第10話 対安芸宮島新聞 広島安芸ウィード担当記者

「前町さん‼ 」


 会社の正面玄関には記者が出待ちしているから、それが煩わしい俺はいつもこの職員専用出口を契約更新の時は使用するのだが。


 そして、それを知っている記者は彼だけだ。

 安芸宮島スポーツ新聞社、広島安芸ウィード担当記者。

 黄道楓こうどうかえで。出逢った頃は年下かなと、思っていたがそれから17年経つが未だにその頃と雰囲気が変わらない為、ひょっとしたら年上かも。と随分前から思っている。


「こんにちは、黄道さん」

 挨拶が交わされると、彼は駆け寄ってきてメモを広げる。

「どうでした⁉ 3年間保留しているFA権は今年行使されるんですか? 」

 すぐさま質問がくるのが、やはり記者だなぁと思うが、彼との関係も長い為(実際、記者さんで彼の様に同じ個所に留まっている人は見た事も無い)俺は、静かに首を振った。


「俺なんかより、今年だと木藤とかを当たった方が良い記事になるんじゃないんですか? 」

 サラサラと何かをメモに取ると、彼はボタン式のボールペンを鳴らし、それで頭を掻いた。

「ん~、木藤くん、雲母選手辺りは代理人をたてられてますからね。取材がどうしても球団側からになっちゃうんですよ。

 ほら、やっぱり契約更新は選手側から聞きたいじゃないですか。

 一応折が付いたら記者会見は開いてくれますけど……

 ぼかぁやっぱり今みたいに、生の声をこんな感じで聴きたいんですよ。

 特に、前町さんはむっかしから自分で契約もされるし。僕にとってはこの取材は年行事みたいになってますね。

 ……あ、勿論前町さんが記事に足り得る名選手だからですよ! 」


 凄まじい勢いで話されるが、半分以上は聞き取れなかった。本当によく舌がまわるものだ。


「解りました。じゃあ寒いしどっか入って話しましょうか」

 俺の言葉で、彼も「賛成」と傍に寄る。

 入った所は、旧球場跡地の近くに昔から開いている小さな喫茶店。

 戸を開くと、鐘が鳴り薄暗いその木造の古い作りが全身を包み込んでくる。まるで自分が古い図書館の本にでもなった感じだ。


 奥のテーブルに腰掛けると、コートを脱いで隣の席に掛ける。

「ここに来ると、あの日の事を思い出しますね」

 黄道さんの言葉で、俺は天井を見つめた。

「そうですね。あの取材がもう7年前ですか……」

 そうして、変わらないその場所が――刹那の瞬間、俺を過去の世界に引き戻す。

 

 それは、8年前の同じ季節の話。


 その年、俺は契約を病室で行う事になった。

 そしてこの時ほど、この契約更新というものを怖がった時は無かった。


 なんせ、怪我をして3カ月も経っていたのに、未だにリハビリの目途もたたなかった状態だったんだから。

 丁度、この入院中に2人目の……長男、朝陽あさひが産まれたんだ。

 だから、より一層。

 もし仕事と、野球の二つを失った俺と、俺の家族の未来を考えると……あんなに恐怖して不安を貯め込んだ時はこの先にも後にも無かった。

 されど焦っても、足の痛みは一向に引かず。

 一生このままなのかと、俺は色々な不安を抱えていた。


「おはよう、智徳。見舞いにきたでぇ」


 その声と同時に、個室の病室の重そうな戸が開かれる。


 俺が、手術をして入院してからというもの両親は毎週定休日の水曜に俺の見舞いに態々車で片道2時間もかかる田舎から出てきている。


「これ、洗濯しといた着替えと差し入れの水とプロテインね」

 母親が隣の衣装ケースにどっさりと紙袋を置く。


 父親は、その時花だけを持っていた。

 この時は、少し痩せたな――くらいには思っていたけど、それを相手に気遣える程、俺に余裕は無かった。


「痛みはどんな? 」


「痛いまま」


「リハビリの予定は? 」


「一向に決まってない」


理絵りえさんとなぎとえっと……朝陽は、みんな元気か? 」


「元気じゃねぇの? 」

 素っ気ない返事だけ。毎週毎週訊かれるのは同じ事だし、俺は俺で足の痛みで相当苛ついていたのもあって……いや、今思うと俺は相手が親だから、甘えていたんだとも思う。


 そんな時だったから。


「なぁ、智徳。早う怪我治してまた父ちゃんにお前が活躍しとる所……見せてくれな? 」

 何気なく、恐らくは励まそうと言ってくれたその言葉を。


「……はぁ? 」


「いや、じゃから……怪我を……」


「ふざけんな! 」

 俺はそう言うと、ターンテーブルに置いてあったプラスチックのコップを地面に投げつけた。


 突然のその行動に両親はギョッと動きを止める。


「早く、怪我を治せ?

 やってるよ。

 でもよ、足が思った様に動かねぇんだよ。

 ははは、野球?

 出来るかよこの身体で。

 やれるかよこの足で。

 雇い続けてもらえるかよ! 球団に! 」

 俺の中に溜め込んでいた全てが溢れ出る様だった。


 両親はそれをただ、静かに聴いている。

 齢27の、とうに自立した――大人になった息子の叫びを。


 やがて、父親はかつての幼い息子をあやす様に、優しくその口を開く。


「ええよ。智徳。

 お前が元気に。

 楽しく。

 野球をやってくれるなら。

 ウィードじゃなくてもええが。

 プロじゃなくてもええが。

 お前が、お前の人生を。

 怪我なんかでへこたれずに。

 楽しんでくれる。

 その姿が。

 父ちゃんは見たいだけなんじゃ」


 親子三人は、その言葉の後無言の時を過ごす。


「すまん。今日はもう帰ってや」

 俺は、耐え切れずに布団を被った。

 これではまるで、思春期の子どもだ。


「ほうか、わかった。また来るけんの」

 そう言って病室を出ていく父親の背中と、俺を何度も何度も見つめながら、母親は何かを言いたそうだった。


 この直後俺は広島と来季の契約を交わす。

 内容は年俸昨年度より20%減、そして来季1軍の試合に出場出来なければ、再来年は育成選手として契約を結びリハビリに専念する事というものだった。

 俺は少なくとも2年球団から時間を貰えたのだ。

 その時は、唯々それだけが嬉しかった。


 そうして、丁度同時期。


 あの日の事を謝る事も出来ないまま。


 ――父親は亡くなった。

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