8.学ぶべき事

 日々の鍛錬が何に繋がるのか、何を成すのか……オレには分からなかった。

 母は身体が弱く常に床に伏せていた。オレを産んだ時は命がけだったらしく、出産後は数日の間、意識不明の重体だったらしい。


 父には嫌われていた。

 何かした覚えもない。母にその事を聞いても、母は微笑みながら“恨んではだめよ”と優しくオレに言い聞かせるばかりだった。

 その理由を知ったのは5歳の時。


「お前には魔力が無い」


 祖父から言われたその言葉の重さがどれほどのモノだったのか、当時は分からなかった。

 3歳の時、妹が産まれると同時に身体の弱かった母は亡くなった。

 味方である母が居なくなり、何も期待されなくなったオレは周囲から孤立して行く事となる。

 それでも唯一の身内である父に気に入られようと努力した。しかし、父の眼は冷たく、実の親子とも思えぬほどに会話を交わした記憶は殆どない。

 それでもオレが死ぬことが無かったのは血がつながる者として最低限の責務だったのだろう。

 他がどんどん魔法を覚えていく。特に妹は天才的な素質を持っており未来を期待されていく。だが、オレは魔法が使えない。

 世界を知れば知る程、歴史を紐解けば紐解くほど、偉大な先祖たちの能力を見れば見るほど、魔法という概念が世界そのものを構築している。


 複雑な構築理論から一般的な事柄にまで浸透している魔法は魔力が無ければ扱うことが出来ない。

 魔法が使える事が当然の世界で、魔法が使えなければ標準の生活さえもままならないのだ。

 魔力が無いオレは生まれながらに世界から孤立していた。誰もが当然にできる事をオレだけが出来ない。

 後から知ったのだが、妹も2歳になり自我が目覚め始めた頃、父は本格的に妹に家柄を継がせることにしたらしい。

 今までは最低限の体裁としてオレを生かしておいたそうなのだが、その時にオレの処分が決まっていた。

 当時のオレにそんな事が分かるはずもなく、処分寸前で祖父がオレの手を引いた。

 故郷から連れ出され、祖父が身を置いている地へ連れてこられたのだ。だが、祖父に優しさなど微塵もなかった。

 優しく語り掛けてくれることも、暖かい言葉を貰ったこともない。祖父の言葉は一つだけ。


「お前は、魔力を持たない。何のために生まれたのか最後までに証明して見せろ」


 鍛錬が始まった。

 【玄武】と【白虎】。

 桜家が伝える四大系統の内の二つ。時代によって変化を繰り返すその武術は、魔法を織り交ぜた術理として伝わっている。

 だが、魔力が使えないオレは別の力を引き出さなければならなかった。

 無いモノを目指す。生半可ではない鍛錬は、5歳と言う年齢にも容赦なく襲い掛かる。

 何度も泣いて、何度も弱気になって、何度も動くことを停止した。その度に祖父はオレを見つけて、叩き起こし、叱り、強制的に続けさせた。

 何のために生まれたのか。無意味なのか、それとも意味があるのか。

 嗚咽を漏らし、強制的に続けさせられる鍛錬に身を削られながらも、何度も何度も同じことを考えて、オレは……自身がこの世界に居る意味を考え続けていた。

 理不尽だと思ったことも何度もあった。しかし、何を憎めばいいのかも分からない。

 唯一残っていた母との優しい記憶も塗りつぶされていく。悲しく、苦しく、狂いそうになりながらも、ずっと……

 5年、10年、15年、20年。

 祖父に連れてこられてから20年経った時、祖父はオレに一人で続けるように言い残して去って行った。

 オレは、自分が解放されたとは思わなかった。それ以外の事は何も知らなかったし、まだ答えは何一つ出ていなかったからだ。

 それから10年の歳月が流れ、30年目の雨季にアイツと出会った事が分岐点だった。






 生い茂る木々の間を飛翔する矢はその先に見える草食獣の首もとを完璧に射ていた。

 草食獣は二、三度、よろよろとふらつくと、そのまま地面に倒れる。


「流石だな。エルフはみんなこうなのか?」

「まぁな。だが、数ミリの隙間射ちが出来るのは村では俺くらいだ」


 ドラグノフは村の狩人達を引き連れ、津波の被害がなかった地区へ狩りへ出向いていた。

