第7話 服屋に天使が降臨しまして

 店内に入った僕らを出迎えてくれたのは、少々奇抜なデザインの服を身に纏い、物理的に不可能そうなポーズを取ったマネキンだった。

 店員のお婆さんは、店の奥に引っ込んでいて未だ姿を見ていない。

「おぉう……」

「ふわぁ……」

 マネキン迫力に、思わず圧倒される僕らをしり目に、野崎さんは平気でマネキンに近づくと、

「いや~、これって来るたびに変わってるから、実は密かな楽しみなのよねぇ」

 笑いながらスマホで撮影していた。

「あとで投稿しとこ」

 野崎さんはそう呟くと、スマホをポケットに突っ込んでから僕たちの方へ向き直った。

「それじゃ、買いましょうか。予算ってどのくらいなの?」

「あ、はい。僕が一万五千くらいで真夜が……」

「二万ちょっとくらいです」

 これが僕らの出せるギリギリのラインだ。これでも僕達二人の全財産の五分の一近くなのだから、相当奮発している方なのだ。

「ん~……ちょっと少ないけど……」

 野崎さんの視線に僕は無言で首を振った。

「よね。じゃあとりあえずの間に合わせを二着、人前に出て恥ずかしくないのを一つって感じに見繕いましょうか」

「はいっ」

 そんな僕らが真っ先に向かったコーナーは……。

「あ、ティーシャツ三枚で二千円だって」

「じゃあ二人で六枚買って四千円かぁ。むむむ……まだ肌寒いから半そでは辛いかも?」

「あ、だから安いんだね」

 処分品が置かれたワゴンの前だった。野崎さんの言う通り、確かにかなり安い。これなら予算をかなり下回る買い物ができそうだった。……のだが。

「ストーップ!」

 野崎さんから大きな声で制止されてしまった。

「待ちなさい。真昼くんは男の子だからまだいいとして。真夜ちゃん。貴女、おしゃれを捨てるって社会舐めてんの?」

「え……?」

 さっきティーシャツにパンイチだった人が言っても説得力ないと思います。とは口が裂けても言えない雰囲気だった。

 元グラビアアイドルとしての矜持が許さないのだろう。

「人生舐めてんの? 女の子はどんな時だってお洒落をわすれちゃダメなの! 真昼くんに捨てられてもいいの!?」

「いえ、絶対捨てませんけど」

 僕の抗議は軽く無視して野崎さんの主張は続く。

「予算とかいろんな問題があるかもしれないわ。でもね、道端の雑草だって花を咲かせるのよ。どんな時でも女の子は綺麗にしなきゃいけないの。例えバラの大輪になれなくたって、野の花には野の花の咲き方が、プライドがあるのよ! それを忘れないで!」

「…………」

 叱られた真夜は、沈痛な面持ちで俯き、下唇を噛み締めている。

 僕には真夜の苦悩が痛いほど感じられた。

 そうだ、僕は真夜に無理をさせているんだ。本当だったら家にかわいい服なんかもあって、裕福とまではいかなくても、多少のお洒落を楽しむくらいの生活は出来ていたのだ。

 真夜が捨てたくなくても捨てざるを得なかったのだ。

「ま、真夜……」

 ごめん、僕がそう謝ろうとした矢先。

「野崎さん!」

 真夜が勢いよく顔をあげると、つかつかと野崎さんへ向けて歩を進めていく。

 まさかとは思うけど、真夜……?

「け、喧嘩は……」

「私が間違ってました! そうでした、いつだってお洒落は忘れちゃだめなんですよね!」

 僕の心配は空振りに終わった。

いや良かったけどさ。なんか真夜に変な火がついちゃったみたいだ。

「その通りよ真夜ちゃん! その時点で最高の真夜ちゃんを真昼くんに見せつけるのよ!」

「はいっ、師匠!」

 その後僕は、世の男性が経験する退屈な時間を味わう事となったのだった。






「ま~昼くんっ」

 空いた時間を利用して教えてもらった業務用スーパーで食材を買い込み、それでもなお余った時間を店先で空を眺めて潰していた僕だったが、野崎さんの声でようやく解放された。

 ため息をつきながらお店のドアの方へと振り返り、

「終わった……ん……で……」

 ――天使が、居た。

 上は長そでのティーシャツに、わざと大きめのサイズのカーディガンを羽織り、腕のところをリボンで止めてコケティッシュな愛らしさを強調している。

 下は少し短めのチェックのスカートからすらりと伸びた足の先に、愛らしいワンポイントの付いたソックスで固めていた。

 真夜は照れ臭いのか、野崎さんの背後に少しだけ身を隠している。だが真夜の可愛さはそんな事で薄れるはずもなく、野崎さんなんて貫通して僕の目を潰さんばかりの勢いで暴れ回った。

