第3話 温度差
ゴンッ!!!
テーブルに勢いよく戻された空っぽのジョッキが、まるで、アニメか漫画のように料理の皿を浮かばせる。
「何にもわかってない!看護師だからって馬鹿にしないでよね!」
目の前の関操さんが声を荒げ、周りの客も何事かとこちらに注目する。
これでは僕が怒らせて、怒鳴られているみたいではないか。
呑み始めてわずか30分。ビールが注がれたジョッキを水のように煽り、3杯目が空になったところでの現状だ。
「ミサオサン。テーブルコワス。ダメネ。コノマエタイヘンダタ」
インド人が新しくビールが注がれたジョッキを持ってきて関さんの前に置く。
「この前、一体何が?」
「ミサオサン。ジョッキデテーブルコワシマシタ」
マジか!?酒乱かこの人は。
「何よスレシュ、なんか文句ある!?」
スレシュという名前らしいインド人を睨みつけ、新たなビールに手をつける。
「ナンデモアリ、マス、セン。ゴユックリ」
関さんの睨みに降参したのか、スレシュはそそくさとカウンターの方へと戻っていってしまった。
「何かあったんですか?」
今度は静かにジョッキをテーブルに戻して、関さんは深い溜息を吐く。
「はぁぁぁ。笹森のハゲオヤジ……」
それだけ聴いて理由がわかってしまった。笹森ハゲオヤジとは、事務所の近くにある笹森医院のドクターのことだ。確か2人ほど訪問看護指示書をもらっていたはずだ。2人しか患者を預かっていないが、横柄な態度で、いつも難癖をつけてくる曲者だ。
「また何か言われたんですか?」
「新規の依頼で行ったら、訪問看護なんて必要ない。お情けで患者を紹介してやってるんだなんて言うのよ。自分はミミズが這ったようないい加減な指示書しか出さないくせに偉そうに!あいつは看護師を虐めたいだけなのよ」
「それはまたハッキリと言われましたね」
訪問看護も医療の仕事だ。そして、やはり医療のピラミッドの頂点は医師なのだ。いくら目の前に訪問看護が必要な患者さんがいても、医師の許可がなければ訪問することができない。大抵の医師は訪問看護を理解しておらず、対応は冷たい。僕らは訪問するごとに報酬が貰えるが、指示を出す医師は違う。指示書を書くたびに貰える報酬は3000円。ハッキリ言って安い。例えば、精神科の患者さんが1人いたとしたら、その患者さんにありとあらゆるサービスを提供すれば、年間で500万から600万円の収入になると言われている。3000円ぽっちをもらって受診する機会を少なくしてしまったら医院にとっては大損害と思う医師も多いはずだ。
「
「はいぃ!」
「助けてよぉ」
「出来る限りは……」
「正社員になってよぉ」
「それは……、すぐには……」
誰かが言っていた。
「訪問看護は大変よ」「なんでも1人でやらないといけないみたいよ」
誰が言い始めたのだろう?看護師業界ではこれが当たり前だ。訪問看護は大変、ベテランしかできない。こんな文句が当たり前のように囁かれているのだ。だから、訪問看護師になろうという看護師は少ない。なのに最近では病院に長く入院させないで自宅で療養させるという考えが行政でも病院でも推し進められる。全くの矛盾なのだ。言ってしまえば病院に長くいさせて医療費で国の財政を圧迫させたくない行政と、入院3ヶ月を過ぎると医療費を請求できなくなる病院のせいだ。
実際、僕も訪問看護はアルバイトだけで留まっている。踏み出せないのだ。看護師という職業はとても安定している。失業はまずないし、今時ボーナスは5ヶ月分貰える職場が多い。
「訪問看護は……、やりがいがあります。僕は訪問看護が大好きです。患者さんや家族の本音が聞けて、サービスを提供した分の結果が見える。病院では経験できない仕事だと思います。やってみたいと思ってはいるんですけど、自分ではまだ力量不足かなっと思っていて……」
ふと顔を上げてみると関さんは真剣な目で僕を見つめていた。
「そっか、でも考えておいてね!誰でもいいって言う訳じゃなくて築島くんだから誘ったんだからね!ほら!もっと呑め呑め!しげるさーん!じゃんじゃん持ってきて!」
「うるせぇ!こっちは手が足りねぇんだ!黙って待ってろ!」
「はぁい。しげるさんが怒ったー」
泉谷しげる風だとは思ったが、まさか名前がしげるなのか……。
その後は他愛のない話をしつつ、深夜0時前にお開きとなった。
「大丈夫ですか?ちゃんと帰れます?」
「大丈夫、大丈夫!ウチ近いし。あ、なに?ひょっとして送るフリしてお姉さんの家に上がり込もうという魂胆か?」
「いえ、そんな気はないです」
「ぐ……。少しは恥ずかしがるとかしなさいよ。ちょっとだけ傷ついたぞ」
「あ、すみません」
「冗談よ!これだからゆとりはっ!明日もウチでバイトでしょ?よろしくね!」
「はい!誘っておいてご馳走になっちゃって、ありがとうございました!」
「気にしない気にしない。楽しかったわよ。それじゃ、またね!」
そう言って関さんはフラつきながら歩いっていった。
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