第13話 2月12日 対春季キャンプ若手選手

 まだ、雪がちらついても不思議でないくらいの時期にプロ野球選手達の業務が開始される。

 俺の所属球団、広島安芸ウィードは毎年沖縄は那覇市にて1軍キャンプが行われるのが恒例だ。

 この1軍キャンプという舞台は――1年を通して共に戦うチームメイトと、1軍という席を懸けて戦う唯一の場所。

 キャンプ開幕直後は主に、2軍で活きの良い若手達と1軍のサブメンバーが夢の1軍レギュラーを目指して目の色を変えて練習に臨んでいる。正に、修羅場だ。


 そして、そこを勝ち残った者のみが後半。正真正銘――自己調整から戻って参加する1軍レギュラー達と開幕の席を争う事になる。

 また、1軍レギュラーの他に、10年目以上のベテランも自己調整の許可は出てはいるのだが。俺は毎年この若手の中に混じって汗を流す事にしている。


 よく「何で、お前が若手に混じってんだよ」と言われるが俺から言わせればここに付いていけなくなったり、挑戦の気持ちを失ってしまえば、それは向上心の御終いだと思っている。

 それにいいもんだぜ。このギラギラした空気、新人時代を思い出すよ。

 だけど、今年だけに関してはちょっと違う意味合いで俺は最初からキャンプに参加していた。


「お~い、トモ。ほんじゃこれ準備頼むわ~」

 若い選手達が練習場の端でランニングアップをしている中、俺と荒金コーチはフリーバッティングの下準備を始める。

 そう――契約更改の際に俺は選手兼打撃コーチ補佐の任を断っていたのだが、その際に実は別の条件を結ばれていた。

 何の事は無いでの選手兼打撃コーチ補佐だ。

 無論これは、契約の表の部分には入っていない。ただ、今季の俺の成績的に現状維持というのも少し物足りない。と上層部が判断したらしい。

 今期の年俸は5800万円。昨季より800万円増。

 その中に、この契約が口約束で盛り組まれている。所謂、裏の契約内容だな。


 ――しかし。一度は断っておいて何だがこのコーチ業というのも、やってみると中々に楽しい。まず、他者のフォームを観察し、より良いフォームを試行錯誤する。

 それは、俺の身にも確かに何かを刻んでいく。

 25年以上学び続けても、未だに発見ががあるこの野球という道は……深い。


「前町さん。俺のフォーム見てもらっていいですか? 」

 グラウンドを走ってかいた汗もそのままに、1人の若手が俺にそう声を掛けてきた。


 荒金さんの方へ横目で視線を向けると、荒金さんも荒金さんで既に数人の若手選手に囲まれている。


「おう、いいぞ」

 そう返事を返した相手の名は、麻宮羽根あさみやウイング。一昨年のドラフトで上位指名された大卒の捕手だ。


「どうすか? 」

 バットを振り切った後、そう俺に尋ねてくる。

「……これってさ、ひょっとして俺のフォームを真似てるのか? 」


 麻宮は、左打の為それは左右逆となるがその動きはハッキリとそう感じるものだった。


「すいません。俺、前町さんがトリプルスリー達成された頃からずっとファンで……」

 何故か、俺が酷く恥ずかしくなった。

「そ、そうか。まぁ、中々いい振りだったし……悪くはないかもな」

 その俺の言葉に麻宮もまた照れ臭そうに鼻の頭を掻いた。

 今期の春季キャンプ。皆少しでも自分のチームの立ち位置を良くしようと鬼気迫る構えで臨んでいるが、特に一段抜けているのは。

 この麻宮のポジション。正捕手を目指そうとする捕手の面々だ。


 午前の特訓を終えると、コーチ、職員全員で協力して用具を片付ける。


 外のワゴン車にボールを運んでいた時だった。


「前町さん、前町さん‼ 」

 爛々とした声がこちらに近付いてきた。振り向かなくても誰か解る程にその声は耳に残る。


「少し、お話イイですか? 」

 黄道さんは、手品の様にすぐさまメモとノック式ボールペンを手に出現させる。


「すいません、今片付け中ですので」


「いや、ええぞトモ。後はわしらがやっとくけぇ」

 断った俺の声のすぐ後ろから、荒金さんのそんな声が聴こえた。

「しかし……」

 食い下がる俺の肩に、彼は手を置くと。

「今日はようやってくれたよ。もう充分じゃ。この後自分のトレーニングもあるんじゃろう」

 と、言って俺が持っていたボールの籠をもう一方の肩に背負ってワゴン車の中に消えていく。




「いや~~、驚きましたよ。

 まさか、今季はコーチ兼任だったとは。契約更改の時に教えてくれたら良かったのに‼ 」

 サロンで開口一番、彼はそんな事を言った。

「いえ、シーズンは選手に専念させて頂くんですけどね。

 まぁ、そもそも俺なんか未熟者がコーチなんて、恐れ多いんですけど」

 彼は「なるほどなるほど」と、こちらも視ずにメモを取る。


「しかし、驚いたと言えば神月選手のFA宣言ですよね。

 しかも移籍先が同じリーグの東京となると、司令塔で正捕手を失うと同時に相手に手の内も全て筒抜け。という事になりますよね?

