3章 剣の英雄と紅き炎竜
38.いつの日か
「君の炎は森羅を灰塵とする。その前に立つことは死を意味するね」
彼の事は誰も知らなかった。
『師範』もサウラ・オーバーンも彼の事は詳しく知らない。
二人が『紅き炎竜』を前になす術もなく焼き殺される所で彼は現れたのだ。
「この灼熱は天下を全て焼く。ヒトに越えることは出来ないと君は世界に証明したんだ」
彼は剣を持つにはあまりにも弱々しかった。
痩せこけた頬。目の下の隈。血の気のない顔色。素人目にも彼は重度の病を患っているとわかる。
立つことさえ満足にできない身体は二人の英傑を退けた『ドラゴン』を前にしても圧される事はなかった。
彼は目の前で炎と共に睨みつけてくる『ドラゴン』へ告げる。
「ごめんね。僕ばかりだ。願いが叶ってしまうのは……」
本当に申し訳なさそうに彼はドラゴンを見る。
彼からは戦意と言うものがまるで感じられない。木陰で本を読んでいそうな程に穏やかな雰囲気で剣を持っている。
『ドラゴン』が咆哮を放つ。
全てを焼き尽くす炎が乗り、爆発のような一撃は彼を呑み込んだ。
剣が振られる。
それは無駄がなく、万人が見ても美しいと感じる一太刀――
炎は断たれて霧散し、その向こうにいる『ドラゴン』の身体も両断していた。
「いつの日か……君が納得できる者が必ず現れる。僕じゃなくて……ごめんね……サニー」
巨体が崩れ落ち、彼も膝を着くと前のめりに倒れた。
彼の命を使った一閃は、彼を知らずともレッドフォレストでは語り継がれる。
この国に伝わる英雄譚―――『剣の英雄と紅き炎竜』となって――
太陽が真上を照らす時間帯。
パチリ、と駒を打つ気味の良い音が桜の屋敷に響いた。
縁側に置かれた将棋盤を間において対面する人物は
彼は彫の深い顔を更に険しくして聞き返す。
「それはどういうことだ?」
「慣れと言うモノはあらゆる感覚を鈍化させるという事だ」
対戦相手はゲンサイとは対照的な少女ルー・マク・エスリン。
桜色の髪が特徴的な彼女は単純にボードゲームをするだけでも絵になる存在であった。
「そもそもおかしな話だよ。元は『心臓』を破壊する流れだっただろう? それがなぜ保持する事になっている?」
ルーはゲンサイから昨夜の招集の時の事を詳細に聞いた上で自身の考えを口に出す。
「【最強】の件が上がり、【勇者】がその討伐に向かう事になったからだ」
「『心臓』の話を先に出したのは?」
「【勇者】だ」
「なら尚更意味が解らんな。その時に『心臓』は破壊したと話せばよかっただろう? わざわざ持っているなど教える必要はない」
あの時は【勇者】が『心臓』を知っていたことに驚くあまりに王が口を滑らせてしまったと思ったが……今思えば少し不自然だ。
「王都全域に少しだが『ドラゴン』の魔力が混ざっている。軽度の汚染だな。それも極僅かなものだから誰も違和感に気付けない」
「……『紅き炎竜』が意思を持って我々を操っているというのか? 身体は既に白骨化し、厳重に封印してあるのだぞ?」
「『ドラゴン』にとって肉体はさほど重要ではない。意思、能力、魔力などの存在を構築する源となるのは『心臓』だ。ソレは封印などして抑えられるモノではなく、漏れだす魔力は強い支配力を持つ」
【英雄】や『五柱』程に強力な“個”ならば影響は無いだろうが、それ以外の存在は知らずに干渉を受ける。コレを他者が回避するには根幹を破壊するしかない。
「【死眼龍】はその辺りが凄まじかったんじゃないか? 特に『心臓』を道具として見ている奴ほど、そこに付け込まれやすい」
「……一つ教えてくれ」
「ん?」
「朝起きたら協力的になったが、何か目的でもあるのか?」
昨晩の敵意な様子とはうって変わって、彼女はゲンサイの提案を呑むと言って来たのだ。
彼女を拘束していた蔵には侵入された様子があり光陽が接触した事だけは解った。
一番仲の良い様子だったので説得したのだろうと思っているが、見返りを何も要求しないのは逆に勘ぐってしまう。
