第14話 2月14日 対広島安芸ウィード ファン

 春季キャンプの序盤。まぁ野球と関係がないっちゃ関係がないイベントがある。


 今年も慌ただしく練習球場の前にトラックが2台停まっている。

「おう、おはようトモ」

 練習球場の前で会った荒金さんは、龍と虎の刺繍の入ったキラキラのスカジャンに、グラサン姿ともう荒金さんじゃなかったら、絶対に目を合わさない出で立ちだ。


「今年も、キテますね~」

 俺の言葉に、彼も視線をトラックに向ける。

「あ~~……ありゃあ、わしにはあんま関係ないけぇのぉ……去年は、神月の分もあったけぇ3台来とったから……やっぱ減ったみたいなのぉ」

 そこまで言うと、荒金さんは「けー」と舌打ちを入れながら球場に入っていった。


 本日は2月14日。

 そう、バレンタインデーというやつだ。


 くだらない。と思う人も多いとは思うが。

 この時に自分に送られてくるチョコの数。というのは、自分自身の人気のパロメーターを知る為にはかなり参考になる。

 人気。

 それは、実力と対を成して俺達プロ野球選手には必要不可欠なものだ。

 まぁ、良くある話だが人気が高い選手は選手生命が延びる。


 実力は、試合成績でチームに貢献出来る。

 そして、人気は球団の収入源であるグッズ販売に貢献出来るからだ。


 かくいう俺も、その恩恵を直接受けた事がある。

 言わずもがなそれは、引退も視野に入った8年前の大怪我の時。


 翌シーズン、プロ生活で初めての公式戦出場なしとなった俺は、三軍施設でひたすらリハビリトレーニングばかりこなしていた。正直腐る寸前だった。

 そんな時黄道さんに取り上げてもらった『再起を目指す男』という記事を見た広島のローカルテレビ局がそれを基にしたドキュメント番組を製作し。


 俺という存在が野球ファンを越え、広く知れ渡る事となった。


 それが放送された年、育成契約に切り替えられていた俺は必死でリハビリトレーニングをしていたが、結局1軍はおろか2軍戦にも出場出来ず。ここで戦力外通告を受ける予定だったのだと思う。

 だけど、縁とは不思議なもので。


 その放送によってかつてレギュラーだった俺が怪我の復帰を目指すその事が、球団の集客に影響したのだ。簡単に言えばファンが動いてくれた。

 昔ながらの広島ファンも。その番組を見て俺を知った人も。


 そんなことで形はどうあれ、俺はもう1年だけ復帰の約束をもらえる事になり、そしてそのシーズンの終盤で代打専門として1軍復帰を果たした。

 運命と言ってしまえば、たった2文字だが。

 紛れもなく、俺が今現在もこの球団で野球を出来ているのはそれがあったからなんだ。





 そして、もう一つ。ファンとの交流というイベントで俺の人生が変わった昔話がある。少し長くなるけど、話そうか。


 今から13年前。俺は前シーズンでようやっと1軍のスタメンに名が残り出した頃だった。

 だから、それはもう目の色を変えてキャンプに臨んでいた。

 そんな鬼気迫る表情の俺に。

「お~~いマチィ。お前、チョコ何個来た~~? 」

 耳に入れたくない声が入ってくる。


「……勝丸さん」

 めんどくさい。と流石に口に出す訳にはいかなかった。

 本当にこちらとして困るのが、この人が昨季一足早く俺の守備位置である外野手の1軍レギュラーを取っているという事だ。

 つまり、俺にとっては憎き仇とも言えるんだ。

 だのに、相変わらず呑気にマイペースに……この人は過ごしている。

 ……ひょっとして俺が気付いてないだけで、とてつもない天才、大物なのか?


「ふっふ~ん♪ なんだなんだ? その顔はぁ? さてはお前チョコ……来なかったんだな? そうだろそうだろ……くくく。

 仕方ねぇなぁ。俺はよ、こんな山盛りに来たからよぉ……一つ。分けてやんよ?

