9.竜の遺品
レッドフォレスト公国は領土の七割が深緑に覆われた森の中の国である。
濃い魔力が地中から溢れ、それを得て育った木々は高い耐火性を有している。
軍の装備は鎧甲冑のようなものではなく、森の中を走破するために比較的に軽装で弓や短刀などの暗殺と遊撃を想定した形態となっていた。
環境に適応した装備と訓練は『師範』桜玄斎の指導の元で進められており、レッドフォレストの軍事力の底上げに成功。精屈な軍として他国には認識されていた。
王都セントラルフォレスト。
ゲンサイの屋敷は彼の要望で故郷の住居を模して木造で作られた平屋であった。
指南をするために道場も設けられており、彼が国に証明した功績の高さが伺える。
『桜道場』と名付けられたその場所で鍛練している人影が存在した。
道着を着る三つ編みの後ろ髪が特徴の少女はゲンサイと正面から打ち合っていた。
「【白虎】『白尾』」
ゲンサイは向かってくる拳の一つを見切り、かわしつつ手首を掴むと少女の身体は一瞬で全てを支配された。
投げられる。次に自分の身に起こる事態を判断した瞬間、身体は掴まれている手首を起点に大きく宙を回転する。
「ほう」
しかし、少女は投げられている最中にゲンサイの道着の襟首を掴み、決まるハズだった技を中断させた。
「【朱雀】『天脚』!」
逆さに宙で止まった状態から振り下ろされる蹴打はゲンサイの頭を容赦なく狙っている。
「甘い」
手首は掴まれたままだった。予期せぬ方向に再びバランスを崩され、『天脚』は空を切る。
「うわ!?」
そして、次の手は用意して無かったのか、そのまま尻から床に落ちた。少女は受け身は取ったものの、若干失敗し衝撃の大半を臀部で受ける。
「あの状況は【白虎】以外では返せんぞ」
痛たたた、と尻をさする少女に先程の攻防で有効な返しを指摘する。
「ボクには【白虎】は向いてないよ。【玄武】教えてよ」
「戯け。己の基礎がなっとらん事を技のせいにするでないわ」
「だって【白虎】難しいもん。センスがないと覚えられないんでしょ?」
「そのセンスがなければ教えたりはせん。早苗、お前の特性は【朱雀】と【白虎】だ。【玄武】は伝えられん」
「じゃあ、【青龍】は?」
「戯け。二度も言わせるな」
少女――桜早苗が起き上がるまで待っていたゲンサイは頭を抱える。
「じゃあさ、お祖父ちゃんから一本取ったら教えてよ」
「口だけは達者な奴だ。よかろう。一本取ったら、【青龍】を伝える。ただし、ワシが勝ったら【白虎】を体得するまで【朱雀】は使用禁止だ」
「お祖父ちゃんの勝つ条件は?」
「お前が敗けを認めるまでだ」
「いいよ」
二時間後。
「何をやってるデースカ」
ギルドの要請を受けて、アスルの森へ向かう途中だったサウラは、ゲンサイの屋敷へ足を運んでいた。
そこで彼が見たのは紐で繋いだ小瓶サイズの壺を足で転がす早苗の姿だった。
「……修行」
「なんかアホデース」
「うるさいなぁ……あ、サウラさんじゃん」
サウラの魔力を感じた早苗は思わず手を止めた。
「手を止めるな。今日中に衰えた感覚を取り戻すのだぞ」
「わかってまーす」
犬の散歩のようにランダムに転がる壺に早苗は意識を集中する。
「サウラか、久しいな」
「お久しぶりデス。
サウラは両手を合わせて敬意を込めてお辞儀を行う。
「元気なようだな。各地での活躍は聞いているぞ」
「
これ、お土産デース。とサウラは城下町に売っていた肉や野菜などを手渡す。
「場所を変えるぞ。少し話がしたい」
ゲンサイは、サボるなよ、と早苗に釘を指すとサウラと共に道場から母屋へ移動する。
「『死眼竜』の遺品でも見つけたか?」
ゲンサイは母屋の居間でサウラから要件を聞く。
「まずはこちらヲ」
サウラはギルドで複製されたドラゴンの絵を出す。
「見事な絵だ。ゲルマンが描いたか」
「アスルの森デース。つい、一週間前に模写したそうデス」
二翼二脚のドラゴンである。色はついていないが、美しさを感じ取れる。
『白き竜姫』。ゲンサイはそう名乗る少女の事を思い出した。
「師父は当時、アスルの森に居たと存じマス。なにか、知っている事があるのではないデスカ?」
だか、貴様は殺せないだろう!?
