第8話 9月22日 対東京ナイツオブラウンド戦 後編

「ま、前町さん‼ 雲母さんとベルタースが四球で塁に出ました。

 もう一度打席が回ってくる可能性が有ります‼ ベンチまでお願いします‼ 」

 兵藤が、興奮した表情を隠さずそんな事を伝えに来たのだ。


 なんとなくだけど今日は――そうなると思っていた。


 ベンチに戻ると「こっちこっち」と、井土さんが俺を呼ぶ。


「投手は、二人代わりました。今投げてるのは今日四人目の投手リリーフ

 昨年のドラフト1位、右の足利あしかがです。

 新人らしく、剛のタイプで昨年の甲子園で話題になった160キロの直球をコース関係なくバンバンと投げ込んできています。

 変化球はありません。チェンジアップとツーシームで直球に緩急をつけてきますので、そこだけ注意して下さい」


「奪三振率と、与四死球率は? 」

 俺の質問の前にはもう井土さんはタブレットを操作してその情報を得ていた。

「1軍のデータはまだ少ないですが、先発で出ていた二軍戦では、奪三振率は8.47そして、与四死球率は3.21」

 そしてタブレットから、俺に視線を変える。

「典型的な……新人らしい、勢いで勝負のパワーピッチャーですね……」

 俺はベンチの前に向かうと、その投球を眺める。

「典型的な新人が160キロは出ねぇだろ……」思わず愚痴が零れた。


 ここまで聞こえてくるミットに入る時の異音。


 凄まじい投手だ。経験と時間をこれから得れば、ゆくゆくはナイツオブラウンドのドラフト1位に恥じない選手に成長する事だろう。このエースが突如崩れて相手に完全に流れが動いた場面で、堂々と自分に在る唯一の武器で格上にそれを投げ込む、その精神力も新人離れしている。そしてナイツオブラウンドも、その未来を見据えて彼にこの場面を任せたのだ。

 これは新人に任せるには高すぎるリスク。向こうも勝負に出ているという事か。


 場面は、6対4のまま1アウト1、3塁。


 打者は七番浦風條うらかぜじょう。平均年齢25歳と若いウィードのスターティングメンバ―で最年長のまとめ役。その成績は平均よりもやや低めだが、ここ一番の集中力。そしてその責任感は間違いなくウィードにとって重要な要因だ。

 特に、こういった場面では結果を残すのが浦風、最大の強み。


「キンッ」

 強い打撃音を残し、白球が居綱の様に地を這った。

 その勢いを見て、ランナーも一斉にスタートを切る。


「……いかん‼ 」

 園方監督の隣に立つ小丸こまるヘッドコーチが、悲痛そうに叫んだ。

 途端に、東京ベンチとそのファンが歓声を挙げる。


 東京ナイツオブラウンド遊撃手、謳歌伴内おうかばんない

 東京ナイツオブラウンドの主力にて主将。そして日本を代表するその華麗なる内野守備は、今まさにこの瞬間――。

 相手チーム、広島のその勢いを殺しに掛かる。


 三遊間を抜けるであろうと思われたその打球を、謳歌は横っ飛びでグラブに納めると眼にも止まらぬ速さで身体を起こし、二塁に送球。


 一塁走者は、足の遅い助っ人外国人。ベルタース・オリジナル。

 当然、難なく封殺。


 最初はなから狙うはその先――謳歌からその球を受け取った東京ナイツオブラウンド二塁手、神田光琉かんだこうき。昨年までパ・リーグの千葉ライトニングケーブルスで、4年連続二塁でゴールデングラブを獲得した強打の名手。

