第12話 1月1日 対娘

 新年――今年も我が家で穏やかにそれを迎えた俺は家族が眠っているのを起こさない様に、慎重に一階に降りて台所に向かった。


 調理器具と、前日妻に頼んどいた材料を冷蔵庫から取り出すとまずは鍋に水を張って火にかける。昆布とかつお節を適量入れると、沸騰までの間主役の材料を取り出してマジマジと眺めた。

 俺は、本当に疑問なのだが。

 何故に皆、雑煮を正月だけ食うのか。

 こんな、旨い物正直味噌汁よりも日本の代表汁物に挙げてもいいくらいだと俺は思っている――いや、マジで。

 と、言う訳で子どもの誕生日と自分の誕生日、そして正月は俺が台所に立ち雑煮を作るのが我が家の仕来りだ。

 さて、本日挑戦するのは丁度北海道の通販で入手した最高級鮭、鮭児を使った海鮮雑煮だ。

 雑煮の様な繊細な味を要求される汁には、あまり臭いが有る物は入れないのが鉄則だが、やはり魚、肉は入ると味が格段に上がる。それが事実だ。


 おっといかん。考え事をしているとカツオを引き上げる時間が過ぎてしまう。先の通り鰹節も魚介の為、煮詰める時間が10秒過ぎると汁に生臭さを残してしまう。出汁は生きているのだ。


「ふふ。料理とはまるで野球と表裏一体だ」

 こんな、料理の達人ぽい意味不明な発言も正月の一人だけの時間だから言えるのだ。


「……パパ、一人で何言ってんの? 」

 どっきぃと身体が大きく揺れた。

 正直、死球の時より驚いたよ。


「お、おおおおおおおはよう凪。どうした? は、はややややいね? 」

 娘は、長い髪を払うと「動揺しすぎ」と言って冷蔵庫からミネラルウォーターのペットボトルを出して、豪快に喉を鳴らした。

「別に――喉が渇いたから降りただけよ」

 そう言いながら、娘はキッチンの椅子に腰かける。


「……またお雑煮? 」

 その娘の声でハッと鍋に振り向く。

 危ねぇっ! 黄金時間を逃す所だった。


 素早くカツオを引き上げると、火を弱火にして昆布だけを残す。


「お餅は、焼いてよね。べとべとしてたらヤだから」

 そう言うと、娘はテキパキと動き出す。


 ふむ。何かよく解らんが、俺は……父親として最高の雑煮を作る為に……すまんが集中するぞ。娘よ。


 そして、十数分後。雑煮が完成する。後は食べる前に餅を網で焼くだけだ。朝陽は危ないから小さく切って煮餅にしてやろう。

「ご苦労様」

 その声に「ん? 」と振り返ると、娘はまだそこに居てコーヒーメーカーから俺のマグカップにコーヒーを注いでくれていた。

「パパ、メタボになったらヤだから、砂糖とミルクはなしね」

 そして、自分のカップにはたっぷりと砂糖とミルクを足している。


「あ、ああ……ありがとう」

 娘のそんな気遣いというか、行動に少し戸惑いながらも俺はエプロンを外して向かいの椅子に腰かけた。

 ……落ち着かない。そう言えば娘と二人きりでコーヒーを飲むなんて初めての事だ。

 ちらり。と視線を前方に向ける。

 ……妻の若い頃に似てきたなぁ……でも、伯母の面影も少し感じる。俺と妻の部分をやっぱり分け合ってるんだろうな。そんな事を考えていると、娘がムッとこちらを睨む。

「なに? 実の娘をそんな厭らしい目つきで見て……そう言えばプロ野球選手はケダモノだってママが言ってたけど……」


 思わず、コーヒーを吹き出した。

「ば、ばばばばばバカな事言いよるで! 」こんなに慌てるとまるで事実を言われて困惑しているみたいじゃないか確かに、娘は美人だが。

「いや、大きくなったなぁって思っただけだよ」

 そう言うと、娘は溜息を吐きながら返答する。

「そりゃ、時間は経ってるんだから成長するわよ。今年で小学生も卒業だし」

 随分大人っぽくマセちゃって……ついこないだまで掌に乗るくらい小さかったんだぜ? ……そりゃ大袈裟か。

「まぁ、パパは仕事で忙しくてアタシの成長なんて気づかないよね」

 ドキィっと胸が鳴った。

「さ、寂しい思い……させてるか? 」

 心配そうにそう言うと、娘はカップに口をつけたままプイっと横を向いた。


「……別に。ママもそれに納得してるし、パパの分もアタシとアサヒの傍に居てくれるし。アサヒなんかテレビでパパの出てるシーンばっかり録画してるのよ。気持ちワル」

 くすくすと、その小さな肩が揺れている。


 俺は、様子を窺う様に飲み干したカップをテーブルに戻した。すると、間もなくその顔がこちらに、勢いよく振り向く。

「まっ、そんな訳だから。パパは一生懸命野球してたらいいんじゃない?

 でも……もう、怪我だけは気をつけてよね。一日でも長く野球選手でいる為にも……

 家族のアタシ達……特に、ママが心配するから……」


 本当に。

 本当に、俺なんかの娘かと思う程……妻の育児能力と娘の優しいその心に、思わず俺は感激してしまった。

「えっ⁉ 嘘、パパ泣いてるの⁉ 」


「ふえっ⁉ 」気が付けば、テーブルにパタパタと雫が落ちている。


「あえ? あれれ? ぞ、雑煮の玉ねぎが目に滲みたかなあ? 」

 俺は、誤魔化そうとそんな事を言いながら顔を隠す。その様子に娘はカップを持って洗い場までシンクへ向かうとそれを洗いながら。


「それに野球をやってるパパが一番カッコいいしね」


 何かを呟いた。

「え? 」と、俺が訊き返すと「キュ」っと蛇口を止める音。


「パパがプロ野球選手だと、人に自慢できるしって、言ったの」

 振り向き、そういう娘に俺はハハハと笑顔を向けた。

「そ、そうか。最近はウィードは女の子人気高いからな……」


「てゆーか、彼氏だけど」


「は? 」

 娘のその言葉が理解出来ず、俺の血管から神経から臓器筋肉骨格がその動きを停止した。


「今……なんて? 」

 震える俺の声は間もなく、廊下からの来訪者にかき消された。


「あ~、いいにお~い。今年もお父さんの雑煮は健在ね~。

 あ~、コーヒーいいなぁ。凪。お母さんにも淹れてよ」

 そんな呑気な妻と、眠そうに瞼を擦る息子が入ってくる。

 だが。

 なぁ、だがよ。

 そんな場合じゃないよな?


「お、お父さんは許しませんよ?

 お、俺の娘はやらん!

 絶対に他の男なんかにゃやらんからなぁあああああ! 」


 叫ぶ俺にポカンとする妻。

 溜息を吐きながら台所から出ていく娘。

 面白かったのか、両手を叩いて喜ぶ息子。


 それが、今年の……プロ野球選手である俺の……最初はじまりの朝。

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