第17話 管理者って辛い……

「そのことに関してはこちらでは対応できないので、ケアマネジャーさんと連絡をとっていただいて、プランの変更を考えてもらってはいかがでしょうか?」


 今日何度目の電話だったか。ウチは訪問看護でよろず相談窓口じゃないっていうの。


「はい、それでは失礼します」


 電話を切ると、またすぐに鳴り出す。今度は利用者からだ。緊急かとドキドキしながら通話ボタンを押す。


「トータルケア訪看の関でございます」


『もしもし?鈴木大作の家のものですけど』


 状態は安定している利用者の家だ。声のトーンからして苦情か何かかもしれない。


「どうかされましたか?」


『あのね。書類がいっぱいあるんですけど、これはどこにサインするんですか!?8枚も置いて行って全然わからないじゃないの!どうなってるんですか!?』


 おかしい。ウチでは書類関係のサインはその場で一緒に確認してその日の内に回収するのを徹底している。


「奥様、その書類になんて書いてあるか読んでいただけますか?」


『なんとか契約書とか計画書とか書いてあるんだけど、全然わからないわ。ちゃんと教えてもらわないと困ります!』


 老夫婦の2人暮らしであり、妻にも軽い認知症状がでている家だ。多量の書類に混乱したのだろう。


「書類の1番下に会社の名前が書いていませんか?」


『あるわね。デイサービス高円寺って書いてあるわ』


 ウチの書類じゃないことにホッと胸を撫で下ろすと同時にいい加減な事をする事業所に腹がたった。おそらくは書類を渡すだけ渡して後から回収にくるつもりだったのだろう。


「奥様、そちらの書類は看護師の会社ではありませんよ」


『お宅じゃないの?でも、家の壁に緊急連絡先って紙が貼ってあるわよ。おかしいわね』


 どうやら緊急連絡先の番号にかければ全部対応してくれると思っているのだろう。他のサービスと区別がついていないようだ。


「では、私からデイサービス高円寺にお伝えして電話してもらうようにしますので、もう少々お待ちいただいてもよろしいですか?」


『あらそぉ?待っていればいいのね?』


「はい。それでは一旦失礼します」


 電話を切り、今度はデイサービスへと掛け直す。


『はい。デイサービス高円寺です』


「トータルケア訪看の関と申します。いつもお世話になっております」


『こちらこそお世話になっております』


「利用者の鈴木大作さんのご家族から電話がありまして、書類についてわからないことがあるとのことでした。対応していただいてもよろしいですか?」


『あー、そうなんですかー。私は担当じゃないんで、ちょっと待ってもらえますか?』


「伝えていただければ結構ですので……」


『わかりました。伝えておきますねー』


 ガチャ!っと電話を切られる。文句の1つでも言ってやりたいが、会社の評判に関わるから我慢だ。我慢。


「はぁ……。訪問だけしてたい」


 一念発起して訪問看護事業所を立ち上げたのは、看護師として患者さんだけではなく家族にも触れ合えることにやりがいを感じたからだ。

 実際に立ち上げて管理者をしてみると現実は違った。以前勤めていたステーションでも管理者の仕事は見ていたが、自分なら出来るという根拠のない自信があった。

 実際の管理者は書類やスケジュール調整に追われ、訪問中でもひっきりなしにかかる電話への対応でまともに訪問ができない。

 常勤の看護師がいれば仕事を割り振りできるけど、訪問看護の常勤になろうという看護師はなかなか見つからないのも業界の常識になっている。つい最近も人数不足で閉鎖した事業所があったっけ。


「戻りましたー」


 事務所の扉を開け、若い男性が入ってくる。バイトの築島くんだ。


「おかえりー」


「珍しいですね。関さんが事務所にいるなんて」


「今日は実績送らないといけないから」


 月末から月初は訪問実績をケアマネジャーに送るのと報告書と次月の計画書を主治医とケアマネジャーに送る仕事がある。

 医師の書く診断書や情報提供書と違って、送ってもお金になるわけではないが、送るのが訪問看護ステーションの義務であると法律で決まっている。これをちゃんとしていないと監査に引っかかり、最悪の場合は指定取り消しになってしまう。


「手伝いましょうか?今日は記録終わったんで」


「夜勤明けでしょ?休みたいんじゃない?」


 正直な気持ちとしては手伝って欲しい。めちゃくちゃ手伝って欲しい。でも、言えないよね……。


「明日は休みですし、家に帰るとうるさい妹がいるんで」


 苦笑いを浮かべてそんなことを言う青年にキュンとしてしまう。


「妹さん来てるんだー」


「そろそろ強制送還しようと思ってます。これファックスでいいんですよね?」


 築島くんがプリントアウトした実績票を手に取る。


「あ、うん。じゃぁ、お願いしよっかな?」


 さりげない気遣いにキュンキュンしてしまう。いかんいかん。私はバツイチで築島くんは歳下じゃないか。


「築島くんはさ……。彼女とかいるの?」


 聞いてしまった!35歳の私が6つも歳下の築島くんに何を言っているんだ!普通の会話じゃない。まるで恋する乙女のような聞き方だったはずだ。言ってしまって盛大に後悔する。


「いやぁ、もう何年も彼女いませんよ。弟が卒業するまでは考えてられないです」


 軽い感じで返されて少しのショックと、彼女がいないという情報に喜んでしまった自分がいた。ヤバイかも……。


「そ、そか」


 この状況ならお互いに恋に堕ちてもおかしくないだろ!少女漫画でみたよ!


「関さんはどうなんです?速水先生から猛アタック受けてたじゃないですかー」


 そこ突いてくる!?まるっきり脈なしじゃん!


「あ、まぁ、あんまり好きなタイプじゃないしね」


「そうなんですか?バリバリ働いてる2人はお似合いだなーと思ったんですけどね」


「バリバリなんて……。私は全然だよ……。仕事もできないし、こうして手伝ってもらわないと独りでどんどん腐っちゃうし」


 なんだか言ってるうちに哀しくなってきて涙が零れおちる。すぐに泣いてしまって弱い女だと思われたくない。見つからないように我慢しようとしても涙は溢れて鼻水まで出てくる。


「はい……」


 築島くんが無表情でティッシュを差し出してくる。私はそれを受け取って鼻をかむ。


「カッコ悪いよね。すぐ泣いちゃうし……、ゴメンね」


 築島くんはすぐに背を向けてファックスを送りはじめる。呆れられちゃったかな。


「別にカッコ悪くてもいいじゃないですか?訪問看護ってカッコ悪いですよね。雨の日は転ぶし、ヒィヒィ言いながら自転車漕いでると笑われるし、点滴なんかハンガーに吊るすし……。カッコ悪くても他の看護師ができない事をしてるってカッコいいじゃないですか」


 私よりも歳下でバイトなのに……。


「早く終わったら呑みにいきましょう」


 鼻水を啜りながら返事をする。


「うん……」


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