 ベルタースの打者援護のスライディングをまるで家の玄関の鍵を開けるが如く簡単に避けると、その動作のまま一塁に送球。


 そして、それを視界に入れた浦風は一塁ベースに飛び込んだ。

 その姿は「無我夢中」とか「なりふり構わず」という言葉が相応しい。スマートさの欠片も無い、野球選手という選ばれたそのプロフェッショナルが見せる、その格好悪い所作。


 それを最高に、カッコいい野球選手の姿形かたちと俺は思っている。


 ――そして、それは。

「セーフ‼ 」

 喩え、結果を伴わなずともだ。


 ツーアウト、ランナー入れ替わり、一三塁変わらず。

 八番捕手、神月葵しんげつあおい

 広島ウィードのスタメン選手で最も打率が低い彼は、捕手という野球でも特殊な守備で秀逸なモノを持っている事によってその選ばれた9人の中に居る。

 近年は所謂「打てる捕手」が流行っているが、捕手の本分は守備分野に在る。

 例えば、シーズン通して3割30本塁打を達成した捕手が居たとして、一度も投手を完封試合に導けなければ。

 それは、打者としては一流かもしれないが捕手としてはプロですらない。


 プロ野球の世界で、必要な捕手は。

 80点の投球を100点に書き換えれる才能を持った者だ。

 そう言った意味で、神月は間違いなくプロの捕手。


「葵‼ 前町さんに繋げ‼ 」


 ベンチからそんな言葉が飛び、ゆっくりと彼は俺と入れ替わる様にネクストサークルを出ていく。

「前町さん」

 そんな時に、彼はそう俺に呼び掛ける。

「なんだ? 」

 そう、訊き返すと彼は女性と見間違えそうなその、綺麗な顔をヘルメット越しに甘えるように向けてくる。

「もし、繋げたら――よしよし。してくれますか? 」

 俺は、絶句して顔を引くつかせた。

「冗談ですよ。でも、ここで追い付いとかないと愛するダーリンの負けが消せませんからね……」

 そう言うと、彼は今度こそ打席へ向かった。

 ……神月にはそういう噂が有り、12球団それぞれの地方に……恋人(♂)が居るとも言われている。怖ろしい事だ。出来ればそっちでは関わりたくない。


 神月は左打席に入るとバットを寝かせ、尻を突き出す独特のフォームをとった。

 本人曰くベッドで獲物を狙う女豹をイメージしているらしいが、それについては余り詳しく語りたくもない。


「ストライク‼ 」

 一気に弾けた様に歓声が怒声を混じらせて、球場内に木霊する。

 神月は直球のみに的を絞ったのか、チェンジアップに全くタイミングが合っていない強振で空振りした。

 だが、俺はそれよりもその後の二人の動きに注目し、この空振りも神月の駆け引きだとここで知る。


 続く2球目。恐らくここでその解答が出る。


「あ~~~~~~~~~⁉ 」

 観客の困惑する声が響く。

 神月が予想だにしない行動をとったからだ。

 その行動とは。


 セーフティスクイズ。


 三塁線ライン際に見事に勢いを殺した白球が転がった。


 それを迎え撃つべく猛烈な勢いで突進すは。

 東京ナイツオブラウンド三塁手、グラン・バザール。

 野球の本場メジャーリーグでワールドチャンピオンにもなったチームで、年間通して4番を張った事のある40歳超ベテラン、ピークはとうに過ぎながらも球界屈指の強打者だ。

 だが、彼らメジャーリーガーの特筆する点は他にもある。

 それは――送球の強さ。日本的に言うと肩の強さとそれは言うが、彼らの場合その言葉は当て嵌まらない。

 内野手が振りかぶって送球を行うのはメジャーリーグ以外の野球選手だと言われている。彼らが振りかぶるのは外野からの返球時のみというのは事実だ。

 では、内野守備では送球はどう行うのか?


