第19話 終末期看護2
体温37.5℃、脈拍102、血圧102/48、酸素飽和度89%。肺雑音は水泡音(気管支などに貯留物があるときに聴こえる音)。両肺下葉は聴取が困難である。おそらく胸水が溜まっているのだろう。末梢(指先)の冷感も強く、軽いチアノーゼも出現し、顔面も蒼白だ。
これは早めに酸素と吸引が必要だと考えていたところに、扉をノックしてそのまま年配の女性が上がり込んできた。
女性は隆一さんに「おかえりなさい、大変だったわね」と一声かけると奥の息子さんの元へ行き抱きしめる。息子さんはその勢いにされるがままだ。
「もう大丈夫よ、辛かったわねぇ。」
親戚か何かだろうかと思っていたが、続けて物静かそうな年配の男性と看護師らしき若い女性が現れる。
「近藤医院の近藤です。君は看護師さん?」
まるで感情が読めないが、とても穏やかな声で僕に話かけてくる。
「はい、トータルケア訪問看護の築島です。」
「バイタルはとった?」
「はい、こちらです。」
僕のお世辞にも綺麗とは言えないメモを見て、同行した看護師に指示をだす。
「んー、酸素と吸引器持ってきてるよね。車から取ってきて。」
隆一さんに聴診器を当て、近藤先生も全身状態をチェックする。その間に医院の看護師が酸素と吸引器を運んでいる。
「とりあえず、2リットルカヌラで開始しようか。点滴はソルデム3A500用意して。訪看さん、吸引お願いしていいかな?」
先生たちが点滴の用意をしている間に吸引を行う。吸引に使う水などは台所にあったペットボトルを使わせてもらう。病院と違って家の中の物をなんでも利用する。
「藤川さん、ごめんなさいね。ちょっと痰を取らせてもらいますね。」
僕は鼻腔からチューブを挿入し、咽頭部に溜まった痰を多量に吸引する。やや水っぽい痰がズルズルと引かれてきた。
いままで「あぁ……」しか言わなかった藤川さんが言葉を発する。
「あぁ、たすかった……。ありがとう」
酸素も開始されたおかげか、蒼白だった顔色もだんだんと良くなってくる。点滴の用意ができたのか近藤先生が話しかけてくる。
「点滴をかけるフックのようなものはあるかな?」
在宅で点滴をする場合はカーテンレールにS字フックをかけたり、柱にネジ式のフックを刺したりして対応するが、部屋にはどれも見当たらなかった。代わりに針金のハンガーをみつける。
「先生、これを使いましょう。」
昔の和室では梁のような木材に引っ掛けれるような奥行きがあり、そこにハンガーをかけれる場合がある。点滴の袋を受け取り、鉤になってる部分に袋の穴を通せば、見た目はいまいちだが丁度いい高さに保持できる。
「おぉ、さすが訪看さんだ。こういうやりかたもあるんだな。じゃぁ、隆一さん、これから点滴するから、少しチクっとするよ。」
少しだけ得意げになりながら、近藤先生の点滴を見守る。慎重に捜しあてた右腕の血管に丁寧な手技で留置針を刺入する。注射器を接続し、留置と同時に採血も行う。
「とりあえずはこれでいいな。点滴は1日1本でいこうか。あまり入れても浮腫むだけだからね。」
「先生、経口からの摂取はどうしますか?」
「そうだねぇ。好きな物を制限なしでいいよ。訪看さん、息子さんに吸引と口腔ケアの仕方を指導してもらえるかな?」
「はい、承知しました。」
こちらの処置が終わったころ、契約などの手続きが終わったようだ。コタツで横になったままの奥さんを残して、こちらに移動してくる。
「オ、オヤジ!ほら!近藤先生が来てくれたぞ!」
「あぁ……、わかってるよ……」
「淳一くん。ちょっといいかな?」
先生が息子さんを手招きで台所へ呼ぶ。おそらく、これからの話だろうと僕と関さんも声が聞こえる場所に移動した。
「はっきりいって厳しい状況だよ。持っても1か月、場合によっては数日ともたない。」
「え!?て、点滴とかしてもですか?」
「点滴はね、ただの水分補給とおもったほうがいいよ。栄養は入ってないし、点滴をしてたからといって癌は治らないんだよ。苦しそうなら酸素をして、熱があれば熱冷ましの薬を使う。対症療法っていってね、病気を治すためじゃくて、苦痛を減らすための手段をとることしかできないんだよ。」
「そうなんですか……」
がっくりと、今にも崩れ落ちそうなくらいに肩を落とす。
「だから、最期の時間を大事に一緒に過ごしてあげなさい。」
近藤先生は声音も表情も変えることなく、穏やかに話していた。
「せ、先生。病院だと酸素とか吸引するのにお金がかかるって言われて……、やっぱり色々してもらったらお金かかるんですよね?」
「大丈夫よ。酸素も吸引器も医院の物だからお金はとらないし、支払いなんかいつでもいいのよ。だから安心しなさい。」
最初に息子さんを抱きしめていた年配の女性が、息子さんの頭を撫でながら優しく話す。吸引器は福祉用具レンタルで月数百円、酸素は月7000円ほどの自己負担が発生する。在宅はお金もかかる……。
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