第4話 7月29日 オフ日
オールスター期間も過ぎ、いよいよ公式戦の内容も公式戦自体もキツイ局面を幾つも迎える事になる。
だという俺はそんな貴重なオフ日に、猛暑の外で或る男を待っているのだ。
「お~~~い、おっまた~~」
気の抜ける様な声を振り上げながら、俺よりも4つも老けたおっさんがこちらに駆け寄ってきた。
気味が悪いので、他所を向いていよう。
「おい、なんで無視すんじゃ。わしはお前の先輩ぞ? 」
「東京に行った裏切りもんがよう言いような」
心の奥底にジャストミートしたらしい。
まるで酷い腹痛に遭った様に、奴は顔から血の気を引いて先程の勢いが嘘の様に沈黙した。
「嘘よ。いちいち傷つくなや。やりずらぁ」
しかし、奴は未だに元気をなくしている。
「お前が、そんなにいじわるな奴とは思わなんだ。マジで。現役時代にお前にそんないじわる言われた事無ぁし。じゃけぇ、わしは今。この世に産まれ落ちて初めてと思われる人生のショックに立ち会っとる」
「ほうか」
「ほうじゃわい……」
そこまで言うと、俺はゆっくりと奴から離れる様に歩を進めた。
何も言うでもなく、奴はその後に付いてきている。
向かう先は、凄まじい角度の坂の上。
嫁と子ども達とつい数日前のオフにも登ったその坂は、更に強くなった夏の日差しが凶器の如く照らし続けている。
「なぁ~、マチぃもうちょっと、ゆっくり歩いてくれよぉ~。現役選手が引退選手と、同じペースで歩ける訳ないだろぉ~、エスコートの何たるかを知れよぉ~。どーていかよ~」気色が悪すぎるので速度を増すとしよう。ホント、ゆっくり歩かないと、古傷に悪いったらないのに。
「ほいじゃあ、花代はわしが出そうわい」
頂上の寺に到達して、ハァハァ息を切らしながら、奴はそう言って来た。
「ほうですか。じゃあ、わしは柄杓とか借りて水を汲んできます」
懐かしいガチャポン式の井戸を動かすと、ピシャピシャと波打つ新鮮な水の冷気に、思わず頬が緩む。
ここは広島にある美浦監督が眠る墓のある寺だ。
忙しくなる盆の前に俺はもう家族を連れて挨拶に来ていたのに。折角のオフの日に「わし、来週移動日挟んで広島遠征じゃけ、監督の墓参り行こうや」と連絡があったのは昨日の深夜だ。
「お~い、早う行こうや」
お互い仲の良い若手の頃とは違い、妻を持ち子どもも授かったというのにこの男は何故ここまで自分の都合で他者を巻き込む事に一切の遠慮がないのか。そもそも、こちらの返事を聞かずに今、こんな状況になってるんだが。どう考えてもこれはおかしくないだろうか。
そんなこんなを考えていると、坂の上の墓地に着く。その脇にある枝垂桜の下にひっそりと在る墓が美浦監督の眠る場所だ。
「監督、今年も来たで」
墓の前に行くと、まるで子どもがゴールテープを切る様に一気に俺の前に躍り出ると、あいつは墓前に着くなりそんな事を言った。
そして、膝を付くと手を合わせて。
「今年は、きっと広島は優勝します。
園方さんと、こいつ――マチが優勝させますよ」
随分無責任な事を言ってくれる。
だが――今日だけは言わせておいてやろう。
セミの鳴き声がうるさすぎるからな。
あの日の様に――。
17年前、前町、勝丸、プロ野球選手1年目。
「あ~、くそ。何で広島なんかに拾われたんかな~? こんなくそ練習ばっかの球団。冗談じゃない。お前もそう思うだろ? 」
そう言って来たのは同期入団の勝丸さんだ。都内出身で6大学で実績を残された。所謂アマチュアのエリート選手。しかし、練習中によく無駄話を持ちかけてはサボりの出汁に使われるのでなるべく練習中は近づかないようにしている。
「おい、勝丸。おまぁシートノック中にちゃぼけようる暇があるんか?
