b-3.雷光

 壁一面のモニタが、狭い部屋に光を投げていた。画面の移り変わりによって色や明るさは常に変化している。

 そのうちの一つ、光学カメラの映す外の映像を注視していた。生身の人間の住めない荒れた世界。その昔、わたしたちの祖先は自らが生んだ毒に追われて故郷たる大地から逃れ、小さな『船』に乗り込んだ。動力はなく、地面に根ざし、ただ時をこえるための建造物をわたしたちはその名で呼ぶ。


 わたしはこの監視室で外を観測する。様々な記録機器が数値や映像をモニタに送っていた。観て、記録して、計算する。天候は船外隊の活動にも影響が大きい。だから職員は交代で、絶え間なく外界の様子を追う。


 厚く、不穏な色をしていた雲がついに閃光を発しはじめた。雷だ。稲光は天を裂き、別のモニタでは微震を感知したことが示される。

「頂いちゃいますかね」

 独りごちて制御盤に指を添わせる。動画は大量の絵の連続だ。流れていく映像の中から数枚を取得して、個人用端末に保存した。あと少しで交代の時間だった。


X


 食堂の片隅で先ほどの画像を呼び出す。傍らのカップにはカフェイン飲料が黒い水面に乏しい照明を反射している。空を走る稲妻と立体感のある雲。遠い山脈も視界に入って、なかなか迫力のある構図になっていると思う。かつて写真は芸術であったという。ならばわたしが切り取ったこれも何かの意味を持つだろうか。

 画像解析に使うソフトでコントラストや色味をいじると、絵心がなくとも魅力的なグラフィックができる。単調な業務をこなす日々の慰みにはちょうど良かった。


 いつの間にか夢中になっていたようで、男が後ろに立っていることにも気づかなかった。


「業務後にもカフェインかよ。身体壊すぞ」

「暇人のお出ましね。ほっといてよ」

 資材班のツィゼは臆面もなく筋肉質な腕を肩に回す。今日は荒天が予想されていたから暇なのは確実なはず。遠征は少しの雨でも延期されることがある。

 ごつい手がわたしの腕をなぞって降りてくる。指を絡めるつもりだろう。軽く振り払いながら画面を閉じる。

「なんだ。やめるのか」

「あんたがその調子じゃ満足に作業なんてできない」

「俺はギィジヤの作ってるそれ、好きなんだけど」

「だったら邪魔しないで」

「ダメだね。お前本人の方が数倍、興味ある」

「なら出来上がるまでは見ないことね」

 のけたはずの手がまた伸びてきて、わたしの顎をとらえる。短い、まばたきほどのキスを落とされた。まったく恥も外聞もあったもんじゃない。外に魅せられた荒くれものの辞書には自制心という言葉など載っていない。とはいえわたしは彼のような男が嫌いでなかった。

 形こそ違えど、空と地面から目を離せないのは同じことなのだし。機械の瞳あるいは防毒マスクごしの風景。自然というものが人類を拒んでもなお、わたしたちは生まれを忘れられないのかもしれない。


「あんたも何か飲み物もらってくれば」

「部屋には上げないつもりかよ」

「気分じゃないの、勘弁して。誰かさんと違って勤務のあとなんだから」

「はいはい」

 不満は隠さずとも、彼はわたしの意に沿わないことはしない。だからわたしは数倍も腕力の差があるこの人の前で安心していられるのだった。


 カップを手にしたツィゼが戻ってくる。合成乳ミルクのようだ。不透明で白色の液体はこぼれんばかりに揺れている。わたしたちは同じタイミングで飲料に口をつける。黒いカフェイン飲料ブラックは苦い。色といい味といい珍妙だ。なのに不思議とこれを好む人間は一定数いて、カフェイン配合の甘いドリンクに駆逐されることなく残っている。

「なぁ、合成乳ミルクってもともと母乳の代用品なんだろ。ホンモノとどんだけ味が違うんだろうな」

 彼の視線はわたしの胸部あたりに向けられている。できるだけ強く舌打ちをして、にらみつける。

「あんたの欠点って、そういうところに凝縮されてるよね。デリカシーって言葉をぜひ覚えて頂きたいわ」

「気になっちまったもんはしょうがないだろ」

「人間がかつて好んで飲んでいたのはウシっていう生き物の乳であって人間のじゃない。そしてあんたがそうであるようにわたしもママのミルクの味は覚えてない。わたしから言えるのは以上」

「ギィジヤは物知りだな。やっぱ頭脳労働者は違う」

「……父が食糧生産に関わっていたから」


 父母はともに船内の技術系の仕事をしていた。子であるわたしも家庭の中の会話で自然と知識を身につけた。過去のこと、船のこと、人間のこと。外で起きる現象についてだって、船外作業員よりも外界観測室わたしたちの方が詳しいだろう。たとえ実感の伴わない言葉だけの知識だとしても。

 かわりに彼らは空の遠さを、果てのない大地を、森にひそむ生き物の気配をその身体で知っている。ツィゼは馬鹿ではない。頭に溜め込んでいる内容が違うだけで。

 似た職種の中での婚姻が多いのはうなずける。圧倒的に楽だから。感覚や価値観は変えられない。生まれ育った環境が近ければおのずと共通する部分は増える。

 だけど、そうやって濃くなっていく血はわたしたちを弱くはしまいか。ツィゼの荒っぽい言葉は瑞々しく仕事や趣味のことを語る。飾りけなくまっさらな心は貪欲に周囲のことを取り込んでいく。たとえばわたしの何気ないお喋りでも。

 わたしにとって彼は大きな窓だった。なにもはまっていない、風の通る窓。モニタを通して外の様子を知るように彼の言葉を媒体にわたしは地球の本物の風を知るのだ。


「ツィゼは今日もダンスホールへ行くの?」

「あぁ。勤務もないんじゃ動き足りねぇし」

「久し振りについていこうかな」

「たまにはお前も踊れば?」

「無理よ。運動音痴なの、知ってるでしょ」

「誰だって最初は出来ないもんさ。やってみなけりゃ始まらん」

「い、や、だ」


 いつもの言い合いのような流れだったのに、彼は急に真面目な顔になる。


「だけど俺はギィジヤの感性が好きなんだよな。音と身体でならどんな表現すんのかって、気になる」

「あんたって時々」

 わたしの心の柔らかいところを的確についてくる。大げさにため息をついて立ち上がった。

「いいわ、ちゃんとエスコートしてよね。それからどんなに無様でも笑わないこと」


 彼がわたしの手をそっと取る。今なら高く飛べる気がした。

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