第12話 自分自身
コンッ!!
お洒落な丸テーブルに勢いよくグラスが置かれ、小気味いい音を出す。約束通り、関さんを誘って呑み会中だ。
「おい!ドクター速水!聞いてんのか!?」
「あ、はい」
面接を受ける新卒のようにピシッと背を伸ばし、速水先生が短く答える。
アイリッシュ音楽が心地いいくらいの音量で流れ、まるで異世界の酒場のような雰囲気があるのだが……。
隣にいる女性、関さんは居酒屋でオヤジに絡むOLそのものだ。
僕と田山さんは黙って見ている。正確に言うと知らないフリをしている。
「『あ、はい』って、ゆとりなの?あんたら在宅専門の医者がしっかりしてないから、笹森みたいなハゲが調子に乗ってるんだじぇ」
じぇ!?
「笹森?誰それ?」
さすがカリスマ!この雰囲気でも我を通す。
「なんだ。知らないのか……。じゃぁ、いいや」
散々に毒づいておいて「じゃぁ、いいや」と放置プレイを施行する。訳もわからず絡まれていた速水先生に少しだけ同情する。
「関さん。僕と、結婚を前提に付き合ってください」
唐突過ぎる告白、どこまでもマイペースである。前言は撤回だ。
「えぇー?なんでー?」
「一生懸命な貴女に惚れました!」
速水先生はいつにない真剣な表情で話す。
「ふぅーん……。でも、事務所あるしなぁ。忙しいしぃ?築島くんが常勤になってくれたら考えてもいいかなぁ?」
はぁ!?なんでこっちに矛先を向けるんだ!
「ツッキー!」
そんな真剣な顔で見ないでください。「えーっと、そのぉ」と、ハッキリしないでいると意外なところから燃料が投下される。
「結婚いいですよねぇ。あたしも、そんな風にアタックされてみたいなぁ」
田山さんがトロンとした目で遠くを見ながら呟く。
「ほら!ツッキー!」
「えーっと。この前も言いましたけど、今はまだバイトを続けないと暮らしていけないので……」
「なに?ツッキー、お金に困ってるの?借金とか?」
お金が必要だという話に全員が食い付いてきた。医療関係者は他人の家庭事情を知るのが好きなのだ。
「いえ、弟の学費を払わないといけないので……」
「へぇ、築島くんって弟さんいたんだぁ?」
3年もバイトしてて、関さんにも言った事がなかったようだ。
「普通の大学とか専門ってそんなに学費かかるもんなの?」
「私立の医学部なんで……」
「あぁ、そりゃ、かかるわね」
「すごいじゃないですかー!お医者さんになるんですか!?」
「今、6年生だから国試に受かれば来年には研修医になると思う」
「どのくらいかかるもんなの?」
関さんが興味津々で速水先生に訊く。
「僕も私立だったけど、親が払ったから知らないな」
「けっ!ボンボンがっ!で、いくら?」
「えーっと。6年で4000万位ですね。年間だと500万くらいです」
「「「たっか!」」」
弟は私立でも学費が高めの大学に通っている。訳のわからない親の会への寄付金も合わせれば5000万程になる。ただ、医学部系の大学では有名なので、僕が選んだ大学であるし仕方ないと思っている。
「ツッキーって年収いくら?」
普通は訊けないような事も、速水先生にとっては雑談のうちの1つだろう。ズケズケと訊いてくる。
「それ、普通言わないですよね!?」
「そうかい?因みに僕は年収3000万だよ。すごいだろ!」
自慢かよ!
「えぇー!?お医者さんってそんなに貰えるんですか?」
田山さんが目を輝かせながら割って入る。
「んー。普通の勤務医なら1500万くらいだし、美容整形とかなら2000万くらい?僕は開業だからそこそこって感じ。もっと貰ってる人もいるからね。弟くんが良ければさ、ウチのクリニックでお金出してもいいよ?卒業後にバイトでもしてくれれば返済もいらないよ?」
「速水先生、ありがとうございます。でも、あと少しなので自分で頑張ってみます」
オイシイ話だが、弟の就職先まで決める権利は僕にはない。あと少し頑張ればいいだけだ。
「そうか……。って、ダメじゃん!ツッキーが頑張ったら、僕が関さんと結婚できないじゃん!無償でいいからお金を貰ってくれ!」
このボンボンは幸せを金で買うつもりか!
「あんたクズねぇ……」
「クズですね……」
女性陣が蔑みの目で速水先生を見るが、見られている方はなんとも思ってないようだ。あなたの好きな人にも呆れられてますよ。
その後は女性陣の速水弄りが始まり、僕の年収については触れられる事もなく、ホッと胸を撫で下ろした。本業とバイト代で650万なのだが、もちろん言うつもりはない。関さんは知っていると思うが……。
歓迎会は深夜まで続き、午前1時前にお開きとなった。タクシー代まで速水先生に出して貰ったのは言うまでもない。
僕はタクシーを捕まえず、少しだけ歩く事にした。
とても方南までは歩けないため、途中でタクシーに乗るつもりではあるのだが……。
沼袋から野方方面へ少し歩くと、店もなくなり静かになる。昔は中野刑務所だったらしい平和の森公園という大きめの公園までやってきて空を見上げた。
雨も止んで晴れていた。
虫の声
公園を歩くカップルの話し声
酔っ払いの大きな声
隣を走っていく人の息遣い
ここならと思ったけど、田舎で見ていたような星は見えなかった。独りで苦笑いを浮かべ鼻を鳴らす。僕のやりたいことってなんだろうか?自分自身すら見えなくなっている
。
あと少し、あと少しだけ頑張ろう。誰かに話した事で少しだけ肩の荷が降りた気がしたのだ。
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