第9話 対広島安芸ウィード 経営

 木枯らしが見え始め、外を歩くのに長袖の上から上着を羽織る様になるこの時期。 プロ野球選手にとって、最も重要となる契約更新が始まる。


 そして、これを迎えられる選手達はまだいい。

 毎年、12球団の数多くの選手がこれを迎える事無く肩を叩かれる事になるからだ。

 本当に……プロ野球選手の殆どがこの時期を迎えるのを暗い気持ちで待つ。


 今季、俺は開幕からCSまで離れる事無く、1軍に帯同出来た。

 と――言って、では来年は安泰か? と問われればそこには何一つ。契約を終えるまで確証はない。

 代打専門。その立場は1軍の席の中で最も弱いと言える。

 プロ野球1軍のベンチには毎試合25人しか入れない。

 スタメンとそのサブを考えると野手では15人程度となる。守備も出来ないロートル選手に15分の1の席を与え続けるというのは、チームの未来を考えるととても悪手であるとしか言えないからだ。

 何故ならば、代打でも使いたい、チャンスを与えたい若手。というのは毎年必ず頭角を現す。

 そんな時、その席が空いていない――のはその選手に経験を与えられない事に直結してしまう。結果、選手の成長の妨げとなりチームの新陳代謝が滞る。


 そしてそう言った例は毎年どこかの球団で視られており、昨年は、代打でリーグトップの成績を残した大阪梅田オクトパスの我臣がしんさんが事実上の戦力外通告で引退した。

 歳は当時の俺より5つ上の41歳で俺と同じ様にもう守備は身体的に厳しい状態ではあったが、終盤の試合ではオクトパスのCS進出に貢献するタイムリーを放つなどシーズンを通してその活躍を見せていただけに、そのオフの発表は多くの関係者を驚かせる。

 だが大阪のファンの多くは、それを納得していた。

 チーム状況を考えると、近年オクトパスは明らかに若返り傾向だった為だ。

 例え代打の成功率が落ちる事になっても。

 その貴重な1軍の1席は、この先の若手達の成長の為に使われるべきと判断されたのだ。


 ――だから俺も『確実』なんて無いのだと思う事にしている。


 ただ、日々を。

 プロ野球選手という日々を一日でも長く過ごしたい。願わくば今年も例年通りの通過儀礼であってほしいと願いながら、俺は広島ウィードの親会社、安芸清酒工房株式会社の本社ビルへと向かった。

 着慣れないネクタイの圧迫感が煩わしい。いや、落ち着かないのはそれだけではない。


 奥の面談室の扉の前のソファに座って待つ間にも、意味もなく立ち上がったり、ほんの少しの距離を行ったり来たり。気持ちが行動に出てしまう。


 そう言えば、最近は交渉を専門家に任せる選手がほとんどになった。

 俺は、逆に金を貰う相手と直接会って話をしなければ、なんかスッキリしないから専門家を通すことなくここまできてしまったので、今更雇う事ももう無いだろうけど、この待っている時間は毎年「雇っとけばよかった」と思い続けている。


