b-2.暁光

 晴れた日は明け方に出発する。ハッチが開いて果てしない外界が姿を見せた。遠い山脈の縁から空は暁の光に染まっている。いつものように隊列を組んで、俺たちは『船』から降りていく。重く身体を覆う船外服を鳴らしての行軍は、資源を獲得しコミュニティを守るために不可欠だった。

 振り向けば鈍く光る外壁がそびえている。もう入り口はふさがれて表層に凹凸はない。動力を持たず、したがって一度たりとも旅をしたことのないはずの『船』は、しかし長い年月を経るうちに風雨によって無数の傷を刻まれていた。


 他の隊員はわき目もふらず目的の座標へ進んでいく。あらゆる職種のなかで最も遠くまで歩き、最も重いものを運ぶ。資材班の連中は大半が血気盛んな若い男だった。狭い生活空間に収まっていられない性分が俺たちを外の世界に駆り立てる。


 ここ数日通っている山麓の森は、朽ちた機械の宝庫だった。葉の乏しい木々の間を抜けて奥へと分け入る。シダの茂みを抜ける時、こぶしほどの甲虫が低い羽音を立てて飛んでいった。早くも腹が減ってくる。昼食はいったん船に戻る必要があった。

 収集地には座標と共に名が与えられていたが、俺たちはもっぱら適当なあだ名をつけて呼んだ。たとえば今日の目的地なら『飛行機の墓場』だ。翼のある大型の機械が狂ったように打ち捨ててある。叩きつけられたのだろう激しい損傷をもつものも少なくなく、風化しつつある今もなお痛々しかった。人類が空を駆け巡っていた時代はあまりに遠い。息をひそめて無駄なエネルギーを使わないように気を付けなければ、俺たちこそ墓場行きになる運命だった。


 なるだけ丁寧にビスを外して部品を回収していく。歪み、錆の浮いた文明の遺物はなかなかいう事を聞いてくれない。持ち出すのは必要な分だけだ。残りは放置するほかない。劣化は止められないが、船内は余分な資材を置けるだけの余裕がなかった。

 劣化というなら船の方だってそうだ。長いこと人間をかくまってきた建造物は、あちこちガタがきて毎日のように機械工に悲鳴を上げさせる。俺たちがひっきりなしに部品を調達しなければならないのもそのせいだった。


 大地に染みた毒は誤差程度にしか薄まっていない。風に拡散し、雨に溶けて降り注ぐ。外界に生存するのは耐毒性のあるわずかな種だけだ。人類と血を分けた生命のほとんどは死に絶え、新しい生態系はやっと爛れた土に儚げな芽を出したところに過ぎない。

 だが、たとえこの地が浄化されたとして俺たちに居場所などあるのだろうか。毒をものともしない生き物たちが静かにこちらを睨んでいる気がした。


X


「森でデカい虫を見て腹が減ったよ。前より生物は増えたんじゃないか」

「食えねぇだろ、さすがに」

「わかってる。食いもんに見た目が似てるから連想で腹が減るってだけでさ」

 帰還後、夕食の席で軽口を叩く。ルォロはつれない返事をするが嫌な顔はしない。掃除屋のこいつは気性が穏やかで人が良い。時間を共にすることが多いのは部屋が近いためだけではなかった。

「でもさぁ、空はいいよな。解放感があって。あんなごつい服着てても中にいるより爽やかってか」

「またその話かよ。同感だけど」

「俺は明け方とか日暮れが好きなんだよな。空が妙に透明で深い色しててさ、昼間は一色でつまらん」

「その時間は出歩かないんだよ……そうだな、雨は嫌いじゃない。音が不規則で、落ち着く」

 ルォロの手が止まった。頬がわずかに紅潮している。

「お前さ、なんかあった? 初恋?」

「んなわけあるか!」

「またまたぁ。洗いざらい吐けよ」


 結局、食事の間は口を割らなかった。延長戦とばかりにルォロの部屋に上がり込む。

「なんでも話す仲じゃねぇか」

「しつこいな」

「いいからさ。俺も娯楽に飢えてんの」

「まぁ、色恋沙汰じゃないんだが。面白い話なら聞かせてやってもいいぜ」

「悪くねぇな」

「タダで聞けると思ってないだろうな。コイン三枚だ」

「誰が聞くかよ」

「一枚」

「良かろう」

 出された手の平に青銅のコインを握らせてやる。緑青まみれのこいつは船内通貨で、嗜好品や娯楽には欠かせない。

「芸術家たちのシェルタに覗き窓があるんだ。四角い穴があいててさ、その壁面がガラスになってる」

「は? 強度が命のシェルタでそんな真似するわけ」

「俺も目を疑ったね。外れたところだからいざとなったら切り捨てるんだろ。俺らがお守をしてる特権階級の奴らの顔を拝めるなんてな」

「まさか、会ったのか」

「そのまさかだよ。お子ちゃまだったけどな。おおかた家出でもしてきたんだろ。こっちでもよくあることじゃん。機械室あたりに潜り込むガキとか」

「で、気になっちゃったんだ?」

「それはないな」

 たじろいだりはしなかった。さっきの顔は気のせいか?

「たださ、そいつ踊ってたんだよ。お前も踊るの好きじゃん。でも、なんか違うんだよな。あれがホントの芸術ってやつなのか? 型にハマったみたいな感じでさ、だから無駄がないっていうか、凄みはあって。どうしたってわかんないんだけど」

「やってみれば? お前にもおんなじ数の手足があんだろ」

「無理だよ。股関節が百八十度以上開くんだぜ? 人間じゃねぇよ」

「ははっ、確かに人間じゃねぇな」

「なりは俺らと変わんなくてさ、だからぞわっとした」

「……昔のお偉いさんは何考えてたんだろうな。芸術を匿う『シェルタ』なんて。継承者を守ったって鑑賞者は未来に存在すんのかね。ココにだって文化はあるさ。絵ぇ描いたり踊ったりはそれだろ。でももう、感覚なんて合いようがないじゃん」

「けどさ、光ってたぜ。そいつ。雷みたいだった」

 ルォロは訳知り顔をする。理解もできないって自分で言ってるくせに。

「そんなにかよ」

 急にこの友人が遠く思えて肩が落ちる。けれど次の言葉は俺を向いていた。

「なぁツィゼ、俺にもダンスってできんのかな。踊んのってどんな感じだ?」

「開放だな。肉体と魂の。ようやくお前も興味持ったか。きっかけが知らんお嬢ちゃんってのが気に食わないがな」

「比べねぇと気づかないことってあるだろ。外の光を知らなきゃ中の暗さは永遠にわからん」

「真理だな」

 並んでホールへ向かう足取りはかつてないほど揃っていて、薄暗いはずの廊下がやけに明るく感じた。

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