第6話 三軍リハビリトレーニング

 地球温暖化とかは俺が子どもの頃からしつこい程言われているが、その年の広島は本当に残暑と言えない程、秋口をとうに過ぎていると言うのに、朝から晩まで猛暑日が続いていた。


 だが、そんな事も気にせず俺はひたすらグラウンドの片隅で素振りを繰り返し。自分を中心に大きな汗の水溜まりを毎日毎日作る。

 そんな事を幾度行っていた昼下がりだったろう?


「おいおい、どんだけ振りようたんなら……トモ、お前休憩とっとるか? 」

 俺が、その時どんな顔貌をしていたのかは知らないが、その声を掛けてくれた相手。園方さんと目が合った時――彼は、苦虫を噛み潰した様な表情を浮かべた。


「………安息やすめ、トモ……練習をし続けたからといって元の状態に戻る訳じゃあない。むしろ過ぎたオーバーワークで折角の身体を壊した選手達も見てきたろう? 」

 その言葉を聴きながらも、俺はバットを振る手を止めない。顔や覗いていた前腕から飛び散る汗が地に音を奏でた。

 そんな俺の肩を力強く引くと、彼は俺からバットを掴み奪う。

「ちょっと、飯でも食って話そうや。トモ」



「いらっしゃいませー」

「しゃいませー。しゃいませー」

 油と肉の焦げる匂いと、騒がし過ぎるその場は若手の頃から先輩に連れてきてもらっていたチェーン店の高級焼き肉屋だ。


「特上の、全部2人前ずつ。

 おい、トモ。お前酒は? 」


 首を一度横に振る。


「……じゃあ、ウーロン茶と、生で」

 注文を伝えると、少しの間向かい合った園方さんとの時間が訪れる。


「……焦っとるんか? 」

 無言で網を見つめる俺に、小さく息を吐きながら園方さんは続けた。


「気持ちは――解る。痛い程な……親父さんの事も……怪我の事もな」


 園方孝二そのかたこうじ、現在チーム現役最年長を迎える彼は20代の頃、俊足巧打で名を馳せた遊撃手だった。

 しかしピークを過ぎた頃、彼に試練が訪れる。陰りの見えた守備に対して名手の外国人をチームは迎えた。

 1つはチームリーダーを担う彼の奮起でチーム全体の士気を高める目的。

 1つは今後のチームにおいての若返りを目論む当時の外国人監督の意向。


 その様々な圧力に押された彼は、30を過ぎたその身体で若手と同じ訓練を進んで受ける。


 結果――その身体は激しいその練習に耐え切れず様々な故障を起こす。

 遊撃手という守備位置を失い。

 過酷なリハビリを経て、二塁手で復活。そのシーズンオフに故障が再発。


 俊敏な動きを求められる二遊間の生命線をそれで失った。


 今度は2年のリハビリを経て、一軍に復帰。

 誰もが――外野であるファンだけでなく、チーム内部の味方までもが彼を「終わった選手」と評価した。

 実際、俺も口には出さずとも同じ意見だった。

 誰が見ても――園方さんはプロ野球選手として限界を迎えていたからだ。


 しかし――。

 美浦監督再建の初年度。園方さんは美浦さんの構想下、一塁手として開幕戦から起用された。そしてそのシーズンスタメンを守りきり、3割1分8厘、14本塁打、72打点という成績を残し、その年広島の18年ぶりのAクラス復帰に貢献した。

 カムバック賞、更に最高得点圏打率。全ての外野の声を覆し彼は結果を残した。


 だが、翌年――ある二人の若手外野手が1軍に名を連ねる事により、一塁手の席が圧迫される事となる。

 そう、俺と勝丸の台頭。それが三度……このチームから園方さんの居場所を奪う事になった。


 そして――園方さんが行き着いた最後の居場所が。



「単刀直入に、言うぞ。

 トモ、お前わしの跡継いで『代打』やれ」



「お待たせしました~ドリンクです~」

 園方さんの言葉と、俺の間に小さめのジョッキとウーロン茶の入ったグラスが並んだ。


「……乾杯でもするか? 」

 俺は、ただ真直ぐに園方さんを見つめていた。


「……まぁ、お前も結構この世界に居るから理解出来取ると思うが。

 この、夏も過ぎた時期にわしの様なロートルが二軍に落ちるっつー事は、そう言う事なんじゃ。昨日、正式に引退要請とコーチ就任の話を上からもらってな。受ける事にした」


「お待たせしましたー! 特上タン二人前で~す。片面だけ焼いて食べて下さいね~」


 置かれた皿に盛られた薄桜色の肉をトングで掴むと、彼はそれを乱雑に網に仕切る。

「じゅわ~」と音と匂いを奏でるそれを暫く見つめた後、更に園方さんは続ける。


「代打専門って言われると引退間近に控えた打者の終の棲家の様に思うかもしれんな。確かに代打選手ってのはどのチームを見ても何年も同じ選手が勤めとるってのはまぁない。何故なら代打で結果を残し続ける選手ってのはスタメンで起用されるのが常じゃからな。そして、失敗すれば……わしの様に戦力から外れる事となる。

 じゃけどな。


 わしはな、代打が打者の最後の居場所だなんて、そうは思うとらん。

 その証拠にな――世間ではわしは競争に敗れて代打専門になったと思われとるが……」


 じゅっじゅ。と小気味よい音が宙に跳ねる。


「食え――どんどん来るぞ」

 目の前の小皿に注がれたタレの中に、肉が落ちる。

 じゅわっと、肉にタレが絡むと次いでの香りに久方ぶりに喉が鳴る。


「……わしは自ら代打専門を望んだ」


「何故……ですか? 」

 遂に口を挟んだ俺の声に、眉を挙げその後微笑を浮かべて園方さんは言った。


「今は――とりあえず肉を食おうか」

 その日、何日ぶりだろうか。

 俺は、腹がいっぱいになるまで飯を食った。


「ここだけの話、コーチ就任は監督就任を前提にっちゅう話でな。

 その時に――お前が球団を代表する代打の専門家になってくれてたら……わしのイメージしとる『優勝できる広島』に一歩近づけるけぇ。

 ……頼りにしとるけぇの、トモ」




 そして、俺は久しぶりに家に帰り。

 二人の子どもを久しぶりに抱き締めて。

 唯々満足するまでの眠りについたのだ。

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