第11話 在宅専門医院

「はぁぁぁ、緊張しましたぁ」


 グラスに注いだ冷たいお茶を飲み干して、田山さんが緊張の糸を緩ませるように口にする。


「お疲れ様。入浴は15時くらいに終わるから、あと2時間は休んでも大丈夫だよ」


 訪問看護では、ケアマネジャーの作成したケアプランや家族・利用者の都合に合わせた時間に訪問しなければならないため休憩時間は昼とは限らないし、下手をしたら全くないこともある。


「お腹空きませんか……?」


 田山さんが遠慮がちに訊いてくる。お腹が空いているのだろう。僕は昼を抜くのは慣れているが、遠慮して空腹のままでは可哀想だ。


「そうだね、何か食べようか。おごるよ」


「ホントですか!?」


 田山さんが目を輝かせる。先輩だもの……。ワリカンにはできないでしょ……泣。

 言った先から速攻でボタン押してるし!


 程なくして店員がやって来て注文をとる。田山さんが1番大きなハンバーグのご飯大盛を注文しているのにビビる。僕は夏野菜の冷製パスタを注文した。これではどちらが女子かわからない。


「田山さんって、新卒なんだよね?」


「はいっ!ピチピチの卒後3ヶ月ですよ!」


 ピチピチって……。大人しそうなのに、そういうキャラだったのか。


「精神科の看護に興味があるの?」


「え?どうしてですか?」


「いや、さっきの関わりかたを見てたら新卒で未経験者にはみえなかったから。偏見だけど、精神科の患者さんって怖いイメージがなかった?」


「そうかもしれないですね……。実習に行ったときも精神科には絶対勤めないって言う同級生が多かったです」


 田山さんは、苦笑いを浮かべながら話す。


「あたしの家族は、母と弟が精神科の患者です」


 偉そうに先輩風を吹かせて、心の傷をえぐるような真似を。僕は自分の発言を後悔する。


「あ、全然気にしないでください!あたしも気にしてないんで。病気でも母と弟ですから、それなりに楽しく暮らしてるので」


 僕の「申し訳ない事を訊いた」という考えが偏見であったのに気づいた。田山さんの明るく振る舞う態度に考えを改めさせられる。僕なんかよりずっとしっかりしている。


 田山さんが明るく家族の事を話す。内容は壮絶なものだった。弟がイジメにあい鬱病を発症し、弟に関わるうちに母親も精神を病んでしまったらしい。


「面白いんですよ!言葉1つで色んな反応があるんです。状態に合わせて接していくと、上手にコントロール出来るんです。向き合う事って大切だなって思います」


「そっか、田山さんは強いね。僕も田山さんから勉強させてもらおう」


「えぇ!?あたしからですかぁ?授業料とりますよっ!」


「取り敢えず、ハンバーグランチで入学金にしてください」


 安い入学金を払い、そろそろ入浴が終わったであろう小森さん宅まで移動する。

 家の前に入浴車が停まり、丁度片付けをしている最中であった。訪問入浴は準備する道具も多く、その道具はどれも重くて大きい。それをテキパキと準備して片付けるのだ。まるで映画に出てくる諜報員のように完璧な仕事をする。

 忙しく働く訪問入浴の看護師に声をかける。訪問入浴では看護師の付き添いが必須なのだ。


「いつもお世話になっております。トータルケア訪看の築島と田山です。入浴は変わりなかったですか?」


「こちらこそお世話になってます。特に変わりはありませんでした。褥瘡もできてないし、皮膚トラブルもありませんでしたよ。息子さんも喜んでらっしゃいました」


「そうですか。お疲れ様でした」


「あ、それと往診の先生がみえてます」


「わかりました。ありがとうございます」


 簡単に情報交換をして家へと入る。笑い声が聞こえ、誰が往診にきているのかがすぐに判ってしまった。


「お、訪看さん来たね。ん?新しい看護師さん?」


 チャラい。医者じゃなかったら、クリエイターかIT関係の仕事をしていそうだ。


「速水先生、お世話になっています。今日から新しく入った……」


「田山です。よろしくお願いします!」


「そっかそっか!よろしくね。いやぁ、よかったですよ!ね、息子さん!こうして訪看さんが点滴してくれるし、お風呂にも入れたし、何より息子さんの献身的な介護の努力があったからこそ褥瘡もできないし、ヤスさんはとても幸せですよ。こんなに綺麗な身体の寝たきりの人は、僕は見たことがない!素晴らしい!」


 とにかく褒める。褒めちぎる。

 この速水という医師は中野ファミリークリニックという往診専門医院の院長をしているのだが、歳は僕より3つ上の32歳であり、若くして開業したやり手だ。

 表裏なく正直な性格は、在宅で絶大な人気を誇るカリスマ医師である。


 なぜか帰らず息子さんと談笑している速水医師を尻目に、僕たちは僕たちの仕事をする。なんだか嫌な予感がする。


「そう、向かって臍の左側の皮膚を軽く持ち上げて針を刺して」


「こうですか?あれ?かたくてなかなか……」


「うん。皮下に留置針を刺す時は結構抵抗あるから、そのままグッと奥まで刺しても大丈夫」


「入りました」


「じゃ、内筒を抜いて点滴を繋げてみよう」


 田山さんに、用意した点滴のルートの先を渡して繋げてもらう。

 ロックコネクターの接続を確認しクレンメと呼ばれる調節用滑車を緩める。落下良好だ。

 刺入部に保護フィルムを貼り付けて固定する。


「どのくらいで入れるんですか?」


「500mlを24時間かけて落とすんだよ。hour《アワー》20mlの速度だね」


 1秒に一滴落とすと1時間で180mlの輸液量になるスタンダードセットと、1秒に一滴落とすと1時間で60mlの輸液量になる小児微量用の2種類の輸液セットがある。ヤスさんの場合は小児微量用であるため、3秒に一滴のスピードで落とす。

 点滴の調整が終わり、息子さんに挨拶をして帰ろうとする。なぜか帰らなかった速水医師も一緒に家を出る。


「ツッキー。今日さ、ブクロで呑まない?」


 やはり、僕たちが終わるのを待っていたらしく、家から出ると速水医師が声を掛けてきた。


「池袋ですか。ちょっと遠いですよ」


「いや、沼袋だよ」


「沼袋を池袋みたいに言わないでくださいっ!」


 沼袋は中野区の北側に位置する西武新宿線が通る地域だ。おそらくは、このくだりを狙っていたのだろう。


「アイリッシュパブができたからさ。行ってみたいんだよね」


「最近はお一人様歓迎の店が多いんですよ?」


「え?なにそれ?地味に断ろうとしてる?じゃぁ、ツッキーはいいから関さん誘ってよ」


 それが目的かよ。


 速水先生は関さんの事が好きらしく、頻回に呑み会に誘っている。すべて断っているようだが……。


「自分で誘ってくださいよー」


「ほら!田山さんの歓迎会もしなきゃでしょ!?タダ呑みだよ!ほら、田山さんも何か言って!」


「タダ呑みだったら、あたしも行きたいです!」


「ほら、ツッキー。君は可愛い後輩を見捨てるつもりか?」


 ドヤ顔で話す速水先生にイラっとするが、いつもこうなので仕方ないと諦める事にした。


「わかりました。一応誘いますけど、来なくても僕のせいにしないでくださいね」


「え?来なかったらツッキーのせいじゃん。そしたら、ツッキーだけワリカンだからな!」


「はいはい」


 イラっとしながら自転車に乗り、事務所へと向かう。関さんは戻っているだろうか……。


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