第3話 7月12日 オールスター戦(不出場)

 セミがけたたましい程鳴き叫ぶ、盛夏の昼下がり。

 この時期を、俺達プロ野球選手はお祭り、又は夏休みと呼んでいる。


 何の事は無い。

 要するにオールスターシーズンで5日間公式戦が休みとなるだけ。ただし、オールスターに出場する選手達は皆興行に出ているので、休暇を満喫できるのは俺の様なオールスターとは無縁の選手だけだ。

 しかし、休暇と言っても不出場の選手達には大体所属球団から練習がみっちりと組まれているのである意味公式戦の時より動いてはいる。本日も二軍の練習場で一軍二軍の合同練習が朝から組まれていた。


 そんなサロンに戻って一息ついていた時だった。


「お~~い、トモ‼ 丁度えかった。若手どものノック、付き合ってくれーや」

 そんな声がサロンの入り口から聴こえる。

 あ、先にちょっと言っておこう。

 今、トモ。と呼ばれたのは俺の事だ。チームの皆(主に同期以上)からは俺は名前の智徳からとって『トモ』と呼ばれている。

 ……そう、そうなんだよ。あいつだけ「皆と一緒だとプレミアムがない」とか言いやがって苗字である前町から何故か『マチ』の方をとって呼んでくるんだ。

 ややこしいったらないよな。

 おっと、話がそれた。つまり、これは俺が呼ばれたわけだ。呼んだのは俺の3年先輩の荒金あらかねさんだ。昨年オフ、5年前に移籍していた博多から二軍打撃コーチとして広島に戻ってこられた人だ。


「どしました? 荒金コーチ」

 彼は「どーもこーもなーで」と言いながら俺の席の向かいに座り、全身の力を抜いて椅子に寄り掛かった。

「やってられんわ。試合が休みで練習だけじゃーて球団、コーチも最少人数で回すんじゃけ、わし一人で守備まで見てられるかいや」


「お疲れ様です、いいですよ。ノックくらいなら」

 俺がそう言うと「ホンマか! 」と嬉しそうに彼は飛び起きた。

「いや~、助かるでホンマ、それじゃあ2……」

 ノックの練習予定時間を伝えようとして、ふいに言葉が止まる。

「あ~……ホンマにええんか? その……足の具合とか……」

 なるほど。昔のこの人はお世辞にも他者に気を遣える様な人ではなかったのだが、コーチに斡旋されるにも、理由があるんだなと思った。


「はい、大丈夫です」


「ほうか? ほいじゃ2時から頼むわ。無理すんなよ? わしも特打の奴らの指導終ったら直ぐに代わるけぇな」

 それだけ言うと、彼は去っていった。


 ふと時計を見ると1時50分。

 おいおい、もう行かんと間に合わんじゃないか。

 俺は、慌てて陽射しで焼かれるグラウンドに向かった。




「おし、行くぞ‼ 」

 補助の選手からボールを受け取ると、サードベース付近で守っている選手目掛けて俺はそれをノックする。


「おーあー‼ 」

 叫び声を挙げながら、そいつはボールに飛びつく。しかし白球は虚しくそいつの後方へと加速をつけて転がっていった。

「おいー、なに横になって休んどるんなら‼ おらー、次いくぞー‼ 」

 俺の声を聴くと、限界の様に倒れていたそいつはあっさりと立ち上がって。

「バチコー、バチコー‼ 」と元気に叫び声をあげていた。


「最近の奴らはホンマええ根性しとろう」

 振り返ると、顔を汗まみれにした荒金さんが立っていた。

「トモ、あんがとな。助かったわ」そう言って、俺からバットを受け取ろうと手を伸ばされる。

「もう、ええんですか? 」

 俺の返事に「んあ? 」と荒金さんは間の抜けた声を出した。

「つっても、もう練習時間ええ加減終わりで? はは、夢中で気付かんかったか? 案外お前さん教えるんに向いとるんかもしれんの? 」

 荒金さんはそう言うと、今度こそ俺からバットを受け取った。

「つーても、ガキどもなんだかんだ言って居残りしやがるからな~

 おい――‼ 今日は、ナイターライト付けてもらえんのじゃけえの‼

 陽が沈んで球が見えんようになったら、終わりど‼ 」


 荒金さんがそう叫ぶと、グラウンドに居る数名の若手が「おーす‼ 」と気合の入った叫びをあげた。それを見て荒金さんは嬉しそうに笑うとバットを構えて……そして、思い出した様に俺に顔を向ける


「そうじゃそうじゃ。トモ、お前帰る前にコンゴーのとこ寄ってけ。わしから頼んどいたけ」

 その言葉に思わず「ええ? 」と俺の口から洩れた。

「なんや? 用事あったか? まぁ、折角じゃけちょっと按摩あんましてもらいんさいや。今日は慣れん仕事をしたんやから。ほれ、行け行け」

 後は、もうこちらの意見は聞く暇もないようだ。

「お疲れっす……」一言だけ言って俺は、その場を後にした。


「参ったな」

 ロッカーに下がる廊下で思わず声が漏れた。


 コンゴーと荒金さんが言ったのは、金剛鉄人こんごうてつとといううちのチームのメディカルトレーナーの事だ。

 そう、彼もまた俺達と共に広島で現役時代を過ごした人。


 金剛さんは、俺の一年後に入団された。社会人で実績をしっかりと積まれており前評判、そしてドラフト1位に恥じない成績を叩きだしその年、新人王を獲得しあっという間に1軍のスタメンを手にしてしまった人だ。