 今までの暇な時間など、この最上級の光景を堪能するために神様が用意したスパイスかだったと思えるほどだ。

「どう? どう?」

「か、感想とか、聞きたいかな……」

 最高だ。そう言いたいのに、あまりの衝撃を受けたせいか、僕の口は意思に反して動こうとしない。足も、腕も、何もかもが僕の言う事を聞きはしなかった。

 ただ、視線だけは真夜をがっちりとロックオンしているのだが。

「あ、あの……ダメなの……かな?」

 ふにゃん、と真夜の顔が悲し気に歪む。それを見て、ようやく僕の金縛りはとけた。

「ダメじゃない! もう言葉が出なくて……。ああもう、なんて褒めればいいのか分からないよ。とにかく最高に可愛い。ただひたすらに可愛いよ」

 僕は自分の語彙があまりに少ないことを後悔した。この真夜の可愛さは、そんじょそこらの誉め言葉なんて使おうものなら、言葉の方が見劣りしてしまうくらいだった。

「……そ、そうなんだ」

 真夜は心底安心したかのように、大きな吐息をひとつ吐き出すと、嬉しそうに微笑んだ。

 それがまたまぶしくて、僕の頬は意図せず緩んでいった。

「ねえねえ真昼くん。これコーディネートしたの私なんだけど、なんかない」

「ありがとうございますこのご恩は一生忘れません」

「本気過ぎて怖いんだけどっ」

 そりゃあ本気ですから。

 このお礼は可愛い真夜が見られたからというだけではない。真夜は僕のために着飾ろうと思ってくれている。それを僕に教えてくれた事への感謝もあるのだ。

「まあいいや、それじゃあ帰ろっか。真昼くんもゆっくり真夜ちゃんのこと視姦したいでしょ」

「はい、それはもう」

「そこは建て前でも否定しようよぉ」

 僕は今ブレーキが壊れてしまっているので、どこまでも自分に正直になってしまっているのだ。いくら真夜が恥ずかしがろうと止まれないのだ。

「あ、そうだ。真夜、僕が荷物を持つよ」

 僕は食料などの入った袋を左手に集めると、空いた右手を差し出した。

 真夜は服の入ったと思しき灰色のビニール袋を手に提げていたのだが、僕がそう言った途端、急にビクリと体を震わせ妙な反応をする。

「い、いいよ。そんなに荷物があるのに、更に持ってもらうなんて悪いから」

「たくさんあるから今更一つくらい増えたって気にしないって」

「こ、これは軽い物だし、私の物なんだから私が持つ」

「女の子に荷物を持たせたくない。というか、カッコつけたいだけだから」

「そ、それでもなの!」

 何故か嫌に真夜は荷物を自分で運ぶことにこだわっていた。今や袋を手で下げるのではなく、決して取られないようにと抱きかかえてしまっていた。

 そんな真夜の横で、野崎さんは意味ありげにニヤニヤと笑っている。

「野崎さんは何か知っているんですか?」

「ま~ね~。多分、私のプレゼントのせいよね」

 プレゼント、と野崎さんが言ったところで再び真夜の背筋が跳ねた。

 どうやらそれで間違いない様だ。

「あ、プレゼントしてくださったんですか? それはありがとうございます」

「うんうん。お礼を言うのは良い事なんだけどね、真昼くんはもっともっと真剣に私にお礼を言うべきだと思うよ。もうひれ伏して拝んで崇め奉ってもいいと思うよ」

「……なんでそこまでしなきゃなんないんですか?」

「それはプレゼントが…………」

「キャー! キャー! いい言わないでください野崎さんっ!!」

 真夜は大声をあげながら、野崎さんの口を塞ごうと飛び掛かったのだが、野崎さんは謎の身のこなしでのらりくらりと、笑いながら真夜の突進をかわしていった。

「うふふふ、真夜ちゃんかなり真剣に質問して……」

「だめーっ!! やめてください~っ!!」

「練習もして……」

「ダメ―っ! 嘘っ!! 嘘だからねっ! というか耳塞いでぇーっ!!」

 真夜の顔は耳まで真っ赤だった。よほど恥ずかしいことなのだろうが、何か僕は期待をしていてもいいのかもしれない。そんな事を感じさせる流れであった。

「……分かったよ。いつか見せてもらう時を楽しみにしてるからね」

「その時になったら私に感謝しなさいよ~」

「無理無理無理ぃっ! 絶っ対に無理だからっ!! 絶対着ないのぉ~っ!」

 着る物なんだ。

 僕は期待に胸を躍らせながら、帰路へとついたのだった。

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