「前町さん、どうぞお入りください」

 中から、専務が出てきてそう言うと俺は、大きく息を吸って部屋へと足を踏み入れた。

 面談室は、左程広くもない部屋だ。


 今回は、交渉には専務と社長、そして恐らく査定コンピューターの操作人が対応するようだ。向かいの席にその三人が俺を待っている。


「いや、今年もお疲れさん。

 特に終盤の2打席連続ホームランは素晴らしかったね。あの試合を落とさなかった事でチームにも勢いがついて、リーグ2位になれたといっても過言ではあるまい。

 チームは惜しくもCSのファイナルで東京に敗れてしまったが……」


 社長が、俺が席に着くとすぐにそう言いだした。


「前町くん。うちは、君と来年も契約を結びたいと考えている」

 思わず、掌が緩んだ。

 こんなに早くこの言葉が交渉の席で出たのは随分と久しぶりな気がする。だが、ここで油断するのは早計だ。


「ところで」

 社長のその言葉に、俺は動揺を抑えて視線を向ける。

「君も、来年で36歳だな。

 野手で最年長だった南出なんでくんが今年で引退となったから、来期は君が最年長として若いチームをまとめて引っ張ってほしい。

 そこで――だ」

 社長は、そこで専務に促す様に顎を動かした。


「実は、来季1軍打撃コーチの志摩さんがご家族のご都合もあり、埼玉レアメタルスからの打撃コーチとしての誘いを承諾されて移籍が決まりましてね。

 うちとしては、2軍から荒金さんを1軍打撃コーチに昇格させるという事で意見は一致しているのですが……何分彼はまだコーチとしての日が浅い……」


「そこで――だ」

 任されたのに話の途中で社長が話の核心に入った。専務は少し驚いた様に目を見開くと小さく溜息を吐いて眼鏡を中指で一度「クイ」と挙げる。


「前町くん、君には来季選手兼1軍打撃コーチ補佐として、若手とそして荒金新人コーチのサポートにも来季は回ってほしいんだ」


 コーチ兼任選手。

 90~00年代にはどこの球団でも珍しくなく居たその特殊な位置付けの選手は近年のシステマチックな野球ではあまり取り入れられなくなった。

 何故か? まず、両立が困難である事。

 この20年間で日本の人々の生活はガラリと変わった。一つとっても例えばインターネットの普及。

 SNSなぞ無かった時代では考えられなかった情報の漏洩がいとも容易く起きてしまうのが現代社会の文明の発達だ。

 最近よく学校の先生とかでも聞くだろう。

 昔の様な運動会系の師弟関係ってのは、もう通用しないんだ。


 教える方が神経を遣う。それが現代の師弟関係だ。

 そしてもう一つ、その情報量によってそれがコーチのそれを上回ってしまう事が在るのだ。己で調べて己で鍛錬を積む。

 昔では高が知れていたその行為は、今では享受のそれよりも性能が高くなってしまうのだ。


 それと、付け加えるならば。

 兼任選手は主に1年限りの『準備期間』とも今は言われている。

 その証拠に、兼任選手の殆どが兼任になった年はほとんど試合に出ず、コーチとしての経験を積む。

 そして、翌年――予定通り引退しコーチとして仕事をこなす事が約束される。

 詰まる所……現在のコーチ兼任依頼とは。

 引退勧告兼次回ポストの為の修行期間となる。


 ……これは、プロ野球に関わるものとして、とても有難い話だ。

 年間平均100人近くの選手が引退または戦力外通告を受ける中、俺は現役期間中に引退後のポストの仕事を覚える時間まで貰えるのだ。しかも、選手としての年俸を貰いながら。

 これは、球団からしたら俺に対する最高の評価となる。


「前町くんは、若手達からも人望が厚いと聞いているよ。更に、君の様に怪我の経験もある人材というのは同じ境遇の選手にも勇気を与える存在となる筈だ。

 そして……来季の年俸だが……

 現在の5000万を現状維持として……コーチ補佐兼任分で1000万上乗せでどうだろうか? 」

 社長はそう言うと、満足そうに微笑んだ。

 それもそうだろう。繰り返す事になるがこの条件は俺にとって……徳しかない……。


「申し訳ありません。もう一年、現役にこだわらせてもらえませんか? 」


「え? 」


「え? 」


「は?」


「へ? 」


 その場に居た四人が同時に、その言葉に続く様に、そんな声を漏らした。

 そう――四人だから、その言葉を放った俺自身も戸惑う様なそんな声を漏らしたという事だ。


「ん? ん?

 んんん? え?

 ど、どどどいうこと? 」

 社長が顎の肉を揺らしながら動転した様子を見せる。


「つまり……コーチ補佐兼任でなく、選手のみとして来季も集中したい。という事ですか? 」

 専務が冷静でいてくれて助かった。俺も、その言葉にもう一度頭の中で、自分が何故その様な事を言ったのかを、自問自答する様に繰り返した。


「はい……俺は……」


 二人は、俺のその言葉を聴くと、腕組みをして眉間に皺を寄せながらも。

 最終的には納得してくれた。



 やはり、この契約更新。というのは好きになれないな……と俺は再確認した。

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