第19話 10月8日 対名古屋ホエールシャークス戦後
「どえらぁ事になったのぉ……」
試合後の疲れた身体もそのままに、広島安芸ウィードの面々は名古屋から新幹線で東京へ向かっていた。その車中。コーチの誰かが呟く。均衡していたペナントレースは実に面白い展開を見せた。
まず広島からだが、最初の大阪との3戦で勝ち越しを決める。
その間、東京は本拠地で横浜Dynamiteを迎え、まさかの3連敗。
ゲーム差が一気に2縮まり、ここでゲーム差が0になるが勝率が僅かに勝っていた東京が首位のままは変わらず。
そして、次の広島の相手は神宮。東京は大阪。因みに東京は広島と違いゲーム数の関係でここは1試合しかない。
ここで、一気に決めたかった広島。それで力が入ったのか負け越しをきす。
しかし、東京も引き分けて致命傷に至らず。それでも0・5ゲームの差が付いてしまった。
そして、最後。
広島は名古屋と。東京は神宮に。
共に、3連勝。
この最終戦――。東京は引き分け以上で優勝が決まり。
広島は引き分けでも、2位が決する。
……いや、まどろっこしい言い方は止めよう。
この1戦。
勝利した方が、リーグ優勝を決める。
広島は、この前日に野手の人数を戻すかミーティングが行われた。
しかし、結果的に投手2名の入れ替えだけで、野手の人数は増やさなかった。
この10試合、投手の負担を分担しようとしたが、結果的に全員により負荷がかかる試合ばかりとなった。
7勝2敗という結果の引き換えに中継ぎ陣が限界を迎えた。昨日一昨日の先発2人と、肘に張りを訴えているカスジャネーヨをベンチから外し、残りは9名。
しかし、この9名で満足に球を放れるのは一体何人居るのだろうか? というのが現状だ。
「阿賀佐さんも、頭が痛いじゃろうな」
そして、そんな満身創痍な中から一人、今日のこの決戦に送り出さなければならない。
予告先発は、既に昨夜行われている。
広島は、やはりというか彼しか居ないという判断だった。
桂坂
しかし、前述の通り今季は相棒とも言える神月の移籍から、配球に締りがなく6月まで未勝利。
現在、6勝9敗、防御率4・19は先発陣でも桂坂にとっても、最低の成績だ。
対して東京は。
今季躍進を遂げ、エースと言っていい成長を見せた。
足利
チームメイトの姿野と最多勝、最優秀防御率を争いながらも差を付けてそれをほぼ手中に納めている。
今季現在、16勝4敗、防御率2・14は高卒プロ入り2年目の成績では規格外と言ってもいいだろう。
もしあと1日移動日でもなんでも時間があればと思う事は今後無いのではないだろうか?
試合日程を決めるのは、こちらでないのだから仕方がないが3連戦、そして最終戦をホームで迎える東京に対してこちらは、移動も含めて休まる時すらろくにない。
それでも、同条件で闘わなければならないのがプロ野球だ。
日付が変わろうかと言う頃に、東京へ着きチームはホテルへとバスを走らせた。
そんな時、鞄に入れていた携帯の光に気付き、確認すると妻からメールが入っていたらしい。
「明日、子ども達と応援に行くね」
それだけ書いてある画面を見ると、切れる様な痛みが右足の踵を走った。
「痛っ」と悲鳴が思わず口をつく。
「どうした? 」
荒金さんと監督が何事かと顔を向ける。
「す、すいません……ちょっと、静電気が……」
慌てて嘘を吐くが、この時隣にいた金剛さんの眼差しに俺は気付くべきだった。
ホテルに着いて荷物を降ろしている時に彼に呼び出された俺は何となくその理由が解っていた。
「……なんて熱と、張りだ。
前町くん……これは僕では判断が出来ない。
明日朝一番にでも直ぐに病院に行くべきだ」
金剛さんの部屋でそう進言された俺は、首を静かに横に振った。
「何を言っているんだ‼ 前町くん‼ その足の状態は普通じゃないぞ‼
野球がどうとかではなくて、ひょっとしたら日常生活にすら絡んでくるかもしれない‼
君の今後の人生に影響する怪我かもしれないんだぞ‼ 」
その言葉は重い。
実際何年も前の怪我でも、目の前の金剛さんは未だに仕事が休みの日はリハビリに病院へ通院しているというのを荒金さんから聞いた事がある。
プロスポーツ選手の肉体負担とは、日常的に生きている人からすれば異常とも言えるものだろう。
