第26話 終末期看護 8

体温37.6℃、脈拍101回/分、血圧98/40mmHg、SAT93%、JCSジャパンコーマスケール二桁

四肢抹消にチアノーゼあり……

ハッキリ言ってよくない……


「隆一さん?聞こえますか?」


 僕は肩を叩き呼びかけるが隆一さんは薄っすらと眼を開けてマスクの中からくぐもった声で「うぅ」と唸り声をあげるのみだ。


「お、親父おやじ大丈夫なんですか?」


 淳一さんも不安そうにみている。

 今日は休みのため朝から訪問にまわっている。1軒目が藤川さんの訪問だった。昨日は訪問入浴もされていたが、数日前から微熱が続いており、バイタルサインは徐々に悪くなっていた。入浴できる=状態がいいというわけではない。この場合の入浴というのは最期の時を迎えるための入浴に他ならないのだ。


「正直、厳しい状態です」


 正直にそのままの感想をお話しした。

 訪問時にはSATは2リットルカヌラで80%台、すぐにマスクに変更したが93%から上昇もみられない。痰つまりもないためガス交換が出来ていないと考えられる。在宅酸素の機器では5リットルが限界の場合が多いが、病院などではそれを超えて投与することはできる。ただ、酸素を投与したからといって血中の酸素濃度が正常になることはない。隆一さんの場合は『呼吸性アシドーシス、CO2ナルコーシス』という症状と思われた。どういったものかというと、自分は大して呼吸をしていないのに、外部から酸素が多量に供給されると『あ、俺ってそんなに頑張らなくても酸素いっぱい入ってくるじゃん』と身体が認識して呼吸機能を弱くしていく。最悪は呼吸停止をきたす。よく診断書に書かれる呼吸不全という状態になる。数値が悪いからといって酸素を入れすぎると、かえって死期を早めることになる。

 自分の見解だが、隆一さんの身体は限界を迎えていると思えた。


「そんな……。昨日は風呂にも入ったのに……。親父おやじ!聞こえるか!起きろ!」


 淳一さんが懸命に声をかけるが反応は変わらない。僕はスマホを取り出し近藤先生へ連絡する。


『はい、近藤医院です』


「お世話になっております。トータルケア訪問看護の築島です」


『いつもお世話になっております。どのようなご用件でしょうか?』


「藤川さんの状態で先生へ報告したい事があるんですが」


『少々お待ち下さい。すぐにお繋ぎします』


 ほどなくして保留音が通話状態に切り替わる。


『はい、近藤です』


「トータルケアの築島です。藤川さんに訪問しているのですが、現在酸素2リットルマスクでSAT90%前半から上昇はみられない状態です。37度台の発熱、血圧は90台まで低下しており意識レベルはJCS二桁へ低下しています」


『そうですか。あまり良くないですね。午前の診察が終わり次第伺う旨をお伝えください。訪看さんは午後もいらっしゃいますよね?』


「はい、夕方になりますが訪問予定です」


『そうですか、ひょっとしたら今日あたり危ないかもしれませんので調整しておいてください』


「承知いたしました。よろしくお願いします」


 電話を切り淳一さんへ向き直る。


「近藤先生はお昼過ぎにいらっしゃいます。先程も言いましたが、厳しい状態だと思います。このまま数日保つこともありますが、今、急に呼吸が止まる可能性もあり、危険な状態です。もし、まだお会いしていない親戚の方がいたら声をかけたほうがいいかと思います」


 一瞬の沈黙の後、淳一さんは全てを諦めたように部屋の隅に置かれた椅子に座り込んでしまった。あしたのジョーの最後のような格好で……

 希望を持たせるような言葉は使えない。ただ、現状を伝え、最期に向き合ってもらわないといけない。この瞬間が看護師としてのターミナルケアの一番辛いところだ。







  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

ほーかん 〜クオリティ・オブ・ライフ〜 とっぴんぱらりのぷ〜 @toppinparari

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

フォローしてこの作品の続きを読もう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