第11話 ご飯にする?お風呂にする?それとも……


 そうして僕らの暮らしは始まった。

 日中は僕が社長さんと共に働きに出て、真夜はたまにベビーシッターや簡単な手伝いなどの短いが女性ならではの仕事を回してもらっていた。

 僕達の生活は、少しずつ回り始めて行った。僕たちの夢想の中でしかなかった生活が、現実に形を成し始めていた。

「ただいま~」

 仕事に疲れた僕は、ゆっくり家のドアを開いた。

「おかえりなさい」

 そこには桜色のエプロンを身に着けた真夜が居り、いつも通りの笑顔で僕を出迎えてくれる。

 一度笑顔の理由を聞いたのだが、真夜は、はにかみながらお兄ちゃんが帰ってきてくれたのが嬉しいと言ってくれたのだ。本当に、僕は幸せ者だった。

「今日もお仕事お疲れ様」

「真夜も家の事をやってくれたんだよね、お疲れ様」

「そんな事ないよぉ。おに……」

 真夜は慌てて口元を手で押さえ、その単語が最後まで口から飛び出てしまう事を防いだ。

「早く入って」

「あ、うん」

 真夜は手を小さく胸の前で振って、扉を閉める様僕を急かす。真夜は、まだ僕の事を他人に聞かれてはいけない言葉を使って呼んでいた。

人前だときちんと名前で呼んでくれるのだけど、二人きりになるとまだ恥ずかしいらしい。

 扉が音を立てて閉まると同時に、真夜は僕に抱き着いて来た。

 そして僕の耳元で、

「大好き、お兄ちゃん」

 なんて甘い声で囁いてくれた。

「僕も大好きだよ、真夜」

 僕もお返しに真夜を抱きしめ返し、耳元に僕の想いをプレゼントする。

 真夜はくすぐったそうに笑うと少しだけ身を離し、

「えっとね…………んっ」

 何かを要求するように顔を上に向けて目を閉じた。

 これは俗に言う、お帰りなさいのキスってやつかな? こんなの嬉しすぎるって!

「……真夜」

 僕は真夜の両頬に軽くキスを落とし、最後は真夜の唇へ少し長めに口づけた。

 唇を離した後も僕らは軽く腕で抱き合ったままお互いを見つめ続ける。

「えっと、それで、さ……」

「う、うん」

 今それ以上の事をやったばかりだというのに、なんだか言葉を交わすのが気恥しく思えてうまく喋れない。それは真夜も同じらしく、視線を彷徨わせながら体をもじもじさせていた。

「お弁当、ありがとう。美味しかったよ、ホットサンド」

「そ、そかな。良かった」

「うん」

「あ、明日も頑張るね」

「あ、ありがとう。楽しみにしてるね」

 僕らは互いに離れがたくてぎこちなく会話を続けていたのだが、無神経にも僕のお腹がぐぅっと音を立てた。

「…………」

「…………」

 恥ずかしさのあまり僕の顔が熱くなって来る。間違いなく耳まで真っ赤になっているはずだ。

「えっと、い、今のはね」

「う、うん。早くご飯にするね……」

 ご飯を作るならば、当然僕らは離れなければならない。

 真夜は結び合わせた僕らの腕を、名残惜しそうに一瞥すると、ゆっくり僕から体を離した。

「きょ、今日はね、野崎さんから色々教えてもらった料理を試してるんだ」

「へー、どんなの?」

「薄切り肉のしょうが焼きだよ」

「あれ、そんなの買ってなかったよね?」

 我が家の家計はまだ火の車なので肉は鶏胸肉だけなはずだ。

 でも美味しいし栄養価も高いから文句ないけど。

「ちょっと凍りかけの状態にしたのを薄切りにしたんだよ」

「へ~、それって野崎さんが?」

「うん。凄いよね」

 一人暮らしが長かった野崎さんは、半額弁当以外にも色々な生活の知恵を持っていて、本当に色々な事を教えてくれた。

 この教えが無かったら、きっと僕らの生活費は一回りも二回りも多くかかっていたに違いない。

「あ、他にもいろんな節約レシピを教えてもらったから、頑張ってごちそうするね」

「それは楽しみだなぁ」

 僕がそう言うと、真夜は恥ずかしそうに俯いてエプロンの裾をいじった。

「じゃ、じゃあこれからお肉焼くから、お兄ちゃんはゆっくりしてて」

「僕にも何か手伝わせてよ」

 さすがに真夜にだけ料理をさせて僕はふんぞり返るなんて出来なかった。

 僕らは一緒に生活をするんだから、協力したいんだ。

 ……幼な妻な真夜を、近くで見ていたいとかやましいことはちょっぴりしか考えていない。

「えっと、ならお皿を並べて、サラダを盛り付けて貰える?」

「オッケー」

 料理を再開した真夜の姿を時折盗み見ながら、僕も自分に出来る事を始めたのだった。






 完成した料理がテーブルに並べられ、晩御飯の準備は完了した。

 ここ最近で真夜の料理の腕はどんどん上がっている。真夜が作ってくれたというだけで美味しい事が確定しているのに更に美味しくするとか真夜は天使を通り越して女神か何かじゃないだろうかと本気で思っている。

「美味しそうだなぁ、いっただっき……」

「待って」

 美味しそうなご飯を目の前にして食べさせないとか小悪魔かな?

「お兄ちゃん、いつも言ってるでしょ」

「なにが?」

「座る場所だよっ」

「ああ」

 それでようやく真夜が怒っている理由を理解した。

 この部屋は、あまり物がないため色々と不便な事がある。

 テーブルを囲んで食事をしようとしたとき、片方は壁に背中を預けられるのだが、もう片方は背もたれなしに食事をしなければならないのだ。

今回は真夜の食器を壁際に並べたのだが、それが真夜には不服だったらしい。

「お兄ちゃんはつかれて帰って来たんだからお兄ちゃんがこっちに座って」

「いやでも、僕はそんなに疲れてないから気にしないでいいよ。真夜が座って」

「気にしないならお兄ちゃんがこっちでもいいよね」

「それは気にする」

「ほらぁ、も~」

 互いに互いをいたわるが故に譲れない事もあるのだ。

 この言い合いは、毎日の様にたまによくある事だ。

 ……うん、僕の記憶が確かなら毎日してる気がする。

「……じゃあ、さ」

「う、うん、そうだね」

 そんな平行線な二人の解決方法は結局、互いに半分ずつ譲り合って終わるのだ。

 その解決方法とは……。

「んしょ」

「真夜、はみ出してるからもっとくっ付いて」

「こ、こうでいい?」

「おーけー、ばっちりだよ」

 二人が壁際に座る、というものだ。

 もちろん一人用テーブルの一辺に二人で座るのだからキツイしぎゅうぎゅう詰めだ。

 でもしあわ……じゃなくて仕方なくやらなきゃいけない。でないと真夜が納得しないからだ。

 決して二人が望んでやっているわけではない。あーホントしょうがないなー。

「そ、それじゃあ」

「うんっ、いただきますしよっ」

 僕らはお互いの体温を感じつつ、食事を始めたのだった。




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