 優勝に手が届きそうだった広島にとっては大分厳しいんじゃないですか? 」

 俺は、その質問に苦笑いを浮かべた。

「それは、監督のわしに訊くのが筋ってもんじゃないか? 黄道」


 彼の背後にぬっと現れた大きな人影。

「そ、園方監督‼ 」黄道さんが、上ずった声を出す中、俺と彼の間に陣取る様に監督が座る。


「FAは選手の当然の権利。

 それも想定したうえで、神月含め全てのレギュラーの穴を埋める選手の育成も常に行われている」

 と、釘を打つかの様に、ピシャリと言い放つ――直後。


「な~~~んて、そんな簡単に言えるわけなかろうが~~~

 おま、一人前のキャッチなんてそんなポコポコ育つわきゃなかろうが~~

 やれんわ。おえんわ~」

 くっしゃと顔を歪ませて監督はそんな泣きごとを口にした。


 俺達三人は、監督の現役時代から交流がある為、選手の居ない所では本音の話もチラホラ出る。監督は特に黄道さんへの信頼が厚い。だからかこんな愚痴話も日常茶飯事だ。


「因みに、今正捕手に一番近い選手は? 」

 黄道さんの質問に、監督はジロリと視線を向ける。


「元々、打撃が良かった2番手の枝崎えざき

 後は、2軍の正捕手の鞍馬くらまに……。

 FA補償で東京から来た麻宮か」


 そう、監督の言葉から出た名前は、正に先程まで俺が打撃指導していたあの麻宮だ。彼は一昨年のドラフト上位指名選手。と言ったがチームまでは書いてなかったろ?

 そういう事なんだ。

 FA制度には、色々な規則がある。

 その中で最も特徴的なのがこの補償選手というシステムだ。


 FAをした選手が所属していた球団で年俸が上位10人に入っていた場合、その選手が移籍した球団は、その所属球団に対してプロテクトという28名の指名拒否を踏まえた上で、選手の移籍指名要請を受けなければならない。


 これには、一応選手も拒否が出来るが基本的なルールでは絶対移籍となる。選手という人間が『交換物』という『物』扱いされる瞬間だな。

 そうして、今回年俸1億だった神月はチーム年俸で9番目に多く貰っていた為、B級選手(補償対象)として扱われ、広島は移籍先の東京に補償選手を要求し。


 佐々波の後釜として、2軍で活躍していた麻宮を獲得した。


 正直、これは正捕手を失った広島という球団以上に麻宮にとってもかなり辛い経験になったと思う。

 似たような環境でトレードがあるが、あれは選手側にも事前に打診、または希望がある為今回の様に突然「君は明日から向こうの人だよ」とは言われない。(FA制度の無い時代にはそういうパワハラ的トレードもあったそうだが)

 所属球団が変われば、選手の立ち位置や起用法も変わる。


 麻宮も、心の奥底ではその不安もある筈だ。


 例えば、広島では捕手以外の守備位置に転換されるかもしれない。

 入団まで様々な条件を約束した球団はもうないのだから。


 だが、それでも。


 やるしかない、生き抜いていくしかないのだ。

 プロ野球選手として?

 いいや、きっとそれは社会という広い括りで。


「午後も、よろしくおねがいしゃーーーす‼ 」

 午後一でも麻宮は俺を見つけるなり大きな声で挨拶を入れながら駆け寄ってきた。

「悪いな、午後からは俺も自分の特打だ。荒金さんにコーチしてもらってくれ」

 その俺の言葉を聴くと、麻宮はわざわざ一度礼を俺に向け、荒金さんの方へ向かった。


 俺は、その言葉が好きではない。口に出してしまうとあまりに軽々しくなり、宙に浮いてしまいそうだからだ。

 だから、この言葉は心の中だけで伝えよう。


「頑張れ、麻宮」


 離れていく、若いその背中に俺はその言葉を向けた。

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