 ……あああ‼ ただし、どれをやるかは俺が選ぶからな‼ 」

 そんな伝えられる相手は1行も頭に残さない様な台詞を吐きながら、奴は右手に小さなレジ袋を見せつけてきた。どうやらそれが奴当てのチョコらしい。


「前町ぃ、お前当てのチョコレート段ボール2箱らしいからホテルで預かれんらしいぞ、ロッカー室にキャンプ明けまでは置いとけるらしいから、その間に家に送っとけ~? 」

 間もなく打撃コーチが、そんな俺達の会話を知らずその事実を伝える。


 奴は硬直してしまったが、まぁ丁度良かったのかもしれない。


 そう思って、ティーバッティングの方へ向かおうとしたが、奴に後ろから肩を掴まれた。


「ぐ……ぐふふぅ……か、数で勝った気になってんじゃねぇぞぉ? マチィ……」

 その歪んだ笑顔に、不気味と不吉を感じて凍えそうな気温なのに、冷や汗が出る。


「べ、別に勝負なんかしてないですよ。は、放して下さいよ勝丸さん。参ったなぁ」

 その俺の眼前に彼は何かを突き出した。

 あんまりに顔の近くなので、ピントが合わなくて良く見えない。俺は少し下がった。


「これは? 」

 俺が尋ねると、奴は「グフグフ」と下品に笑う。

「チョコによ……入ってたんだよ。女の子からの……連絡先がよぉ……」

 奴は、そう言うと胸を張った。張り過ぎて胸骨が肉を裂きそうだ。


「お、おめでとうございます」

 俺は、それだけ言って離れようとした。しかし、奴の手が未だ俺の肩を掴んでいる。

「そんで、俺はこの連絡先に既に連絡をして会う約束を取り付けた」


「そ、それはおめでとうございます」

 しかし、まだ手が離れない。


「マチ、お前代わりにちょっと行ってくれん? 」

 そこで、間が開いた。

「はぁ? 」

 もう、直前まで折角維持していた緊張感は彼方へと過ぎ去っていった。

 こうなると練習を出来る状態ではない。仕方がないので聞きたくはないが奴の話の詳細を聞く為、俺達はグラウンドを後にした。コーチには「チョコの片付け」という理由付けをして、勿論奴が。


「今晩⁉ 」

 驚く俺の口を奴が素早く塞いだ。おいおい、流石に守備の実績があるな。


「声が大きいっつーの……そうだよ。今晩な? 国際通りで映画でも見て、その後食事でもってよ」


 俺は、思わず開いた口が塞がらない。

「流石、昨年の中堅レギュラーさんは余裕ですね、キャンプ真っ最中にデートの約束をとりつけるなんて」

 奴はその言葉に照れ臭そうに笑った。

「よ、よせやい、レギュラーさんなんて」

 皮肉で言ったつもりだが。


「ともかく、それで何で俺が勝丸さんの代わりに行かなきゃならないんですか? 」


 そう言うと、奴は深くソファにもたれかかり「ふーっ」と大きな息を吐いた。


「あのな? マチ、彼女はどうやら関西のファンらしくてな?

 お前も知っての通り、関西ならなんでオクトパスじゃなくて、ウイードの俺なん? ってなる訳よ。まぁ、この娘が正しい審美眼を持っていたら、そら俺に目を付けるのは理解るよ?

 でもさ。でもさ。

 定石どおりに動かん人って……ヤバい人もおるやん?

 それを、お前に代わりに行ってもらってよーく見てきてほしいんよ」


「おまっ……」

 思わず、年上に対して暴言が漏れる所だった。こいつ。つまり、ファンに手は出したいが、その子がまともかどうか俺を当ててから動くつもりだ。

 なんて人だろう。年下の同期の俺に対しても、相手の女性に対しても考えられる最大級の失礼だ。

 俺自身、この時は野球に集中したかったから女性は欲しくない事は無かったが、それどころではなかった。

「やっぱ、勝丸さんが行くのが最低限の礼儀じゃないですか? 誘われた女の子も可哀想ですよ」

 俺は、そう言って断ろうとした。しかし。

「頼むわ。わし、ほら。緊張すると腹ぁ痛ぉなってどしょうもねぇじゃん?

 そんな姿、ファンの子によう見せられんわ。の? 頼むわ」

 情けない話だがこいつのこの肝っ玉の小ささは野球にも現れてて悉くチャンスの場面では凡打を繰り返し、ファンからも「ノミの心臓」と揶揄されている。これって、投手に使う言葉じゃないか?



