第5話 事故紹介
「よし、嫌な予感がするから急いで運ぶぞ」
「はいっ」
その意見には僕も激しく同意したので、二人して急いで部屋へと向かった。
「真昼が先に入ってくれ。それで部屋の中で縦にして設置するから」
「分かりま……」
「や~ん、お肌ぷにぷに~」
部屋の中からは、やはりというか予想通りというか、野崎さんの歓喜の声が聞こえて来た。
「っ! 急ぎます」
「すまん」
野崎さんは女性なので真夜に身の危険があるわけではないが、寝ている真夜が勝手にお触りされてしまうのはさすがに兄としても恋人としても腹が立った。
「お肌もきめ細かいし、柔らかいわね~。髪の毛が長くて綺麗なのもポイント高いわ~」
僕の真夜が蹂躙されている声を背中に、僕は冷蔵庫を部屋に運び込んだ。
「うしっ、後は俺が……」
「ありがとうございますっ」
社長さんの了解が得られた瞬間、僕は身を翻すと真夜の元まで走って行き、真夜に色々ちょっかいをかけている野崎さんとベッドの隙間に強引に体をねじ込んだ。
というか、こんなに騒いでもまだ起きないのか、真夜……。お兄ちゃんは心配だよ。
「やめてください、野崎さん」
「おぉっと。真昼くん、おこ?」
僕の険悪な様子に、さすがの野崎さんも多少怯んだようで、先ほどまでの妖艶な雰囲気は成りを潜めている。
「当たり前じゃないですか!」
「あはは~、冗談のつもりだったんだけど……ごめんね」
「……はい」
「お詫びに私のおっぱい揉ませてあげるから」
「いりません!」
本当に反省してくれているのだろうか。
野崎さんはなんというか、色々と引っ掻き回すのが好きな性格みたいだった。
「あ、おっぱいといえばさ。ダメだよ~、きちんと彼女のおっぱい揉んで育ててあげないと。完全に板というか壁じゃない」
「ホントに余計なお世話です!」
真夜も結構気にしてるんだよ!
相談された事まであったんだから。
いや、僕は真夜の胸が好きなのであって、その胸が大きかろうと小さかろうと関係なしに真夜だから好きなんだけど。
「んにゃ……。なにぃ……?」
さすがに騒ぎ過ぎたのか、ようやく真夜が目を覚ました。
真夜は体を起こした後、寝ぼけまなこで周囲を見回すと野崎さんに目を止めて、
「おひいひゃん、このひとられ?」
なんて危険すぎる単語を口にしてしまった。
「お姫(ひい)さん?」
「ま、真夜―! 寝ぼけてないで~! ここは家じゃないからねぇ~!! さあ、早く起きようかぁ!!」
寝ぼけていて真夜のろれつがうまく回らなかったことに内心感謝しつつ、真夜の肩をつかんでがっくんがっくん前後に揺さぶった。
「あわわわ、何? 何? 地震!?」
真夜が揺さぶられてるんだよ。いいから早く完全に目を覚まして。
「真夜、起きた?」
「う、うん。……ちょっと気持ち悪い……」
「そりゃあ、あれだけ揺さぶられたらねぇ」
僕が揺すったせいで、貞子スタイルになってしまった髪を、手櫛で梳いて整えておく。
……うん、やっぱり可愛い。惚れ直すね、これは。
「ありがと、お………」
目が覚めた真夜は、今お兄ちゃんと呼ぶのが拙いことに気付き、ギリギリで踏みとどまってくれた。
不自然ではあるが、なんとか言葉として成立しているから問題はないだろう。
「それで真夜。こちら、このアパートの管理人をやってらっしゃる野崎麻衣さん」
「ども~」
「あっ! えと、それは……。す、すみません。私ったらこんな……」
真夜は大慌てで衣服を整えると、ベッドの上に正座をして三つ指をついた。
「ふ、不束者ですが、よろしくお願いします」
「あっはっはっ、真夜ちゃんって面白いね~。なんかそれだと私の所に御嫁にくるみたいだよ?」
「え? え? こ、こういうのテレビで見て、きちんとする時はこうなのかなって思ったんですけど……」
「きちんとしすぎだって。もっと軽くでいいの」
あなたは軽すぎですけどね。なんて心の中で突っ込んだら、
「お前はもっときちんとしろ。仮にも唯一の店子になる相手だぞ」
社長さんも同じことを思ったのか、そう忠告しながら部屋に入って来た。
どうやら冷蔵庫の設置は終わったらしい。何から何までしてもらって本当にいい人だ。
野崎さんとのやり取りから見ても、苦労人なのだろうなと察しが付いた。
「後とりあえず必要なのは……なんかあるか?」