えらぁ守備に自信があるんじゃのぉ、すまんのう。こんなしょぼい練習させてしもうて」
その瞬間――勝丸さんの血の気が引く音が聴こえた。
「よっしゃ、じゃあもう練習終わりにするか。
おう、勝丸。前町。この後、監督室に来い」
その初老男性は、それだけ言うとその大きな背中を見せてその場を去っていく。
「……マジか、あれ1軍の監督よな? え? 練習中の私語で……まさか解雇? え? マジ? 」
もし、そうなら何故俺まで呼ばれたのか。
「おう、来たか。あ? 勝丸は? 」
俺は、横目で後ろのドアを見る。そこには先に俺を中に入れた勝丸さんが様子を窺う様に忍んでいるのだ。
「少し、腹痛がするので便所に行ってから来られるそうです」
それを聞くと、監督は「ん~」と頭を掻いた。
「まあ、ほいじゃああいつは後でええわ。
前町――今のうちの1軍順位成績、知っとるか? 」
俺はそのソファに座る監督と目を合わせながら、今朝の新聞を思い出す。
「確か……44勝50敗1分でリーグ5位。1位の東京とのゲーム差は13ゲーム」
俺の言葉を聞いて、眉毛を片方だけ動かすと監督は座っていたソファの背を大きく鳴らした。
「そうじゃ……そんで、昨日までの東京との3連戦で3タテを喰らい、今季の自力優勝が8月の時点で消滅じゃ。
毎年、毎年懲りもせず。わしは同じミスでチームを敗北に導き、今年で5年連続優勝を逃した。ハッキリ言おう。わしは責任をとって今年で監督を退く事になるじゃろう」
そこまで言った時に、俺が立って話を聴いている事に気付き「来い」と机の横のソファに促し、監督もその向かいのソファに座る。
「おう。勝丸。お前もいい加減入ってこい」
そして監督は扉に向けて声を掛けた。
間もなく「きぃ」と静かに扉が開かれて、勝丸さんが「えへへ」とぶっ細工な笑顔を浮かべながらへこへこと頭を垂れながら、俺の隣にちょこんと座る。
「退任する事に後悔はないが――無念がある。
それは、お前らの事じゃ」
俺達は、ただ静かにその言葉を聞く。
「勝丸。前町。
お前達を初めて見た時から思った。お前達二人は必ず広島になくてはならん選手に成長すると。
出来れば二人、最悪でも一人。お前らがどうしてもわしの構想に欲しかった。
そして、去年のドラフト。見事に二人とも取れた。そりゃ心底嬉しかったで。
お前達の成長を見ながら、そして未来への希望を持ちながらチームを指揮出来るっての」
監督はジッと俺達の顔を見比べていく。
「それでな、わしがお前達にしてやれる事は。
次の監督になる奴にも――お前達の可能性と才能を解らせ、お前達の成長を促す事しかない。しかし、お前達にその覚悟がなければひょっとしたらこれは逆効果になるじゃろう。
のう――勝丸。前町。
明日から、1軍じゃ。
2軍とは比べ物にならない、その実力の世界で何かを残してみぃ。そうすりゃ、監督を務める同業の奴には、お前らの能力が理解る筈じゃ。
…………ほれ
今日は晩飯にこの金で肉でも食え。
じゃあ、明日。間違えずに1軍の球場に来いよ」
そう言って、俺達二人に順に監督は1万円札を握らせて、机に戻った。
「話は以上じゃ。ご苦労さん」
――奇しくもこの時、美浦さんが呼んでくれた1軍での活躍で俺達二人は1軍と2軍をいったりきたりの選手だったが、5年後の美浦監督の復権時まで首を切られずにチームに残る事が出来たのだった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます