36.蝋燭の火
階段を下っていた。
洞窟のような質感の壁。下り階段はねじ曲がり先が見えないが不思議と歩き辛さはない。
奈落の底へ向かうような、錯覚はあれど不安はなかった。
なぜ、ここに居るのか。なぜ下っているのか。それを考えていると階段に終わりが見えた。
そこは地底のように薄暗く、凹凸のある岩が点在する拓けた場所。そして敷き詰められるように無数の蝋燭が存在し、その全てに火がついている。
「……ここは」
「やぁ」
奥の凹凸に座る影が声を発した。形の安定しない影は辛うじて人型に見える。
「あんた誰だ?」
「ここには驚かないのかな?」
「なんとなくだが……恐いところじゃないってのはわかる」
ここに来るのは当然のような気がしてならないと感じていた。それは内にあるモノだからだ。
「ここは君の中だ。この蝋燭についた火が君の命だよ」
「……【青龍】を得たからか」
「正解。【青龍】は他の“桜の技”と違うからね。それに『崩月』も近い事もあって僕に寄っちゃったみたいだね」
「お前、誰だ?」
影が笑った気がした。それはとても嬉しそうに――
「君たちの一族からは“【麒麟】を継ぐ者”って言われてる」
「知らね」
「嘘」
「その辺りの話は何も教わってない」
昔、母から聞いたことはあるが寝物語程度の知識だけだ。持っている桜の知識は【玄武】と【白虎】の技のみ。その歴史などは全くと言っていい程に知らない。
「随分閉鎖的だね。君はあれかな? 引きこもり?」
「色々と事情があってな。それに『崩月』ってのはなんだ?」
「50年に一度のお祭りだよ。でも諸事情により今年は少し早めで始まる。そして、今回の相手は僕たち“桜”だ」
「『崩月』に参加すればお前に会えるのか?」
「会えるかもね。それまで生きていればだけど――」
不意に、ブツンっと意識が途絶えた。
「……」
畳に敷かれた布団の上で目を覚ました光陽は横の戸から差し込む月の光りで目を覚ました。
服は着替えられており、ゲンサイに打たれた左胸が僅かに傷む。月明かりの窓に目を向けると、縁側に座る師の背中が見えた。
「起きたか」
身を起こした光陽の気配を察し、ゲンサイは振り向かぬまま煙管を嗜む。
「師匠……オレはどのくらい――」
「眠っていたのは二時間だ。どこから記憶がある?」
「『重撃』を打たれる寸前までです」
「……そうか。お前は【青龍】を宿した。だが、制御するには至らなかった」
「……鍛錬を積みます」
「【青龍】は鍛錬を積むことは出来ん」
それは“桜の技”において【青龍】だけが特別だからだ。
「昔、“桜の技”はこの世に存在する生物の長所を模していると説明したな」
「はい」
【玄武】は大地に強く力を預ける亀を想定し、【白虎】は瞬発力を軸にした猫を想定している。
「だが、【青龍】だけはこの世界に存在する生物ではない」
『ドラゴン』という存在は居る。だが『ドラゴン』は十人十色。同じ能力を持つモノは今まで確認されておらず、過去の伝承者がソレを参考に【青龍】を編み出したとは考えづらいのだ。
「【青龍】は外ではなく内に宿るとされ、原点より唯一変わる事のない“桜の技”として伝わっている」
時代によって対応する技に変化しなければならない三つとは違い、【青龍】だけは既に完成されているのだ。
「人によっては心身ともに膨大な負荷がかかり、使い続ければ廃人となる。お前には伝えたが、多用することは控える事だ」
「……他に【青龍】を使える者は居るのですか?」
「現状はヤエだけだ。ここ数代で最も優れた使い手だろう」
今回の『崩月』においても、ヤエは重要な戦力の一つとして数えられている。
「光陽、【青龍】を使うなとは言わん。だが、中途半端な真似だけはするな」
「はい」
「飯を食ってこい。ケイがお前が目を覚ますまで待っている」
ゲンサイは煙管の中に残った燃え
「……師匠。差し出がましいと思いますが、一つ教えてください」
「なんだ?」
光陽は一度も振り向かないゲンサイの背に対して正座をして尋ねる。
「桜エトは……桜陽華の事を――母の事を愛していたのですか?」
「……お前はどう思う?」
「オレは……あの人の事は分かりません」
父との接点など殆どなかった。まともに会話をしたことさえ記憶にない程に無視されていたのだ。
どのような人物であるかなど推し量れるハズはない。しかし――
「ただ、母があの人を愛していたのなら……」
「本人に聞け。お前がアイツから聞き、自らで出した結論が真実だ」
台所には椅子に座って本を読むケイの姿があった。すると、現れた光陽に視線を向けると優しく微笑む。
「もう大丈夫?」
「はい。ご迷惑をおかけしました」
「ご飯、食べるでしょ? 座って。温めなおすわ~」
用意されている椅子に光陽は座る。ケイは魔法で火をつけ、鍋を温め始めた。慣れた手つきには無駄はなく、あっという間に目の前に食事が並べられる。
「足りなかったらおかわりあるからね~」
「ありがとうございます」
と、用意された箸を使って口に運ぶ。初めて食べる味だがおいしいと思える味付けだった。
「美味しいです」
「ありがとう~。サナエは美味しいしか言わないし、お義父さんは何も言わないで食べるから~、光陽の反応は嬉しいわ~」
人に見られているのにあまり不快な感じはしなかった。しかし、
「ケイさん。一つ質問をしても良いですか?」
「いいわよ~」
失礼な質問に当たるだろうが、それでも心に抱え続けるよりはマシだった。
「桜エトは貴女を愛していますか?」
「ええ。愛していると思うわ」
悩むことも表情も変えることなく即答するケイに光陽は少しばかり肩透かしを食らった気分になる。
「貴方の事はお義父さんから聞いたわ。けど、あの人を“父”と呼べないのは恨んでいるからではないのでしょう?」
「……はい」
父を最後に見たのは、30年前に祖父に連れられて『ジパング』を出た時に一瞥もしなかった背中だった。
「あの人も次期当主として、偉大な父を持つ身として他よりも責任を持たなくてはならないの。けど、光陽の知りたい答えが、あの人を殴らないと気が済まないモノだったら躊躇う事はないわ。貴方と一緒で、あの人も不器用だから」
家族は仲良くするだけではなく、時には本気でぶつかり合わなければならないと、ケイは告げる。
「それに憧れだったのよ~。親子喧嘩で息子に味方するのって~」
現在の桜家の次代は光陽を除き女児である事もあり、息子も欲しかったのだと彼女は笑った。
「あーちくしょう」
屋敷の母屋から離れた蔵の中でルーは目を覚ました。中は古びた物がいくつも入っているが丁寧に整理されていることもあり空間にはまだまだ余裕がある。
余裕のあるスペースに布団が敷いてあるところを見ると、ここで寝ろという事であるらしい。
「……怒りに振り回され過ぎたか」
まったくもって手玉に取られた。理性など欠片もない、力任せの戦いは自力が勝っていても技の一つで容易く制圧されてしまう。
怒りという感情は、キッカケがあれば炎のように力が湧き上がるが、同時に理的な性質が失ってしまう事が欠点だ。今後の改良点として覚えておこう。
「それにしても――」
ルーは扉を触ると、途端にすり抜けるような感覚に陥る。五感に作用するモノは封印術の中では相当な代物だ。
「二重の『古式封印術』は難しんだが……『本家』とやらも人材の質は高いらしいな」
封印を形どる魔法は多種存在するが、特定の場所に縛り続けるモノは特に強力だ。周囲の物質全てに作用し、外界とは感覚的に隔絶する。
この手の封印術の弱点は効果のある土地から離れる事が定番の攻略であるのだが、建物や洞窟に押し込める事でその欠点を補完できる。
「……めんどくせぇ」
封印術を解こうとも思ったが、無数に絡まった紐を解くようなものだ。ヒマで仕方が無くなったら手に付けるとして今は――
「ふざけた対応だな。老害」
『気づいていたか』
反響するようなゲンサイの声が蔵の中に響く。
封印式の一部に、外部との通信が出来るように組まれていたのだ。この意図をルーは理解し、渋々会話に応じる。
「これが『桜家』の客人に対する対応か」
『客人でも暴れれば、それ相当の対応は取らせてもらっている。秩序のない場所ではないのでな』
「身内同士には秩序はないのか?」
ルーは光陽に対するゲンサイの対応が特に気になっていた。二人の関係は師弟である以上に祖父と孫であり、決して無下に出来ない絆があるハズだ。
「なぜ、血の繋がった肉親にあれだけのことが出来る?」
『必要だからだ。魔力を持たぬ身でこの世界で生きる為にはな』
「我にはそうは見えない。貴様ほどの力を持つのなら、いくらでも守れるハズだ」
『どれだけの力を持とうとも、我々は“過去”からは逃れられない。前にも言った。アレは我々の悲願なのだ』
「生贄にでもするつもりか?」
『そのつもりなら30年前にやっている』
僅かながら混じる感情的な言葉に、ルーはそれなりの事情があるのだと悟る。しかし、そんなモノは彼女には関係なかった。
「そんな狂った考えは一生理解できない。隣に居れば貴様を八つ裂きにしてやる」
『蔵に押し込んで正解だった』
「ふん」
光陽が居なければ土台ごと封印を抉って消し飛ばしている所だ。
「聞くだけ聞いてやるよ。我と何を話したい?」
『話に応じてくれるのか?』
「貴様の孫娘に感謝するんだな」
ゲンサイは気に入らないが、サナエには列車の席を用意してくれた借りがある。どのような形であれ、助けてもらった恩は返す主義であった。
『今、この国で抱えている問題がある』
「『最強』と『心臓』だろ?」
『……耳が早いな』
「貴様たちのアナログと一緒にするな。先に言っておくぞ、我に協力の意志はない。協力する義理もない。後、貴様がムカつく」
『気が変わったら言ってくれ』
「べー」
心の底からの嫌悪の様子から今は交渉の余地はないと判断したゲンサイは少し時間を置くことにした。
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