ゲンサイは思わず笑みが浮かんだ。あれほどに無邪気な敵意を向けられたのは久しぶりだったのだ。
「師父?」
「ああ、すまん。お前の知りたい事は何もわからん。あの時は、津波から生き残るので精一杯でな」
それも事実である。そもそも、まだあの地に少女が留まっている確信もない。
「……そうデスカ。では、この件は自分の眼で確かめるとしまショウ」
「そうしてもらえると助かる」
「本題はこちらをデス」
サウラはゲンサイの元に来なければならなかった、本来の目的を目の前に置いた。
赤石。掌程大きさになるソレは首から下げられる様に装飾が成されている。
濁った血のように赤黒く、宝石としての価値は皆無だ。
「……どこで見つけた?」
だが、ゲンサイもサウラも赤石の価値を知っていた。
「この国の流通拠点にて『悪魔付き』を祓った際に元凶が持っていまシタ」
「『紅の炎竜』の意識が残っているか」
レッドフォレストに伝わる『剣の英雄と紅き炎竜』の物語。子供の寝物語で聞かされるソレは最後はドラゴンの復活を暗示して締め括られる。
単なる物語だと人々は信じて止まないが、一部の者たちはそれが真実であると知っていた。
「こんな近くまで『心臓』が来ていたとはな」
「王都に入れば師父でも感じ取れたでショウ。今は抑えていマスガ、とても禍々しい魔力デス」
「肉体に戻ろうとしたか。よく見つけてくれた」
「偶然デス」
装飾には赤石から発せられる魅了の魔力を封じる為にサウラが一部の式を組み換えてある。
「『剣の英雄』に渡して欲しいのデス。あのメスガキなら破壊出来るでショウ」
「これで『紅の炎竜』に関しては始末がつく。だが、お前が直接渡した方が早かったのではないか?」
態々こちらを介さずともサウラなら国王に取り次ぐ事も容易い。
「あのメス。ワタシの神を侮辱しまシタ。本来なら十字架を運ばせる所デス」
会わない理由は個人的な事であるらしい。サウラは自らの信仰を妥協しない。今では少し方向性が変わっているが。
「そうか。これで、少しは後方の憂いが晴れそうだ」
これでこの地を離れることが出来るとゲンサイは安堵する。
「旅行デスカ?」
もうじき起こる災害に備えるためにゲンサイは帰省する必要があったが、後任も育って居ることと戦時中という事あって今回は見送ろうと思っていた。
「『崩月』だ。時期が近づいていてな。お前も来てくれれば心強いのだが」
「予定が合えば伺いマス」
「バトルしようぜ」
光陽はルーに言われ、一度息を吐いて呼吸を整えると拳一つ高い身長から若干見下ろす形で彼女を見る。
「断る」
「ん? なんでだ?」
「戦う理由がない」
そろそろ、決められた当番の時間である。配給の手伝いをするために光陽はルーとすれ違って去ろうとした。
「己の生まれた意味を知りたいんだろ? 我は知ってるぞ。貴様がなぜ生まれたのか」
光陽の足が止まる。ルーは後ろ眼に笑みを浮かべながら言葉を続けた。
「……そんなわけないだろう。出会って一ヶ月もならないヤツが何でオレが30年以上探し続けてる答えを知ってる?」
「レインメーカーの情報は的確だっただろう?」
疑問を解消する一言は信憑性を帯びた一言であった。ルーが提示したレインメーカーの情報は一般に公開されていないモノが殆どで、その全てが的中していた。
「知りたいなら教えよう。だが、貴様に借りは全て返しているから知りたければ我と戦え」
意図は解らないし、ルーの提示する情報が真実である保証はない。それを考えればあの甲冑の言ったことも真実であると言えないのだ。
「……一つ礼を言わせてくれ」
「ん?」
「お前のおかげで目が覚めた。やっぱり、他に言われた事は当てにならない」
己の生まれた意味。それは他人から提供されるモノではない。納得できる答えは自分自身で掴み取る必要があるのだ。
「だから、これは礼だ。相手してやる」
光陽は構えを取る。その様子にルーは光陽の意思が自分だけに向いてくれることにどこか嬉しかった。
「我はルー・マク・エスリンだ」
「オレは桜光陽だ」
改めて互いに名を名乗り合う。そして、ルーが仕掛けた。
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