37.甘夜
雲一つない夜空には太陽に代わった月が屋敷を照らしている。
月光で明暗の分かれる縁側に座りながら
「お義父さん。ちょっと良いかしら~」
そんなゲンサイの元へケイが姿を現す。彼女は光陽と会話した際に気になった事を伝えに来たのだ。
「どうした?」
「まずは薬ね~」
サナエの持ってきたエルフの村の薬と、自らが調合したモノを合わせた薬をゲンサイに手渡す。
「すまんな」
「問題はたくさんあるわね~」
「ああ。だが『死眼龍』の時ほどではない」
修羅場は幾つも潜り抜けてきている。その経験から問題が起こってもそれに対応できるように出来る限り手を打ってきたつもりだ。
「やっぱり、この国も心配?」
「契約が全てではない。無論、優先順位があるのだろうが……イザとなれば『崩月』は他の者に任せようと思う」
「簡単には目を背けられないものね~」
かつて、【剣の英雄】と共に救ったこの国はひどく未熟だった。【紅の炎竜】の傷跡から立ち直るには新たな旗印が必要だったのだ。
英雄譚と言う名の支えは人々に希望を与え、自らの補佐もあり国を再び機能させる事が出来たが、同時にいくつかの問題も浮上している。
「良くも悪くも、過去を打ち砕くのは未来に生きる者たちだ。ワシのような老骨の出番はないかもしれん」
『崩月』に然り、【紅の炎竜】に然り、遺志を継ぐ者たちが強く育っている。ようやく肩の荷が下りそうだ。
「一つ気になる事を光陽が言っていたの~」
「なんだ?」
「“【麒麟】を継ぐ者”に会ったって~」
煙管の動きが止まる。その事は光陽には話していない内容なのだ。故に、光陽の口から【麒麟】の名が出てくるのはおかしい。
「なんと言っていた?」
「『崩月』が少し早くに始まるって」
ゲンサイは少し考える。僅かな懸念が取り返しのつかない事になるのは過去に何度もあった。その度に大切なモノを失って来たのだ。
「明日『本家』に連絡を頼む」
「内容は~?」
「『崩月』の予兆がどうなっているのかを再確認してほしいと」
もしも、『崩月』が早まるのだとすれば今世代の戦士たちの招集を早めなければならない。
夢を見た。
久しく見たことが無かった夢は虹色だった。
と言うよりも、虹色の空間。オーロラのように空間が動いているかのように、色が入れ替わる。
観客は大勢いるだろう。だが、その空間には二つしかいない。
黒き鎧を身にまとった【英雄】と純白の鱗を持つ【ドラゴン】。
剣は銀閃を生み、鱗は灼熱を纏う。
高速で飛行する際に発生する熱波と風圧にヤツは耐える。
熱で溶ける鎧は端から再生し、旋回してくる我に剣の切っ先を向けてくる。
その度に、心の底から不快感を覚えるのだ。
お前は何もないのか? 何も感じないのか?
【英雄】と決められ、崇められ、【ドラゴン】を討ち取った果てにお前は何を得る?
名誉か? 財宝か? それとも美しい姫か?
そんなモノはどこにも無い。この空間を見ろ。こんな所には何もないんだぞ!
なのに、何故殺し合う? いや……こんなものは殺し合いですらない。
どのように世界を彩らせるかを検証するための代物だ。その為に、何度も繰り返すのだ。
ああ……そうか。自我を持ったから分かるぞ。お前はただの道具だ。
中身の無い道具。剣を振るだけの偽物。少し前まで我もこうだったと思うと鳥肌が立つ。
望まれているのは死。それも劇的な演出の果てに討ち取られる瞬間だ。だが、貴様は【英雄】ではない。
我の【英雄】ではない。
そんな
背中に疼痛。黒い煙と共に姿を消したヤツが背後に現れ、背を剣で刺したのだ。
鱗を易々と貫く【英雄】の剣は例外なく竜殺しの力が宿る。
不意の痛みにバランスを崩し、そのまま地に落下する。油断したが翼は無事――
目の前に現れた【英雄】の首を狙った剣を上体を起こして躱す。そして、至近距離で
閃光がヤツを飲み込んだ。影さえも跡形もなく消え去るほどの熱量は物質が消滅するほどの高温であるのだが――
くっそが!
いつの間にか身体の内側に潜られ、無数の斬撃を受けていた。臓腑が飛び出したような感覚と、激痛に身体から力が抜けていく。
自らの血で池を作りながらその真ん中で伏せる様に停止する。唯一機能する視界には、トドメを差しに来るヤツの姿があった。
痛い……もう嫌だ……なんで……こんな……こんな事を……繰り返さなくてはならないんだ……
剣が命を絶つ――
「ぁぁぁああああ!!」
不意に目を覚ましたルーは錯乱するかのように爪を振り回した。
「! おい、ルー!」
力任せだけでも脅威的な膂力を発揮する彼女の両腕を掴んで止めたのは光陽である。少しだけ爪が掠めた頬は切れて血が流れた。
「はぁ……はぁ……光陽……?」
「急に起き上がるから吃驚したぞ。嫌な夢でも見たのか?」
落ち着いた様子を確認してから彼女の両腕を離す。ルーは驚いた眼で彼を見る。彼女の呼吸は荒く、肩で息をして顔面は蒼白だった。
「何で……ここに?」
「ケイさんからここに入れられてるって聞いてな」
「封印式はどうした?」
この蔵を囲むように認識が不可になる封印が施されていたハズだ。
「特に何もなかったぞ? 入り口にも鍵はかかってなかったしな」
「……ぷっ。あはは」
封印とは範囲内の魔力を介して作用する妨害現象だ。その為、魔力を持つのであれば、ソレを軸に縛られる事となる。だが、光陽にはそれらの常識は何も通用しない。
「大丈夫か?」
笑ってはいるものの、乱れた呼吸と先ほどの取り乱し様を見ればただ事ではないと分かる。
すると、ルーは彼に抱き着いた。
「少しだけ……このままで」
遠慮なく踏み込んでくる彼女らしい行動ではあるのだが、震えている様子からいつものスキンシップとは異なる行為だと察した。
「…………」
目を閉じると彼を感じる。暖かい体温。心臓の音。包んでくれる心地よさ。悪夢によって冷えた心が少しずつ満たされて行く。
「ルー」
「なんだ?」
抱き着いたまま顔を上げる彼女と眼が合う。高い位置にある蔵の窓から差し込む月明かりが彼女を神秘的に見せた。
「指示をくれ。封印式を壊すから、師匠に気付かれる前に逃げろ」
「いいのか? そんな事をすればお前が責め苦を受けるぞ」
「お前がこんなところに閉じ込められ続けるよりはずっといい」
「我は良くない」
む、と眉を曲げて光陽を見る。
「お前を犠牲にする自由など悪夢もいいところだ。それに逃げるという選択肢もあるだろう? 一緒に世界を見て回ろうぜ」
笑顔で提案してくるルーに光陽は困った笑みを浮かべた。そして、肩を掴んで彼女と正面から向き合う。
「オレは無理だ。まだ、何も証明できていない」
「ちぇ、お堅い奴め。たまには息抜きしないと前と後ろもわからなくなるぞ」
「オレは自分の宿命に目を背けるほど強くない。だけど、お前は自由であるべきだ」
ルーの居る場所はここじゃない。もっと広い空を自由に飛び回る意志と能力を持っている。
「それをオレが原因で縛りたくない」
すると彼女は彼の頬に両手を添えて瞳と瞳を見据える。
「我は縛られてなどいない。お前の傍に居るのは我の意志だよ。お前は……我が嫌いか?」
今までで一番、不安な表情でルーは彼に問う。こんな表情も出来るのだと、光陽は優しく彼女の頭を撫でた。
「そんなわけあるか」
「じゃあ、好き?」
「……いい女だと思う」
「ずりー! ちゃんと答えてもらおうか!」
はっきりさせようぜ! と、ルーは悪戯な笑みを浮かべて光陽を押し倒す。
はだけた浴衣から覗く肌が月の光によって影になり漂う彼女の匂いが充満していく。
「ふふん。もう逃げられないぞ――ん?」
「今、すごく怖いんだが……」
「こっちのはそうは見えないが?」
「そういう事じゃない。今までにない感覚に自分を制御できる自信が無い……」
「そう言えば未経験だっけ?」
「人並みに知識はある。けど、ここまで理性を抉られるとは思わなかった」
「気にするなよ。正直言うと我も初めてでな。心臓が吹っ飛びそうくらい、ドキドキしてる」
「……師匠が言ってたけど覚悟を決めれば大概の事は出来るってよ」
「ふむ、じゃあ覚悟完了してくれ」
「オレかよ……」
「我は完了してる」
「…………なんか、こんなことしてて良いのかなって思っ――」
「えーい」
色々奪われた。
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