 それが、彼ら海外の選手のみが持つ武器。異様なまでの手首のその強さだ。

 近年では日本人も次々とメジャーに挑戦している為国内のテレビ放送でもその試合が観れる機会が増えた。

 だからそれを観た事のある人なら知っているだろう。

 飛び込み、痛烈の打球を捕った選手がそのまま、まるでフリスビーでも投げる様に前腕と手首のみで矢の様な送球を行うその日本の野球では有り得ない日常的な映像を。

 この俺達日本人では先天的に獲得できない肉体的強さが彼らの強み。


 足は鈍足ながらも、グランは球を捕ると例の如く素早い動作で送球に入った。


 この時――二つの要因が絡み合う。

 一つ。グランが海外の選手であり日本語での指示が耳では得られなかった事。


 二つ。そのグランが持つ最大の武器、手首の強さから放たれる送球故に振りかぶる。というワンテンポ、動作がなかった事。だから視てから判断が出来なかった。


 捕手の佐々波は即座に一塁への送球を指示していた。彼の位置からは神月の行ったそれが見えていたからだ。

 しかし、もう動作に入っていたグランはそのまま本塁に送球。

 ここでグランと佐々波の両者の思惑に、不具合が生じる。


 通常ならセーフティスクイズの場合、真っ先に投げるは本塁で正しい。だが三塁走者の雲母は本塁に突入していなかったのだ。

 そう――状況的にセーフティスクイズのこの実は……

 三塁走者と打者の神月による計画的セーフティバント。


 神月は、確かに広島ウィードのスタメン8人で最も打撃に精彩を欠く。が――。

 スタメン8人で、上位の身体能力を持つ。

 それは走力だ。

 彼は、俊足の部類に入る選手。

 捕手。という守備位置では珍しい俊足選手。

 だからこそ成り立つ――この駆け引きの果てに――。


「セーーーーーフ‼ 」


 満塁。

 全員が持てる武器全てを出しきって――。

 打順は一巡した。一巡。もう一度、巡る。と……書く。


 この状況で投手交代かと思ったが、向こうさんのベンチは動く気配がない。どうやらこのまま新人に経験を積ませる事を選んだか。

 それとも、俺にはこういった力で押してくる若い力の方が効果的と見たか。どちらも少しずつ的を得ている事だろう。


「先程は、恐れ入りました」

 俺がバットを宙に立てたルーティンの所で、佐々波がそんな事を囁いてきた。

「まぐれだよ。姿野の球が良く伸びてたから、その威力のまま流した打球も良く伸びた」

 少しだけ乾いた笑い声がそれに返される。

「勉強になりました。次に活かさせて頂きます」


 そこで、会話は止まる。俺はグッとバットを引き寄せると、集中力を高めた。


 1イニングで2度打席が巡ってくるのは、4年ぶりくらいの事じゃなかろうか。打者一巡は決して珍しい事ではないが、代打の俺から始まってというのは、多分初めてだな。

 さて……状況を再確認しよう。

 点差は6対4でこっちが2点ビバインド。そしてツーアウトながら満塁。相手の外野がかなり前に来ているから、外野の頭を越せば一塁走者の神月の足も考えれば3点は固い。要するに逆転という事だ。

 足利の球を俺が外野の頭を越す。これはかなり難しい事だが。

 幸いなのは、彼には直球系の球しか無い。という事だ。

 つまり、姿野の時の様に変化球を考慮する必要性がない。その事実は「引っ張り打ち」を狙えるという事に通ずる。

 タイミングとコースだけを把握し、思いっきり全力で強振する。

 俺の腕力で出来る最大限のフルスイングだ。

 さて……では佐々波はどこに、何を要求する?


 今一度、佐々波の心境に立ってみよう。

 現在、彼の心は決して穏やかでは無い筈。それは先の打席に立った俺に声を掛けてきた事で明らかだ。普段冷静な佐々波は相手の選手に声など掛けない。普段から異常な程の警戒心を持つ男だ。


 では、その意味は何か。

 ただ単に俺の本塁打への憤怒? もしくはこの流れによる憤怒?


 違う。

 恐らくは俺から始まったこの流れを断ち切るという意味合いで、俺の集中力を遮断しようとしたか、或いは何かの探りだ。

 意味もなく佐々波は行動しない。彼は勝利の確率でのみ行動を起こす。


 そうつまり――。

 これは一種の意思表示。一度負けた相手の格付けを――もう一度元の場所に戻すという。

 いま一度。

 今度こそ同じ球、同じ配球で、俺を斬って落とし。

 自信の読みの正しさを証明するという。

 佐々波の意地しょうめいの宣言だ。


 足利は、その長い足を高々と振り上げる。

 そこで、俺はバットの握る位置を下方へ指一本ずらした。


 タイミングは、先の神月が一、三塁手のダッシュを殺す為に見せた時の大振りで見ている。チェンジアップに思いきり直球のタイミングで振ったあの空振り。


 外の音が消える。

 俺と投手だけが息を放つ、その世界。まるで二人の鼓動が一つの重なりに向かう様な。


「カキィイイイイイイイン」


 思いっきり振り抜いた時。それが、完全にバットの核へ当たった時。

 そこには怖ろしい程手応えという、感触が無い。

 シン……と静まる球場内。


 レフトスタンド、中段にライナー性の打球が突き刺さった。


「…………わぁあああああぁあああああーーーーーーーー」

 球場内が割れる程の歓声が地を揺らす。

 慌てた様にオーロラビジョンが派手な演出を起こしだす。

 俺自身、信じられない出来事に思わずその景色を呆ける様に見続けた。


「……早く、行ってもらえます? 」

 佐々波の声で、ようやっと我に返った。

 気付けば三塁走者の雲母がもう、目と鼻の先まで向かって来ている。


「……参ったな。まだまだ元気じゃないですか。

 勝丸コーチの話じゃ、フルスイングしたらぎっくり腰になるって聞いてたんですけどね……」


「そりゃ、期待に応えず申し訳ない」

 佐々波の言葉を聴きながら、俺はダイヤモンドへゆっくりと向かう。


「先程の広島、前町選手のホームランは……

 史上初、代打1イニング2ホーマーの記録となります。また、1ゲーム2ホーマーの協賛特典として……『うまか海苔』1年分『元気印のミカンジュース』1年分が贈られます」


 二塁を巡った時くらいに、そんなアナウンスが流れた。



 記録なんかと無縁な代打の選手でも――偶には、こんな日もある。

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