 理由は食糧の備蓄と腕が鈍らない様にする為である。ノルマは一人一頭。持ち矢は三本だけで仕留めなければならない。


「それにしても、お前さんが『千里眼』持ちだったとはな。もっと早く言ってくれよ」

「エルフは眼が良いと聞いていたからな。余計な世話だと思った」


 ルーはエルフの狩りに同行していた。三本以内で獲物を射ると言うフレーズに興味に興味があったからだ。


「命が消える瞬間だと言うのに、どことなく高揚してしまうな」


 一方的に命を奪っておいて、達成感を感じるのは良いことかどうか考えさせられる。


「実際にそうだからな。矢が当たれば誰だって達成感がある。狙って当たったなら特にな」

「全ては消耗品か」

「そんなことは無い。獲物は全て俺達の糧になるさ。無意味な事は何一つない」

「この世界の全てのものに役割があると言うことか?」

「難しい事を考えるんだな。俺たちは日々の生活で精一杯だから、そう言う話は色々と考えさせられるよ」


 ドラグノフは仕留めた草食獣を背負うように縄で固定する。そして、獲物を捕ったことを仲間に知らせる耳笛を吹いた。


「何か悩みでもあるのか?」


 ドラグノフはどことなく、ルーの様子を察した様だった。


「何故そう思う?」

「年頃の娘を持つ父親の勘ってやつだ。ハズレなら鼻で笑って聞き流してくれ」


 仲間との合流地点へ向かうドラグノフの背を追うようにルーは続く。


「よくわからんのだ。我自身も」


 あの時、ゲンサイが光陽に対して放った言葉に対して理解不明な感情が沸き上がり己を制御出来なくなった。

 自分が侮辱されたわけでもない。なのに衝動的に攻撃を仕掛けていた。


「老練者が光陽を侮辱した。我はそれが嫌で老練者に拳を向けたんだが光陽に止められた」

「おお!? お前さん……師範に手を出したのか?」

「続けていればあの老害を灰にしていた」


 一度見た動きに二度の遅れは取らない。それに『白尾』の秘密も解けている。


「その話は一旦置こう。村でもあまり話さない方がいい。師範を慕ってる奴も多いからな」

「心得た。我もエルフ達と荒波は立てたくない」

「話を少し戻そう。多分だが、お前さんは納得出来ていないんじゃないか?」

「納得?」


 思いもしなかった事を言われ、間を置かずに聞き返す。


「マナセから聞いたんだが、光陽に助けられたそうだな?」

「ああ。でも借りは返したから特に気にしていないぞ」


 レインメーカに関する事で色々と助けている。寧ろ、こっちが借りを作ったかもしれない。


「なら、尚更納得出来ないんだろ」

「訳がわからん。何が言いたい?」

「お前さんは自分が考えてる以上に、光陽の事を気にかけてるってことだ」


 すると合流地点に到達し、ドラグノフは他の仲間と獲物の見せ合いを始めた。






 レインメーカーによる津波の被害から一週間が経過した。

 寺院に一時的に住居を構えるエルフ達は、その生活に慣れていく。

 狩りは三日に一度。ギルドからの支給はあるものの、不測の事態を想定しての備蓄は必要だった。

 そして、津波によって流された大木の撤去が終わり、塞がれていた道が開通され本格的な復興が進み始めた。


「よっしゃあ! お前らぁ! 先に井戸を直すぞ! 喉が乾いたら大変だからな!」

「イェッサー!」

「作戦開始ィイ!」


 エルフでは挙げようのない声が村から響いていた。

 獣人族を中心に構成されたギルド支援部隊「ライフリング」第4中隊は要請を受けてから四日で到着した。

 到着と同時に何が必要なのかを瞬時に判断し、最低限のライフラインの確保を始めたのである。


「こいつらが来たか。騒がしくなるな」

「お久しぶりです。お祖父様」


 褐色の肌に頭部から生える二本の角が特徴の角有族の女は隊の管理を任されているギルドの職員だった。


「エキドナか? 暫く見ない内に出世したな」


 クルウェルはエキドナの腕章を見て正式な職員に昇格している様を察する。


「遠征ばかりですが、戦場での功績が大きかったらしく一年前に昇格しました」


