で津波のように地下水が噴き出した。

 それは洪水のように周囲の木々を呑み込みながら川に沿って流れていく。それはエルフの村も範囲に収めていた。

 そして、エルフの村の誰もが放心した。逃げ切れない、と――


「全員、広場に集まれ! 水操魔法を使える者は津波に対して前に出ろ! 土魔法にて土壁を形成し、その他の者は魔法を行使する者に魔力を与えろ!」


 村長であるクルウェルは僅かでも自分たちが生き残る為に指示を出していた。その目は僅かにも絶望に染まっていない。


「ライラ! ミナ! お前達も急げ!」

「はい」

「わかったー! お祖父ちゃん!」


 ライラはミナを抱えたまま広場へ向かう。すると、師範は津波の来る場所とは別の場所を気にかけた。


「師範?」

「何でも無い。行くぞ」


 師範の見ていたのは、ミナが良く行く廃墟となった寺院の方角だ。そこには彼の弟子が一人で住み込んで鍛錬を行っており、ライラも面識があった。


「お弟子さんが心配ですか?」

「アイツは勝手に逃げる。それよりも今を生き残るぞ」






 エルフの村に津波が迫る。僅かな時間で準備出来た防波堤は簡素なモノだった。

 高さにして3メートルも無い。上を蓋して出来るだけ抵抗を無くすために楕円に形を作る。到底耐えられる強度では無いが、水操作を行うことで負荷を軽減できるハズだ。


「来るぞ!」


 クルウェルが叫ぶ。音と津波の接近を肌で感じ、土の箱は津波に呑み込まれた。

 水操魔法にて津波を避けさせているが、その負荷は想像絶するものだった。時間にして一分も無い間だけ耐えれば良い。だが、


「くっ……」


 重い。まるで巨人に踏みつぶされているような重圧は、20人以上の水操魔法でも数秒も保たない。受けてから一秒で亀裂が入り、二秒で亀裂が広がり水が入ってくる。


「諦めるな!」


 クルウェルの声に全員が魔力を最大まで行使する。少しだけ崩壊は停止したが、それでも亀裂と入ってくる水の量は増してくる。

 誰もがこの絶望的な状況を生き抜こうと全身全霊を賭ける。

 しかし、感情では覆らない程の質量を前に無慈悲にも天井が砕け散った。


「――――」


 誰もが目を閉じて死を覚悟したが、有無を言わぬ濁流は襲ってこない。


「……これは――」


 津波に自分たちは呑まれている。だが、この辺りだけドーム状に濁流が避けて流れていた。


「お母さん! すごーい!」


 水の底に居るという幻想的な風景はミラに喜びの声を上げさせる。


「何かおる」


 水幕の向こうに居る存在を師範だけが捉えていたが、水面下ではその姿を正確に確認する事は出来なかった。


 




 まぁ、こんなものか。

 レインメーカーは我を狙っていた。それに巻き込まれて死なれては後味が悪い。

 それよりも本当にやりやがった。あのレインメーカーを。

 制御を失った大量の雨水がその証拠だ。

 奴に色々と制限があったとはいえ、国一つを容易く滅ぼす『五柱』を単身で倒すなど、勇者か英雄にしか出来ないと思っていた。

 興味が出た。






 青年はまだ戦いの場にいた。

 降ってきた水面はレインメーカーを避けるように空間を作り、その中に彼も居る。


「濡れたく無さすぎだろ。お前」


 死して尚も濡れる事を拒むレインメーカーに青年は呆れていた。

 おかげで、落ちてくる水面に押し潰されずにすんだのだが、この出血では泳いで水面に出るのは難しい。


「そろそろか」


 終わりを迎える。

 レインメーカーの角がゆっくりと発光を止めていくと、一瞬で空間は水中になった。

 ここからは賭けだ。

 青年はレインメーカーの角に触れる。

 奴の水操魔法はこの角で制御している。本体が死に命令権が他に意思を持つモノに移るのだとすれば、魔力で満たされた周囲の流れを操れるはずだ。


「……」


 青年は意識を集中し、自らを水面に押し出す要に流れを作る。


「……」


 やっぱり……駄目か。

 何も起こらない。空間を満たした水は静かに沈黙するだけだった。

 後、数十秒で息が出来なくて死ぬ。やはり、魔法の使えないオレは……この世界では生きて行けない。

 レインメーカーが青年から何も感じなかったのは、青年に魔力そのものが無いからだった。






 産まれた意味を探していた。

 オレは何のために産まれたのか。魔力を……魔法を一切持たないオレは何で……産まれてきたんだ?

 ずっと考え続けて、ずっと問い続けて、答えは……コレだったのか?

 レインメーカーを倒す。

 それがオレの産まれた意味だったのか……

 母が死んで、父に背を向けられ、祖父に連れられ、ただ鍛練を続けた。己に問い続けた。

 それで……その答えが……コレ――


 納得出来るわけ無いだろう!!!


 青年は動く左手で必死に水面へ出ようと水をかく。少しでも生きようと、ここで死ぬ事こそ何の意味も持たないと、足掻くように。


 死にたくない……こんな所で死ねない。オレはまだ何も証明していない!!


 だが、息は続かない。到底水面には届かず、出血によって身体の自由も効かなくなり力も抜けていく。


 死にたくない……死にたく……ない――


 意識を手放そうとした時、声が聞こえてきた。


“聞こえて……いるか?”


 青年以外に誰も居ない空間に彼を探すような声が響いていた。


“どこだ? どこに居る!? |光陽!!”

「オレはここだ! ここに居る!! ルー!!」


 届かない声。水で満たされた空間。残った空気を青年――光陽こうようは吐き出すとゆっくりと意識が消えて行く。

 光を失っていく瞳には白いドラゴンが飛び込んでくる様が映っていた。

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