curtain call/光の底でダンスを

「ママ、なにこれ?」


 娘はお喋りと走り回ることが大好きないたずら盛り。ゆえに、狭い部屋では隠し事など無駄である。未熟な薄い皮膚を持つ小さな手が一枚の印刷物プリントアウトを握っていた。粗く印刷されているのは写真だ。夫の目にすら触れさせたくはなかったのに。


 薄い再生繊維紙リサイクルペーパーは粗悪なものだったけれど、あれから数年を経ても残したかった景色は色を保っている。船内通貨コインを奮発しただけはある。

 中心にいるのは男女一組であり、うち一人はわたしだ。もう一人は夫。雑多な人間の集まる中で、光を浴びて奇跡のように浮かび上がっている。ひざまずく夫がわたしの手の甲に接吻を落としているところ。


「一言で表すのは難しいねぇ」


 娘に進んで教えたい事柄ではない。船内管理課の友達に無理矢理ゆずってもらった監視カメラ画像なのもそうだし、出来事として娘の生まれる経緯の発端になっているのもなかなか。幼い子どもにはどれくらい噛み砕いて教えるべきなのだろう?



 影が支配するダンスホールの中心には、スポットライトが青い月のような舞台を作っている。低く音楽が流れているものの群衆の中の誰もその光の中には出て行かない。ゆらゆらとリズムを刻みながら、闇に紛れながら何かを待っているようだった。


 がちがちに身体を固めたわたしは控えめに言って異物でしかない。


 傍らのツィゼの手をきつく握った。熱を持つ指はすでに軽やかに四拍子を数えている。こいつ、ちゃんとエスコートするって言ったけど本当なんだろうか。しっかりつかまえておかないとすぐにでも飛んで行ってしまいそう。


「ギィジヤ、ちょっとその隅のトコで待っててくれ」

「は? さっそく手を離すの?」

「すぐ、すぐだからさ」

「……わかったわ」


 人の群れの合間を縫って泳ぎ去る背中を視線で追う。筋骨たくましい男たちが肩を叩いたり、なにか話しかけたりしていた。あぁ、ここは彼の居場所なのだと実感が降りてくる。

 果たしてわたしはこの場に排斥されずに最後までいられるのか。周囲のざわめきは不安を煽るばかりだ。


「待たせたな」

「次ひとりにしたら帰るから」

「キビシイなぁ、心するよ」


 胸の底を揺るがす重低音が響き、いよいよ本格的に曲が始まる。ツィゼは気持ちよさそうに身体を揺らしている。


「ほら、ギィジヤもリズム取ってみろよ」

「どうやるのかわかんないのよ」

「フィーリングでなんとかなれば早いんだが。ま、お前の場合はアタマで先に理解した方が近道だろうな」

「頭でっかちで悪かったわね。あんたと違って机上の空論が得意なの」

「悪かねぇよ。そういうとこが嫌いだったら付きあってねぇし」

「やめてよ人前で恥ずかしい」

「とっくにバレてるだろ。本題に入るぞ。リズムは数えりゃなんとかなる。今日は全部おんなじカウントになるように頼んであるから」


 さっきのはそういう根回しだったのかもしれない。気が利かないわけでも、自己中心的なわけでもないのはわかっている。


ワンツースリーフォー。一、二、三、四」


 両手をつないで向き合ったまま、ツィゼの低い声が数字を歌う。


「肩の力抜いて」


 触れられれば固まっていた身体の芯もほどけていく。ちらと目をやればスポットライトの中には二、三人の踊り手が激しい技を披露している。そちらに見向きもしないでわたしの瞳をのぞき込んでくるのは恥ずかしいような誇らしいような。

 身体を揺らすことにも次第に慣れて、たまにステップを踏んだりしてみる。嬉しそうに頬をゆるめてくれるのも手を引いて動きを助けてくれるのもなんだか今までにないことで泣いてしまいそうだった。


 くるり、くるりとツィゼの手がわたしを回転させる。浮遊感、遠心力、まわるまわる。


 いつのまにか明るいところで踊っていた。すなわちスポットライトのあたる場所センターで。音はわたしを溶かして、なにか違うものに変えてしまったみたいだった。細胞すべてを揺らすリズムがわたしを高揚させる。


 顔が熱いのは身体を動かしているから? それとも興奮? でなければ照れ?


 ツィゼは軽やかにステップを踏みながらわたしをいざなう。もう異物ではなくなったわたしを。まわりからの視線なんてもう気にならない。


 はじめて自分の力でターンを決めたとき、音楽が止んだ。ツィゼがひざまずいてわたしを見上げている。右手を、骨ばってごつごつした彼の両手が包んでいる。


「ギィジヤ」

「な、なに……?」

「結婚してくれ」


 これまでの比ではない熱が全身を駆けた。口笛だか指笛だかわからない甲高い音が囃したてる。声なんて出そうもない。乾いた息が喉を過ぎていく。かわりに動かそうとした首は何年も油を差していない機械のようにこわばっていた。


 やっとの思いでうなずけば、ホールは拍手の嵐に見舞われた。ツィゼには顔見知りなのだろうけれど、わたしには今日会ったばかりの他人ばかり。でも居心地の悪さはさほど感じなかった。音楽は、ダンスはわたしのかたくなな輪郭をそっとひらいて、この場の全員と細くつなげてくれたようだった。


 かくしてわたしは妻となり、彼は夫になった。


 たまたまこの場面をチェックしていた船内管理課の友人が冷やかしてきたので、軽く殴ってプロポーズの場面の画像データを手に入れた。わざわざ印刷したのはちょっとした気まぐれのつもりだ。



 結局なんて説明すればいいのか思いつきもしない。ため息をつく。

「それはね、昔のわたしとパパよ。よかったらパパに見せてみなさい。あなたが生まれる前の話をしてくれるかも」


 データは端末に残してある。だけどこの印刷物プリントアウトはあまりに儚く、娘が大人になる頃には消えてしまうかもしれない。


「それは壊れやすいから、大事に扱ってね。わたしのだいじなものだから」

「え、そうなの?」


 おずおずと薄い紙を差しだしてくる。叱られるとでも思ったのだろうか。


「ありがとう。じゃ、一緒にパパに見せましょう? なんて言うかな」

「ママだーいすき、じゃない?」

「ふふ、だったらすてきね」


 夫は今日、船の外で働いているはずだった。そろそろ日没の時間であり、いくらもしないうちに帰ってくるに違いない。そうしたら一緒に夕食を摂りに行って、帰ってからお披露目しよう。


 最近は娘のことばかり見ている夫の、ちょっとした惚気でも聞けたら最高だ。

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地中の繭と荒野の船 夏野けい/笹原千波 @ginkgoBiloba

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