b-1.残光

 扉は有るが窓は無い。薄暗い食堂では狭い空間に人の呼気が溜まって蒸していた。換気フィルタは気休め程度の効果しかない。加熱された精製澱粉デンプンの匂いに油脂っぽさが混じる。今日はアタリかもしれないな。


 受け取った樹脂プレートには昆虫の揚げたのと植物片、主食の白っぽいペーストが載っている。蛋白質が合成じゃないのは何日振りだろうか。空席を探しているとツィゼがゴツい手を挙げて俺を呼んだ。

「よぅ、お疲れ。今日は船外だったろ?」

「そっちこそ。どこ行ってたのさ」

「山ん中の探索。お前は管轄外だろ」

「まぁな。俺はしがない掃除屋なもんで」

「どの職も大して変わらんよ。しょーもなくて、だが無くなったら全員死ななきゃならん。偉そうな仕事してる繭ん中のお貴族様被守階級人の連中ともども、な」

「違いない」

 肩をすくめると、ツィゼは豪快に笑った。ついでにバリバリと虫を喰らう。俺も揚げたてのそいつを口に運んだ。外骨格の硬さが歯に響く。香ばしいってのはこうだ、と脳ミソが記憶を上書きする。


 速やかに補給を終えて立つ。手狭な食堂では常に誰かが席を探していた。俺たちが去ったあとには男女の二人連れが座った。

「おいルォロ、あいつらデキてんじゃん?」

「かもな。喜ばしいことだろ、人口維持万歳」

「冷めてんなぁ。お前は誰か居ねぇのかよ」

 相手もアテもねぇよ。苦々しく答えれば、それ以上は追及されなかった。

「ま、急がなくてもな。それより腹ごなしに踊ろうぜ」

「明日、雨じゃん。お前は内勤だからいいかもしれんが」

「掃除屋は水がないと始まらんからなぁ。過酷な仕事だぜ」

「晴れてりゃ資材屋の方が危険じゃねぇか」

「天気の悪い日に外に出るのに比べりゃマシだと俺は思うね」

「遠出なんてまっぴらだよ、俺は」

「うるせぇよ。いいから踊ろうぜ。風呂の順番が回ってくるまで、な」

 こいつは最近ダンスに凝っている。単調なトレーニングに比べれば娯楽的だし、肉体労働者に絵なんかのちまちました趣味は似合わない。ゆえに荒っぽい踊りは人気があった。


 引きずられてホールへ。食堂と違って青っぽい光源は日没直後の空に似ている。半ば影と化した群衆の中心では、男二人が技を競っていた。回転、キック、大きく回す腕。ときに格闘のような動作も見せる。相手に向かって突き出す拳は、それが暴力でない証にギリギリのところで止まる。組み敷くようなそぶり、そこから抜け出すしなやかさ。投げ飛ばされて軽快に着地する身のこなし。

 歓声が高くなる。勝負はついたようだ。大柄な方の男が観客の中に引っこむ。ツィゼは意気揚々とフロアに躍り出た。手足を振り回し、得意満面に相手を煽る。好戦的な男だ。風呂までの時間を頭で数えながら、しばし彼らの遊戯に見入った。


X


 翌朝は予報に違わず雨だった。風はさほどないので条件は良好といえる。雨天時に船外業務に励むのは掃除屋くらいだ。少人数でハッチの開くのを待つ。危険と引き換えに外を求める馬鹿どもだ。乏しい光源と過密な人口、呼気の湿り。これらを許容すれば比較的安全な職を与えられる。

 俺には無理だな。頭部から爪先までを厳重に覆う船外服の中で口笛を吹く。地に根を張って動かない建造物を『船』と呼ぶのは、外界との断絶に由来するのかもしれない。


 今日の作業場所の地図を眺める。樹脂板に刻まれたそれは、チェーンで腰のベルトに繋がる。

 学術芸術保護区域。そのシェルタの端が今回の担当だ。地中に埋まった建造物は屋根だけを地上に覗かせている。地図はそのまま屋根の図だ。強度を追求したはずの無駄のない造形の中に、妙なモノがあった。『光庭』と名のあるそいつは、取ってつけたように飛び出していて、おまけに穴があいている。環状の建築の中に外界が内包されているのだ。


 思考は中断された。聞き慣れた警告の後にハッチが開く。降る雨には濃く毒が含まれている。


 掃除は単調だ。汚れたところを擦って落とす。薄汚れたモップと擦り切れたホウキが相棒だ。雨の日には濡れてゆるむ汚れがあるから作業がはかどる。滑って転倒する危険や晴天時に砂埃などで浴びるより濃い毒に触れることを考えても、外に出ないわけにはいかなかった。

 破損があれば修理班に報告する。機械も建築も俺たちの管轄外だ。


 船の住民は繭を世話する。長い年月が毒を中和するまで。最近まで疑いもしなかった事実だが、状況は何十年と変わらない。荒れ切った、終わりかけた世界だ。人間は辛うじて息をしている。日没後も空に光が残るように。そいつが消えきる前に、本当に世界がマトモになる予定はあるのか。


 考え事をしていても、慣れた手は掃除を進め、いくつかの綻びを樹脂板に控えた。残るはあの『光庭』だけだ。地下に向けて穿たれた穴を覗く。ひどく明るかった。底には無機質なタイルが敷かれている。壁面は驚いたことにガラスだった。透明で高価な、脆い物資。

 まさか、と呟きながらもモップを走らせる。底には届きそうもなかった。仕方なくロープで降下する。こんな複雑な形状なんて聞いていない。


 驚いたことに先客がいた。ガラスの向こう側だ。線の細い少女。身体を守る装備は一切なく、肌を隠しもしない。口をぽっかり開けている。と、傍らの荷物から何かを取ってこちらに向けた。文字が表示される。俺も返事をするべく樹脂板とペンを構えた。


――判読不能、誰?』

『第十八隊所属 ルォロ』

『私は、ライカ。ここは息が――否定の意?――判読不能――求める、か


 微妙に意味の取れない表現が続く。救助要請か?


『シェルタの強度 防護服なしに生存可能な状況からして救出の必要は無いと判断する』


 少女の指はしばらく迷ったのち、文章をまた表示させる。


『でも、私あなたに会えて――――――確か肯定的な感情だ 嬉しい?。外の人』

『自分も。被守階級の人』


 彼女は明確に笑った。そしてほとばしるように踊り出した。弾けそうに情熱的な癖に、身体は何かの規則に沿ったように動く。驚異的な可動域。股関節は百八十度を超えて長い脚を縦横に広げさせる。重力を感じさせない跳躍、ぶれない回転。俺の知る踊りとはずいぶん毛色が違う。


「これが芸術ってやつなのか?」


 凄みはあるが、不自由だ。まるで繭に守られた貴人そのものだ。


 雨は止まない。少女はまだ踊っている。それしか知らないかのように。

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