 そんなこんなで、気付けば一着しか持っていないスーツを着て、俺は国際通りに立っていた。


「おい。俺が質問とかは指示するから携帯が鳴ったら直ぐ取れよ? 」

 遠くから、奴が何か言っている。


 俺は、国際通りを行き交う人達を眺めながら「どうか、こないでくれ。すっぽかしてくれ」と相手側に祈っていた。

 しかし、その願いは虚しく。

「勝丸選手ですか? 」

 その言葉の方を俺は向いた。

 奴の指示で、顔が良く見えない様に帽子を被っているが、こんなもんで誤魔化せたら苦労はしないと思う。まがいにも奴のファンで、チョコと連絡先を送る様な娘だ。そもそもが破綻した作戦だ。


「はい」

 こちらも、帽子で視界が良くない。首をグッと引いて相手の顔を覗く。

 ……驚いた。美人じゃないか。


「よかった~、お待たせしました。では、行きましょうか? 」

「は、はい」

 美人にも驚いたが、この娘俺が勝丸じゃない事に気付いてないらしい。俺達は微妙な距離を空けたまま並んで国際通りを歩いた。


 そして、よく憶えてない映画を観て。

 駅近くのレストランで食事をとった。


「名前ですか? アハハ、そう言えば言ってなかったですね。アタシ、明代あきよって言います」

 食事中のその無垢な笑顔に、思わず自分の名を名乗りそうになった。


 そんな時、二人の会話に割り込む携帯の着信音。しかし、やけにやかましい。

 気付くと、単純な事だ。目の前の彼女の携帯も鳴っていたのだ。

 その光景に、俺達は一瞥すると互いに向かい側に離れて携帯をとった。


「おいおい、早く出ろよ。

 にしても、すっげぇ上玉が来たな~。うっひょ~。

 おい、そろそろ代われ。本物が登場する舞台は整った!

 あと、3分くらいでそっちに着くから、彼女に説明しとけ‼ 」


 言うだけ言うと、奴は電話を切った。


 ……?

 俺は、何か胸に経験のない痛みを覚えていた。

 それを右手で擦りながら席に戻ると、丁度彼女も話を終えて席に着く所だった。


「あ」「の」


 席に着いて、少し俯いた後俺は口を開いた。しかし、それとほぼ同時に彼女もまたこちらに話し掛けていた。

「どうぞ」俺は、先に彼女の言葉を促す。

 すると、少し俯いた後。

「実は、アタシ、明代じゃないんです。

 明代に頼まれて今日、代わりに会ってくれって……

 アタシの名前は『理絵りえ』っていいます」

 思わず、息を呑んだ。

 と、同時に幾つかの疑問も解けた。

 彼女は俺を勝丸拓也と間違えていたのではない。

 初めから会う相手の顔を知らなかったのだ。


「実は」そこまで言って俺も帽子を脱いだ。

「俺も、勝丸拓也ではありません。

 俺の名前は、前町智徳。今日、貴女と同じ様に勝丸に頼まれて代わりにお会いしていたのです」

 彼女は両手で口を塞ぐ。

 奇しくもこの二人は。

 同じ様に本人達の代わりとしてここにやってきた無関係な二人。


 二人は沈黙していた。

 そんな時だった。


「かつまるしゃ~~~~~ん」

 レストランは道路側を窓ガラスで覆っている為、外の様子が中からよく見える。


「ぎええええぇええ~~~だ、誰だあんた~~~」

 外の国際通りで、叫びながら奴が巨体の女性に追われていた。壮絶な光景だ。


「あ……明代」

 ボソッと、彼女が呟き。俺達は目を合わせた。

 途端――「プッ」と二人は吹き出した。

「まぁ、ともあれ会うべき二人が出逢えたようだし……めでたし……かな? 」


 俺の言葉で再び二人は笑った。


「改めて……理絵、真田さなだ理恵です」

「前町です。よろしく」


 バレンタインデーが結んでくれたその糸は――強く俺達を繋いでくれた。

 


 3年後。


「おっし、じゃあ行ってくらぁ」


「勝丸しゃん‼ しっかり‼ 」

「パパァ‼ ホームランうってねぇ‼ 」


 そして……彼らも。

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