だからこそ、金剛さんや俺の様に事故とかでもなく、自然に身体が壊れる事は珍しい事じゃない。それに伴うパフォーマンスを我々は行っているのだから。
「金剛さん」
俺の言葉に、興奮状態で説得していた彼が「ハッ」とした様に表情を戻し「ご、ごめん」と謝る。しかし、そんなものは必要ない。
「金剛さん、前に俺に言ってくれましたよね? 」
彼は、それが何を指しているのか分からない様子だったので言葉を足した。
「昨年のあの夏の日、練習明けの俺にマッサージしてくれた時です」
金剛さんは、黙って真剣な眼差しで俺を見つめる。
「君は、まだこの世界で生き抜いている」
俺の言葉に、彼は目を細めた。
「金剛さんからそれ聞いた時。
俺、思ったんですよ。
――何でなんだろうって。
あの怪我をした時。
俺のプロ野球選手としての成長は終わりました。
プロ野球選手として積み重ねた時間は、全部崩れました。
あの時、引退すれば。この世界から身を引いていれば。
今のこの、痛みや苦しみを味わう事も無かったでしょう。
でも、俺はこの世界に留まる事を選んだ。
正直、自分の野球の実力に過信していた時もあったかもしれません。
野球の方が俺を選んだんだと。
だから、自分は何の迷いもなくこの道をずっと走っていくんだと。
だから、挫けた。
だから、絶望した」
その言葉を聴きながら、彼は搾り出す様に言葉を発した。
「では……
では、どうして君は戻ってこれたんだい? 」
俺は、静かに。
しかしはっきりと。
俺の言葉でそれを伝えた。
それは、異様な雰囲気だった。
いつもの東京ドームなのに、いつものそれと全く違う球場の熱。
訪れている全員が混じらせ、
期待? 興奮? 不安? 切望? 同情?
幾重もの感情と言う、表現出来ない人間のみが持つそれが。
膨らんでいる。東京ドームと言う広大な箱庭を破裂させる程に。正に狂気。
メンバー表を交換し戻って来た監督は、ベンチ内にメンバー全員を呼んだ。
「ええか‼
泣いても笑ぉても、この試合で終わりじゃあ……
なぁんて、言うと思ったか⁉
この試合が終わってものぉ……
明日からCSなんじゃあ。わしらに休む暇は、無いッ!
嫌じゃろぉ。
休みたかろぉ?
……じゃったらのぉ……!
今日勝て‼
今日勝って1位になれ‼
そしたら、CSファイナルまで……!
休みじゃあぁああああああ! 」
一瞬、選手達は戸惑った様に、互いの顔を見合わせた。
そして、理解する。
真面目が取り柄の園方監督が。
お道化るしか、自分達の緊張を解す方法を見いだせなかった事。
なれば、それを受けた俺達は。
「よおおおおおっしゃあぁああああああ!
じゃあ、さっさと勝って三日間、ニート生活するぞおおおおおぉ‼ 」
浦風が、それに応える様に吠えると。
「おおおおおおおおおおお! 」
と、全員が疲れ切ったその身体を奮い立たせる。それが、例え偽りの力だとしても。
中央の電光掲示板にスターティングメンバーが発表される。
「トモ」
ベンチで井土さんと足利のデータを確認している時に、後ろから監督に呼ばれた。
足早に駆け寄ると、監督は近くのコーチを離れさせる。
「金剛から聞いた。
足の具合はどうなら? 」
俺は、一瞬奥歯を噛む。
「大丈夫です。今朝は何ともありませんでした」
監督は、ジッと俺の足に瞳を動かし、まるで餌を狙う魚の様な目を向ける。
「今日は、お前は出さん
試合が終わったら、直ぐに金剛と病院へ行け。金剛が手配もしとる」
身体が硬直したが、俺は何も口にしなかった。
本来ならば金剛さんから話が合った直後に俺に確認を取って、朝から病院へ向かわせれば良かった筈なのだ。
園方監督がそれをしなかったのは――。俺をここに居させる為。
現役時代を含め――長い。長い年月。
共に、血を吐き、地にへばり付き、苦しみ抜いたその時間。
それを知っているからこそ。
俺に、ここでその追い求め続けた物の結末を。
その鋭い眼差しを俺は、真直ぐに捉え。深く頭を下げた。
「ご配慮、感謝します。監督」
「止めろ。畏まるな」
それを伝えると、俺は再び井土さんと相手選手のデータの確認に勤しんだ。
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