第2話 赤い唇
「えっと……どうしよう」
目を回してしまった真夜をこのままにしておくわけにもいかないので、僕は辺りを見回し……。
「これしかないかなぁ……」
ベッドが目にとまった。
突然やって来た僕らに合わせて社長さんが用意してくれた、な訳はないため、おそらく置きっぱなしになっていたものに違いない。
ほこりまみれの可能性は高かった。
「真夜、ちょっと待っててね」
意識のない真夜に一言断ると、僕は部屋を横切り道路に面している窓を開け放った。
窓はガタガタキィキィと多少抗議の声を上げたものの、さしたる問題もなく開いてくれた。
「布団布団」
窓から吹き込んだ風が大量のほこりが舞い上げる中、僕は呼吸を止めて移動するとベッドに敷かれたままの布団を持ち、取って返した。
僕は敷布団を足元に置くと、掛け布団の端を握りしめ、窓の外でしっかり振るってほこりを落とす。その次は敷き布団を同じように綺麗にすると、急いで窓を閉めた。
ふと、床で眠る真夜に目が行く。
真夜の呼吸は規則正しいものになっている。羞恥心で目を回したというよりは、逃げる際の疲労で倒れてしまった可能性の方が正しいのかもしれなかった。
「ごめん、真夜。無理させちゃったんだな」
謝罪をしても真夜が休まるわけではない。
僕は急いで布団を敷き直すと、真夜の元まで戻った。
まあ、部屋が狭いから一歩で事足りるんだけどね。
「真夜、起きてる?」
一応耳元で囁いてみたが、真夜が目を覚ます気配はない。
昔っから一度寝るとなかなか起きなかったけど、それは今も変わらないらしい。
「……寝てる間だったら何でもできそ……いやいや、何を考えてるんだ僕は。ダメだってそんな事しちゃ」
したいけど。
今まで我慢してきた分、それを取り戻す勢いでいろんなことを滅茶苦茶したいけど。
さすがに意識のない女の子にイタズラするだなんて最低すぎる。もしかしたら真夜は許してくれるかもしれないけど。
「ちょっとごめんな……っと」
僕は一言断ると、真夜の背中と足の膝裏に手を回し、真夜を抱き上げた。
いわゆるお姫様抱っこというやつである。
首がガクッと後ろに下がってしまわないように、真夜の上体を起こし気味にすると、ゆっくりと慎重に布団の上に移動させた。
「真夜……ずいぶん軽いんだな」
家を出てから丸二日、お金を節約するためにあまり食べてはいないのだが。きっとそれが無くても真夜はとても軽かったはずだ。
「真夜……」
僕は真夜の枕元に腰を下ろすと、かすかな寝息を立てて眠る真夜の頭を、ゆっくりと撫でる。
何度も何度も。そうすれば真夜の苦労に報いる事が出来るとでもいうかのように。
「……ん……」
真夜は夢の中で幸せな思いをしているのだろうか。寝ているというのに無邪気な笑みをこぼしている。
僕はそんな真夜の笑みに、思わず見惚れてしまった。
長いまつ毛、筋の通った鼻、形のいい小さく薄い唇。そのどれもがとても愛らしい。
もちろん、それは僕の欲目ではない。真夜は僕が知っているだけで実に六回は告白されていた。
顔かたちが愛らしく、性格も純粋で優しいとなれば、男たちが放って置かないのも納得できる。僕もその一人だったわけだし。
ただ、真夜は結局告白してきた男たちを全員振り、僕を選んでくれた。
何か特別な事があった記憶もない。それに本当は許されるはずもない恋なのに、それでも僕を選んでくれたのだ。
「真夜、大好きだよ」
寝ていて気付かないと分かっているからこそできる告白。
僕の想いを一方的にぶつけるだけの行為は、きっと意味などない。それでも僕は、
「大好きだ。世界で一番大事だよ。何があっても愛し続けるから……」
僕の中にある想いを言葉に変えて、囁き続けた。
どれだけ言葉を重ねても、きっとこの想いが全て届くことはない。無限に胸の内から沸き上がり、この体を焦がし続ける想いが治まることなど絶対にありえないから。
「だから、ずっと、一生僕と一緒に居てくれ。幸せにするなんて言えない。父さんや母さんを捨てたっていう不幸を、真夜に背負わせてしまっているから。でも、その傷が痛まないように頑張るから。ずっと代わりになる何かを真夜にあげ続けるから……。約束するから」
真夜の一生を僕にください。
「…………なんて、ね」
現実はそんなにうまくいかない。もしかしたら僕らが兄妹だとバレる事があるかもしれない。父さんたちが探しに来るかもしれない。そうじゃなくても、生活がうまく行かずに野垂れ死にする可能性だってあるのだ。
僕たちの生活は、綱渡りのように細い細い糸を歩いて行かねばならないのだ。
「それでも僕は真夜が好きなんだ……。真夜に好きって言えずに生きていく事は考えられないんだ……。ダメだって分かっているのに……不幸にするって分かっているのに……」
矛盾する想いと現実が僕を苛み、僕らを引き裂こうとする。
僕は息苦しくなって胸を掻きむしる。どうしようもない感情が僕の中で出口を求めて渦巻いていた。
「ねえ、真夜。真夜はいったいどんな想いで僕についてきてくれたのかな? 僕を、僕の事を……真夜の人生を差し出しても求めてくれてたのかな……」
真夜は何の反応も返してくれなかった。当たり前だ、寝ているのだから。
真夜が寝ていると知っていたから聞けたことだ。
今真夜は僕の傍に居てくれる。それが答えなんだと分かっていても、直接聞くのは怖かったから。
まあ、以前はそれでやらかしてしまったので今回も、なんて思いが無かったわけでは無いけど。
僕はいつの間にか止まっていた手を出来る限りの想いを籠めてゆっくり動かし、真夜の髪の感触を楽しむように頭を撫でた。
「真夜……」
僕の視線は真夜の愛らしい唇で止まった。
寝ている女の子にそんな事しちゃダメだ。そう頭でわかっていても、僕は目を離せなかった。
「真夜……好きだよ……」
僕の体は意思に反して動き、花に惹かれるミツバチのようにふらふらと真夜へ顔を近づけて行って……。
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