 エキドナは捨て子だった。幼い頃、アスルの森に捨てられていた所をライラが養子として引き取ったのである。


「戦場はパープルナムか? 『ナイトウォーカー』はまだ制圧出来ないのか?」

「目処は未だに立っていません。更に隣国のブルーも気になる軍事行動を取っています。ロックさんもまだ暫く前線にいるそうです」

「そうか。無事ならそれでいい」


 エキドナは改めて村を見渡す。

 流された家屋に、変わってしまった地形。自分が暮らしていた頃の村は跡形もなくなっていた。


「ひどい有り様です」

「だが、死人はいないし、お前が元に戻してくれるのだろう?」


 ギルドが彼女を派遣したのは現地のエルフ達と連携がスムーズに出来るようにである。


「全く同じにとは行きませんが」

「構わんよ。少しくらい変わっても。必要なら村の者たちにも協力させる」


 皆もエキドナには積る話もあるだろう。


「必要最低限の家屋と井戸は使える様にします。後で皆さんの家をどこに建てるのか、ちゃんと話し合いましょう」

「皆に時間を作るように言っておく」

「それと、ひとつ教えて欲しいのですが」

「なんだ?」


 それはギルドがエキドナに与えた任務の一つだった。


「最近『ドラゴン』の痕跡、又は姿を見ましたか?」






 命はここにある。

 氣を介し、身体が生きていると感じ取れる。

 足を前後に開き半身に。中腰に落とし、大地を感じ取る。深く安定した体勢は決して倒れる事の無い重厚性を作り出す。

 【玄武】の基本の構え。本来の【玄武】は緩慢な動作から生み出される一撃必殺技が基本である。

 当てる事を重視した場合、踏み込みは浅くなり威力も半分になるが、それを想定した技も存在している。

 光陽は構えを取ったまま、動きを停止した。

 己の意味を問う。

 目を閉じると、視覚情報が消え、聴覚、触覚からも意識を手放す。

 肉体は意識を留める器。五感は命を繋ぎ止める枷。

 五感を一つずつ停止することで、枷を外していく。

 五感全てが停止し、世界との境界線が消え、混ざって行く。

 枷を外し、肉体を離れると、世界と繋がり、意識は何もない空間に存在していた。


 ……


 光陽がこの場所に来たのは、氣によって歳を取らなくなった頃。初めて来た時は夢から覚めるようにすぐ元に戻った。

 ここはどこで、なんなのか。知るよしもない。

 空は果てしない晴天。足下は雲の上に居るかのようによく見えない。

 そして、自分以外のナニかが居た。


「……なんだ?」


 座り込み、剣を肩に立て掛けて休んでいるソレは全身を甲冑に包んでいる。

 初めてだった。この場所に自分以外のモノと会うことが出来たのは。

 甲冑は光陽を認識したのか立ち上がる。よく見ると所々ボロボロで、一部焦げており片腕は砕けていた。


「お前は……なんだ?」


 光陽は甲冑に問う。警戒心を抱きつつ対応できるように身構える。


『己ノ生マレタ意味ヲ知ッテイルカ?』


 声では無く心に直接話しかけてくるように、深く意識に伝わって来る。


「お前は知っているのか!? オレが生まれた意味を?!」


 甲冑は剣を横に寝かせ光陽に差し出した。


『正シキ終ワリヲ、タガエルコト』






 唐突に意識が肉体に戻った。同時に襲ってくる強烈な疲労感は先程の場所から帰った際には毎回感じるモノだった。


「……ハァ……ハァ……」


 甲冑が言った言葉。信憑性は何もないが深く心に刺さった。

 魔力がないと祖父に告げられた時のように、証拠が無くとも絶対的な確信を感じる言葉だった。


「正しき終わりを……たがえる……?」


 意味を整理する必要がある。今のままでは何もわからない。


「危険な事をしているな」


 そこへ一週間ぶりにルーが光陽の元に姿を現した。


「疲れてるところで悪いが少し付き合ってくれるか?」

「一体なんだ?」

「改めてバトルしよう。我と」


 悪い笑みを浮かべるルーはこの地を離れるにしても、光陽との関係だけはハッキリとさせたいと思っていた。

 

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