第20話 好きって勘違いですか?


「心中って、トモ。いきなり何を言ってんの? そんなの……」

「悪いが真昼、言わさせてもらうぞ」

 社長さんは野崎さんではなく僕の方を向いて話し始めた。

「俺はな、お前たち二人を見つけた時、始めはカップルが逢引する場所求めて入り込んだって思ったんだが……。お前たちは真面目そうだし、格好もどことなく薄汚れてて、追い詰められてる感じがした。それで普通じゃないと思って……死ぬ気なんだって確信した。近くに自殺の名所もあったしな」

「そうなんですか? 僕らは知らずに……社長さんの海の家にお邪魔しちゃって……」

「いや、構わねえよ。おかげでお前たちが心中せずに居られたんだからな。……ってか、やっぱ否定しねえんだな」

社長さんの話す内容は明らかに野崎さんを止めるためのもので、たぶん、いや間違いなく、社長さんは僕らの味方をしてくれていた。

 でも、だからこそ、僕の心の中は罪悪感でいっぱいだった。

「明確に、二人の間でその言葉が出たことはありませんでした。でも……お互い意識はしていました」

「そっか……」

 社長さんは大きく頷くと、柔らかい笑顔のままに僕の二の腕をポンポンと叩いた。

 それはまるで、安心しろとでも言ってくれているような、そんな暖かさに満ちていた。

「……社長さん……」

「ふざけないで。そんなの覚悟じゃない。ただの諦めよ」

 まだ野崎さんは納得していなかったのか、握りこぶしで机を軽く叩いて感情をあらわにする。

「貴方達二人は、ただ衝動のままに行動しただけ。恋愛っていう、一時的な熱に浮かされてね」

「マイ。だが俺はこの二人がそんな浅い感情でやらかしただけじゃないって思うんだが」

「どう見ても浅いでしょうがっ。一番最初に心中なんて最悪な方法選ぶなんて」

「一緒に死んでもいいってくらい相手の事を好きになるって感情。俺は少し理解でき……」

 ダンッ、と、先ほどよりなお大きな音が部屋に響いた。

 それをした野崎さんは、今までとは違って明確な殺意を瞳に宿していた。

「アンタがそれを言うかっ! アンタが一番それを言う権利なんてないっ!!」

 今にも掴みかかるのではないかというほどの剣幕で、野崎さんは社長さんを罵倒する。

 社長さんは、それに何を言い返すでもなく、体を揺らして何度か小さく頷くだけだ。

 きっと二人の間には何かが在ったのだろう。

 僕と真夜の間に在るような絆が。でもそれはきっと、何かの拍子で崩れてしまって。もう修復すら出来なくなってしまったのかもしれなかった。

「……とにかく、恋愛……違うわね。感情それ自体が脳の中の電気信号とかホルモンとかによる誤解とか認識ミスでしかないわ」

 野崎さんは軽くため息をつくと、全身から力を抜いて体重を椅子の背に預けた。彼女の瞳は、それこそ彼女の言葉みたいに諦めきった、もしくは冷め切ったものだった。

「真昼くん。貴方みたいな未来のある人間が、一時的な気の迷いで人生棒に振るとかあり得ないわよ」

「一時的な気の迷いじゃありません」

「気の迷いよ。貴方のその感情は、ちょっと好きだなぁとかいいなぁって思考が、たまたま受け入れて貰えたっていう満足感から弾みがついて止まれなくなっちゃっただけ」

「そんな感情じゃないです。僕の気持ちは、僕は……本気で真夜を愛してます」

「はっ」

 野崎さんは愛という言葉を聞いた瞬間、皮肉気な笑みを浮かべて吹き出してしまった。

「愛なんて……。そんなの簡単に言えるわよ。男なんて一回寝たら、コロッと変わって愛してるとか言い始めるわよ。……そうだ!」

 野崎さんは心底良い事を思いついたとでもいうかのように、パンッ、と両手を打ち鳴らすと、満面の笑みを浮かべながら前のめりになった。そして人差し指でシャツの首元を下げ、胸の谷間を僕に見せつける。

「ねえ、真昼くん。私とシない? 色々と気持ちいい事してあげるわよ?」

「…………」

 だが僕は、そんな野崎さんを冷めた目でしか見ていられなかった。

 そして気付く。きっと野崎さんは……。

「野崎さん。自分をわざと傷つける様な事はしない方がいいと思います」

 僕がそう言った途端、みるみる野崎さんの顔から表情が消えていった。それは本心を言い当てられて怒ったというよりは、完全に興味が失せたといった感じだった。

「あっそ。もういいわ、勝手にしなさい」

「……はい」

「マイ。このことは……」

「黙っとくに決まってるわよ。私は人を不幸にする趣味は無いの」

 それだけ言い残すと、野崎さんはふいっと部屋を出て行ってしまった。きっと、もうまともに話すこともなくなるに違いない。

 よくある義務的な挨拶をするだけのお隣さんにでもなるのだろう。

 僕らの秘密が知られれば知られるほど、こうして人は去っていくのだ。もしかしたら、社長さんの所からも、逃げなければならない日が来るかもしれない。

 でもこれが僕らの選んだ道なのだ。

 それが分かっていても、辛かった。

「あのな、マイも悪気があったわけじゃないんだ。ただアイツは色々おせっかいなだけで……」

「分かります。心配してくれてるってのは、感じましたから」

「すまんな」

 社長さんは寂しそうに謝ると、僕の前に置いてあったコップにジュースを注いでくれた。

 時間が経ち、ぬるくなったジュースは盛大に泡を吐き出し、まるでビールのように盛り上がる。

大人の人たちは、このやりきれない想いをごまかすために、お酒を飲むのかな、なんてくだらないことをふっと思ってしまった。

「……ありがとうございます」

 礼を言って、僕はコップを口に運んだ。

 僕たちの間には沈黙があり、気泡の弾ける音だけがせわしなく鳴き続けた。

「……なあ、真昼」

「はい……」

 社長さんがゆっくりと口を開く。彼の目は、もう空っぽになってしまった椅子を見つめていた。

「人を好きになるって難しいな」

「……はい」

 人を好きになる。それはとても簡単な事だと僕は思っていた。だって想うだけなら一方通行で、自分の中だけで完結する感情だから。

でも本当に好きな人が出来て、愛したい人が傍に居て。そして識(し)った。

 好きという感情は、周りも巻き込むんだと。

 相手が居て、通じ合って、その周りに影響を与え続ける。

 一人なんかじゃ終わらなくて、周り全ての人と複雑に絡み合ってしまう感情なんだって。

 僕は嫌というほど理解することになった。


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僕が生まれて初めて好きになった女の子は妹でした。それでも僕らは恋をしてしまいました 駆威命『かけい みこと』(元・駆逐ライフ @helpme

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