「魔法の使えないアイツを表向きは誰も護ろうとしないからな。一人くらいは大手を振って隣に居るくらいが寂しくないだろう。知ってる? 光陽って結構寂しがり屋なんだよ」
「お前も追われている立場だぞ」
「些細な
冗談にも本気にも聞こえる声色でルーは駒を打つ。
「それはさておき、今は『心臓』と【最強】が問題だろう? 協力すると言ったが、現状で我が出来る事は何もないぞ」
ゲンサイは返す様に駒を打つと腕を組む。
「【勇者】はそっちとしてはどう見る?」
「あの手の奴は常識が欠けてる上に理の枠にハマった超人だからなぁ。強いっちゃ強いんだが……【最強】に勝てるかは微妙なとこ。一度顔でも会わせれば解るが、会いたくねぇ」
「【魔王】を倒したと言う噂があるが」
「ああ、アレね。うん、まぁ、コメントに困る。ていうか色々とおかしい」
歯切れの悪い様子にゲンサイは理由を問う。
「奴は【魔王】は倒してない。少なくとも【英知の魔王】はまだ生きている」
ルーが確認できる限りでは【英知の魔王】は【勇者】と相対こそしたものの、死んだという事にはなっていなかった。
中腰で地面に根を張る様な重厚な構え。端から見れば亀の甲羅のように素早く反応することが困難の様に見える。
しかし、相対して初めて理解できるのだ。
打ち込む隙などまるで有りはしない、と――
「これが【玄武】だ」
早苗にせびられて光陽の見せた【玄武】の構えは何者にも打ち崩せない堅牢な様を再現している。
「凄いなぁ。どう打てば良いかわからないよ」
ソレを同じ“桜”である事で理解できる早苗は素直に感心していた。
「お前は何を修めているんだ?」
「ボクは【朱雀】と【白虎】かな。【白虎】に関しては修行中」
「【朱雀】はどこまで進んでる?」
「技の三つは修めた」
「“極み”もか?」
「え? なにそれ?」
目から鱗と言いたげに早苗は光陽に聞き返した。
「師から聞いてないのか? 四大系統の内、【白虎】【玄武】【朱雀】にはそれぞれ技の他に“極み”と呼ばれる絶技も存在する」
「えー!? 『双神技』は知ってるけどソレは初耳なんだけど……」
「師が何も言わないのは理由があるのかもしれないけどな」
「それでも納得いかないよ。よし、後でお祖父ちゃんを問い詰めよう」
鉄砂のと戦いで早苗の【朱雀】を見たが、この年齢にしては完成度が極めて高い。
自分がこの頃はまだ【玄武】の最中で【白虎】には毛ほどにも触れることは出来なかった。
「それとさ、えっと……兄――光陽さん」
「なんだ?」
兄呼びしようとした早苗だが、恥ずかしさが上回り前の呼び方に戻す。
「光陽さんは【玄武】と【白虎】の“極み”を修めてるんだよね?」
「ああ」
「じゃあ見せてよ。特に【白虎】の方」
サナエは共通の系統である【白虎】についての情報を求めていた。
「いいが、理解は出来ないと思うぞ」
「ふふ、心配は要らないよ、ボクは天才だからね」
サナエは道着の帯を締め直し、光陽に立ち合いを所望する。
「……そうだな。お前くらいならギリギリ通じるか」
「よし、来い!」
その瞬間、光陽は【白虎】の“極み”を早苗に向けて繰り出した。
「お二方、朝食のお時間です」
二人を呼びに道場へ訪れたシロウはサナエが光陽から大きく距離を取った様だった。
「……光陽さん。今のって――」
何が起こったのか当人だけが理解し汗が流れる。
「サナエ、お前は天才だな。コレが通じるのはその証明みたいなものだ」
シロウの眼には何らかの技を光陽が仕掛けてサナエが避けた様に映った。
しかし、光陽は一歩も動いていない。
「今のが……」
「【白虎】の“極み”だ。まだやるか?」
「いや……いい」
サナエは改めて『桜の技』の奥深さを知った。同時に今まで散漫だった【白虎】への熱が内から湧き上がるのを感じる。
「お二方、朝食の用意が出来ましたよ。あまり待たせ過ぎると奥様が下げてしまいます」
終わりそうにない様子をシロウの声が断ち切った。
イレギュラーズ 古朗伍 @furukawa
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