第16話 6月4日 対北海道札幌ビアーズ戦 前

 鬱陶しい雨を携えた、梅雨の時期。

 例年、この時期の広島は順位を上に位置させている事が多い。

 しかし、今年は違った。


 開幕8連敗を含む6カード連続負け越し。

 6月初頭で借金10の単独最下位。


 主だった原因は幾つかある。

 まず、投手陣の圧倒的な不調。

 先発ではエースの桂坂が未だに1勝も挙げられず、5月には1度2軍に落ちている。

 そして、中継ぎ陣も悉く相手に逆転を許しゲーム終盤に逆転されて負ける。その繰り返し。


 かといって、打撃陣が良い感じかと言えばそうではない。

 なんと、現在チームトップの本塁打数は俺の3本。

 主砲で今季から4番に座った木藤が、開幕から調子が上がらず。更には雲母が開幕直後に怪我で離脱。

 それで本来2番の泳着が5番に下がる事に。

 必然――1、2番の出塁、進塁率が低下。

 昨季、5番を打っていたベルタースが退団した事もあり、スタメンの長打率は著しく落ちているのは、数字以上に明らかだ。


 端的に言ってしまえば。

 チームが最悪の状況なんだ。


 その最大の要因が。


 捕手が固定できない現状。これが大きい。

 守備を優先し鞍馬を起用すると、試合を決定づける様なチャンスの場面で鞍馬の打席が回り、流れが途絶える。

 かといって枝崎を起用すれば、投手が炎上しゲームが崩壊する。因みに枝崎はチームで唯一現行規定打席到達した中で、3割に達している。



「明日の交流戦開幕から先発マスクを、麻宮に被せる」


 監督が、交流戦前の合同ミーティングで言ったのはそんな時だった。


 3ヵ月前のあの会議の後、オープン戦で結果の出なかった麻宮は開幕メンバーの構想から外れた。しかし、それによって麻宮の中で何か確信があったらしい。


「右打ちに転向? 」

 荒金打撃コーチが、俺と麻宮にそんな困惑した声を出したのは、丁度その直後の頃だ。


「はい、元々が左打ちだった為、両打ちで調整していましたが、どうやら逆に右打ちの方が麻宮にとって合っている。と思うんです」

 俺の言葉を聴いて、荒金さんは「う~ん」と唸りながら首を捻った。


「左打ちから右打ちに転向は……聴いた事も無いからのぉ……

 いや、一応右目を悪くしたメジャーリーガーで一人居ったってのは、聴いとるけど……」


 今、俺と荒金さんが言っている『右打ち』『左打ち』『両打』というのは、打者が立つ打席の向きの事だ。

 向き合う投手側から見て、右のバッターボックスに立つ打者が『右打ち』逆に左のバッターボックスに立つ打者が『左打ち』となる。

 一般的に右投手には左打ちが。

 左投手には右打ちが手の角度などから、球が見えやすい為有利と言われている。

 それを有利性を利用するのが『両打ち』だ。

 投手に合わせて打席まで変えてしまう特殊な選手。しかしとて、その難度から日本のプロでも片手の数ほどしかその選手は存在しない。


 そして――荒金さんが何故左打ちの麻宮が右打ちに転向する事に困惑しているかと言うと。


 右打ちから左打ちに転向する打者は数多いが。

 左打ちから右打ちに転向する打者など皆無と言っていいからだ。


 それは、野球界に当たり前の様に浸透している『左打ちは右打ちより有利』という考えのせいだと言える。


 一塁へのスタートが早いとか。

 右投手が多いから優位をとりやすいとか。


 それが、トレンドになった時代が在り。

 そこから誕生した左打ちの名選手達のおかげでその神話は真実として成り立っている。


 が――だ。

 必ずしも俺はそれが全てだとは思わない。

 確かに、左打ちで成功した選手は数数えきれない程存在るだろう。


 しかし、中にはその中で右打ちの方が適応していた筈の者もいる筈だ。


「当たり前」という景色が。

「誠の真実」すら隠し「真実」という重い事実を創り上げてしまっている。


 しかし、そこを逆らい抗い逆走するという事は。

 失敗した時に、取り返しのつかないリスクを生む。

 それを重々承知して俺は、事前に麻宮に提案した。


「前町さん……

 是非、お願いします‼ 」

 その麻宮の真直ぐな瞳と、言葉で――俺も迷いを捨てた。


「……解った。

 監督にはわしから伝えとく。

 でも、トモ。結局シーズン中なのにお前にコーチ業をさす事になって……

 お前も、それで本当にええんか? 」

 その言葉に、麻宮が心配そうにこちらを向いた。


「コーチ業言っても、アドバイスするだけで1軍にいる間はそりゃ、広島にいるなら2軍練習場に顔を出しますが、ほとんどは動画とかで済ませますよ。

 心配いりません」

 それは、まるで自分自身に言っているようだった。


 そして……麻宮は。



「桂坂さん。今日よろしくお願いします」

 1軍の練習中、プロテクターに身を包んだ麻宮がそこには居た。


「2軍で、堂々の三冠王。しかも、打撃の調子が上がるにつれて、リードも冴えわたっておる。2軍はダントツの防御率トップ、更に首位独走」

 監督が俺の後ろで囁くように言う。

「1軍がその全く逆の流れというのはとても情けない事じゃが……さて……」



 俺は、振り向かずに少しだけ笑い、練習に戻った。


 ――そして、この時より我がウィードの快進撃が始まる。

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