「え~っと……」
僕は真夜と見つめ合って、視線だけでやり取りをした。真夜も僕と同じくこれで満足だったようで、目をぱちくりさせて軽く頷いた。
……可愛い。……じゃない。しっかりしろ、僕。
「えっと、大丈夫です。ありがとうございます」
「そっか。炊飯器とか電子レンジはいずれ知り合いの業者から譲ってもらえると思うが、それまではマイや俺んとこの使ってくれ」
「そんな。これ以上お世話になるのは……」
「お世話になっとけって。生活の基盤をしっかりさせる。一番最初にやらなきゃなんない事だからな。これが出来て初めて社会で生きていけるんだ。二人で一緒に暮らしたいんだろう?」
今社長さんに頼らなければ、僕らはまともに生きていく事さえできない。社長さんの言う事は正論過ぎて反論できなかった。
「…………はい」
「そんな顔すんなって。どうせ明後日からバリバリ働いてもらうつもりだからそこで返してくれればいいさ」
「ありがとうございます」
「ありがとうございますっ」
頭を下げた僕に続く様に、真夜も社長さんに頭を下げた。
野崎さんの時とは違い、社長さんには三つ指をついてもまだ足りないくらいだ。
「あ~なんだ、頭上げろって。社長が社員の面倒見るのは当たり前の事だろ。気にすんな」
「……はい、社長」
社長さんは僕達に感謝されて照れ臭いのか、気恥ずかしそうに頭を掻いていた。
そんな社長さんを、こういう場をかき回すのが大好きな野崎さんが弄り始めた。
「良かったね~トモ。今までは社員の居ない社長だったけど、初社員が出来て」
「いや、お前が居ただろ」
「私はビジネスパートナーでしょ。交渉とかどれだけやったげたと思ってんの」
「いや、まあ……それは感謝してるが」
なんだかんだ二人は良い関係の様だった。すぐに折れる社長さんが耐えているんじゃないかって見方もできるけど。
「あっ、そうだ」
「どうしたの真夜」
「お店とか聞かなきゃ。着替えも買わなきゃだし」
真夜の言う通り、僕達は着の身着のまま逃げて来たのだ。お金はATMの限度額まで卸してきたため、多少は余裕があるのだが、衣服の替えは持ち合わせていない。
昔テレビか何かで荷物は持たずにお金だけ持って逃げれば、帰ってくるかもしれないと思って探すのが遅れるなんて話を聞いた事があるのだ。
それに従って、僕らはお金だけを持って逃げ、実際こうして逃げる事に成功していた。
「あ~服か? それなら近くに安い店があったな。デザインとかどうでもいいならスーパーの……」
「あっ、それなら私が案内してあげるわよ」
「本当ですか?」
「うんうん」
野崎さんは笑顔で頷くと、
「着替えだから下着もよね……」
なんて何か不安になるようなことをつぶやいた。
「あ、あの~お店だけ教えていただければ後は僕達で……」
隣で真夜が同意をしめしたいのかうんうんと何度も頷いている。どうやら嫌な予感を覚えたのは真夜も一緒らしい。
でもそんな事で憶するような野崎さんでは無かった。
彼女はどこまでも自分の欲望に正直なのだ。
「女の子は女の子でしか分からない様な買い物があるでしょ。だから絶対私が必要なのよ」
「でも、ですね……」
「男の真昼くんが整理用品とか分かるの?」
「うっ」
男と違って、女性は必要とする物の数が格段に多い。僕や社長さんがそれら全てをカバーするのは不可能だろう。
選択肢は一つしかなかった。
激しく胸騒ぎのする選択肢だけれど。
「よ、よろしくお願いします」
「お願いされましたっと。じゃあ私は自分の部屋で待ってるから準備ができたら呼んでね」
そう言い残すと、野崎さんは嵐のように去っていった。
「何というか……凄い人ですね……」
「……ま、まあ、ああ見えていいやつではあるんだ」
僕の事いきなり性的に食べようとしましたけどね。
「それじゃあ俺はこれから仕事が入ってるから出なきゃならないが、真昼たちは自分たちの事をしておいてくれ」
「え、それは……。いえ、分かりました。お言葉に甘えます」
「分かってくれて嬉しいよ。そんじゃあな」
「ありがとうございましたっ」
兄妹二人でもう一度、社長さんの背中へ頭を下げたのだった。
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