 同じ外野手という事もあり、俺にとってもお手本の様な人だった。


 プロ野球の世界は、入団した順ではなく、年功序列となる為、俺も勝丸も敬語をつかっていたが、その度金剛さんは「お前達の方が若くて既にこの世界に揉まれてるんだからすごいよ」と言ってくれていた。この世界では珍しい非常に腰の低い人。

 丁度、美浦監督の第一政権が終って、球団が新しい風をと息巻いていた時期で、OBの外国人監督を入閣させておりその監督の方針というか、カラーに金剛さんはぴったりと当てはまったんだと思う。彼はその象徴として傍から見てもフル回転の如く使われ続けた。

 2年目のオフに、金剛さんは古傷である右の肘を手術する。

 だがそれでも、その時の監督は翌年も彼をフルスタメンで使い続けたのだ。怪我が治り切る前に実戦に戻った彼はやがて自分の型を見失っていったのだと俺は思う。


 3年目、金剛さんは酷く成績を落とした。

 その翌年、チームの成績不振から監督が代わり。

 そして、新たな監督の構想の下、金剛さんは居場所を失った。

 それを彼から奪ったのは――二軍から上がった俺だった。

 それから、やがて金剛さんは怪我の影響で1軍にも上がれなくなり。

 丁度勝丸が1軍に定着する頃、誰にも気づかれない様に彼はひっそりとユニフォームを脱いだ。


 当時チームが13年ぶりのAクラスに届くかどうかの瀬戸際だったのもあり、彼の引退は選手には敢えて情報が遮断されていた。訊けば金剛さん本人が「今、チームに自分の引退試合をする様な余分な試合は一切ないし、その事で後輩や先輩に気を遣わせたくない」と言われたそうだ。


 そして、結局チームはその年Aクラスにはなれなかった。


 彼が引退する前のこの時――実は、1軍の練習中に俺は彼と会っている。

 最初は、1軍に呼ばれたのかと思ったが、後になって思えば監督やコーチに引退の挨拶に来ていたのだ。

 そしてその時、彼は俺にだけこんな言葉を掛けてくれている。



「やあ、前町くん。調子はどうだい? 」

 とても、穏やかな笑顔だった。

「金剛さん……ええ、何とかってところですよ」

 愛想のない返事の俺に金剛さんは、笑顔のままだった。

「前町くん。君はすごいな。

 本当にすごい。日に日に野球が上達している。

 君の様な人が、生き残るのがこの世界なんだと――僕は心底思うよ。

 君と同じチームで野球が出来た事が僕の誇りだ。

 そして――」

 そこで、彼は言葉を止めるが、俺は照れくさくて何も言えなかった。

 まぁ、後になって思えば。

 居場所を奪った俺に「気にするな」と伝えたかったんだと思う。

 そして、その後にもう一つ。

 奇しくも、それが現在の俺の足を重くする事になるんだよ。


「君も、怪我だけには――気をつけてね」


 あの時に、その言葉を俺はもっと正しい意味合いで受け止めるべきだったんだ。起きてからハッキリと思う。

 経験者の言葉の本質は――経験してからその意味を痛い程知る事になる。


 4年後――金剛さんは現役時代の貯蓄で柔道整復師と鍼灸師の資格を専門学校に通い取得。そして、チームに再びメディカルトレーナーとして戻ってこられたのだ。


 俺は35にもなって情けない事ながら、彼を引退に追い込んだのは自分ではないかという自己嫌悪と、先程の引退前に態々俺に助言をしてくれたのに、見事にそれを反故にして大怪我をした後ろめたさからこれまで彼を避けて来ていた。


 気付くと、トレーナー室の前に無言で立っている俺。

 来てしまった……

 やはり、今からでも用事があったとか理由を付けて帰ろうか?


 そんな事を考えていると目の前のドアが開いて、俺は後方へ飛びのいた。


「あ、よかった。遅かったから心配してたんだよ。荒金さんから聞いてるよ。ほら、前町くん。入って入って」

 その笑顔は、あの時と変わりない。若干輪郭がふっくらされただろうか。確か引退されてから結婚された筈だから幸福の証なのかもしれないな。


「し、失礼します」

 おずおずと、入室するとカーテンで仕切られたベッドに誘導され、そこに横になる。


「久しぶりだねぇ。

 中々、会いに来てくれないから嫌われてるのかと思ったよ」

 うつ伏せになった瞬間、そんな事を言われるもんだから、思わず腰を起こしてしまった。

「い、いえ、そんな事は‼ 」

 だが、彼は微笑みのまま「大丈夫、大丈夫」と、俺の肩を支えて体勢を戻す。


「足を重点的にマッサージするねぇ」

 そして、ギュッギュッ。と小気味よくふくらはぎが揉まれ始める。

 ……気持ちいい。


「……すいませんでした」


 突如、口から洩れた言葉に不思議そうに彼は手を止めた。


「怪我の事……注意するよう忠告してくれてたのに守れんで……」

 止まった手に再び力が入りだす。

「なんだ、そんな事か。

 気にしないでいいよ。

 だって――君は、今でも約束を守ってくれている……」


 その言葉の意図が解らなくて乞う様な視線を送っていたのか。そんな俺に彼はこう続けた。



「君は、まだ――この世界で生き抜いているじゃないか」

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