家族の団欒、その裏側で
ピーッという電子音が鳴って、ご飯が炊けたことを炊飯器が知らせてくれる。
「それじゃ、ご飯出来たから真夜呼んできて。お父さんももうすぐ帰ってくる時間だし、ちょうどいいわ」
「……ん」
僕は軽く頷くと、真夜の部屋に向かって歩き始めた。
廊下を進み、階段を上がって真夜の部屋の前に来る。
ドアには女の子らしく、猫や犬の形をした飾りが散りばめられてあった。
そのドアを、僕は緊張しながらノックする。
「なに?」
すぐさま真夜の声が返って来た。
「……あの、さ。ご飯できたよ」
「う、うん」
僕だとわかると、途端に真夜の声もぎこちなくなってしまう。
こんな調子で両親を前にして普通を演じられるのか、僕は心配でならなかった。
「落ち着いたら、下りてきて」
「……分かった」
僕は真夜に約束を取り付けてから降りて行った。
結局、一番最後に食卓に着いたのは真夜だった。
家族四人で囲む食卓は、いつも以上に騒がしかった。
「今日はねぇ、真昼がたくさん手伝ってくれたのよ」
「いや、いいよ。いちいち言わなくて……」
「おっ、なんだ恥ずかしいのか?」
「違うって」
母さんの言葉に僕の正面に座る父さんが満面の笑みを浮かべる。どうやら息子の料理が食べられて嬉しいみたいだった。
これが目に入れても痛くないほど溺愛している真夜のだったら、父さんはショック死するんじゃないだろうか。
「まあ、ちょっと具が不揃いだけどねぇ」
「……初心者なんだから良いだろ」
僕は照れ臭さを押し隠すために、わざとぶっきら棒に会話を切り上げ、無理やりおかずを口に押し込んでいく。
だというのに母さんの口は止まらなかった。
……ちょっとは空気を読んでくれよ。
「おみそ汁と鮭は私で、筑前煮はほとんど真昼作だから味わって食べてね」
「へ~……でも味はいつもの母さんのとあまり変わらんなぁ」
「あら、じゃあおふくろの味を覚えててくれたのかしら」
「…………」
そんな騒がしい家族の団らんの中で、ただ一人一言も発していないのが真夜だった。
真夜は母さんの言葉を聞いてから筑前煮をじっと見つめていた。
「ほら、真夜も食べてみなさいよ。感想言ってあげて」
「……う、うん。わ、わかった」
真夜は不自然な作り笑顔でそう返すと、傍から見ても明らかに分かるぎこちない動作で人参をつまみ上げ、パクリと口に含んだ。
僕は真夜の一挙手一投足から目が離せず、口の中に入った大量のおかずを咀嚼するのも忘れ、真夜の反応をじっと待っていた。
「……。お、美味しいんじゃないかな」
「ん……」
正直、僕は顔から火が出るかと思うくらい恥ずかしかった。
僕が作った料理を、真夜が食べている。何か背徳的な支配欲とか、父性とか母性とか、とにかくよく分からない様々な感情が僕の中で渦巻いていて、少しでも顔の筋肉に刺激があれば、それら全てが吹き出してしまいそうな気がして、まともに返事すらすることが出来なかった。
「……あんた達、喧嘩でもしたの? なんか変じゃない?」
母親としての勘とでも言うのだろうか。子どもの変化に母さんは鋭かった。
「ごふっ! おふっ!」
思わず僕は咳き込んでしまう。
口の中に入っていたものが少し、飛び散ってしまった。
「あらあら、大丈夫?」
「ごめっ……んんっ! ちょっと……口に、詰め込み……んんんっ」
未だ軽く咳を続ける僕の横合いから、ティッシュの箱が差し出された。
差し出したのはもちろん……。
「はい、お兄ちゃん使って」
真夜だった。
「……ありがとう」
真夜は僕がせき込み始めるのと同時に席を立ち、ぐるっと机を迂回してティッシュの箱を取っていたのだった。
真夜は僕がティッシュを一枚取ったことを確認すると、今度は自分が数枚ティッシュを取って掃除を始めた。
飛び散ったカスを一つ一つつまむようにしてふき取ってくれる。その顔に嫌悪の色は一切なかった。
「お父さん、お皿上げてくれる? 裏についちゃってるから」
「おお、ありがとうな」
真夜のおかげで、あっという間にテーブルは元通り綺麗な状態に戻った。
「……ごめん、ありがと」
「ううん」
例を言う僕に、今度はすっと真夜の手が差し出される。どうやら使ったティッシュを渡してくれ、という事らしい。
「ありがとう」
僕は戸惑いながらも汚れた部分を内側に丸めて手渡す。
真夜は嫌な顔一つせずそれを受け取ると、全てを片付けてから自分の席に座った。
「迷惑かけてごめん」
「ん~ん」
僕は改めて謝ったのだが、真夜は何でもないという風に首を横に振ると食事を再開した。
「……その調子だと喧嘩はしてないみたいね」
「ん。さっきまで寝てたから、ちょっとぼ~っとしてたの」
「あまり寝すぎると夜眠れなくなるわよ」
「分かってるけど大丈夫だよ。私寝つき良いし」
「それはそうね」
僕は真夜と母さんとの会話を何とは無しに聞いていた。一応、僕らがそういう関係になってしまったという事に気付いたわけではなさそうだ。
ただ、僕らが少し固かったのを変に感じただけなのだろう。
僕は心の中でやれやれと冷や汗を拭うと、再び食事を口に運び始めた。
食事が終わった僕は、そのまま自室に逃げ込んでいた。
そのまま床に直接寝っ転がると、ただ天井を見つめて時間を潰していた。
どれくらい時間が経っただろうか。時間の感覚が麻痺してきた頃、部屋のドアがコンコンと音を立てた。
「なに?」
少しの間を置いて、控えめな真夜の声が聞こえて来た。
「あの、ね。次お風呂どうぞ」
「あ、う、うん」
僕の姿が扉の向こうに居る真夜に見えているはずもないのに、僕は慌てて起き上がり、姿勢を正してしまった。
僕は真夜を意識しすぎていた。
気にしないようにと思っても、ついつい体が反応してしまっていた。
僕は胸を押さえ、落ち着く様にと命じながら深呼吸する。
大丈夫大丈夫と呪文のように何度も唱えたら、少しだけ落ち着いた気がした。
「……あのっ」
「な、なにっ!?」
……訂正しよう。全然落ち着けていなかった。むしろ不意打ちされたわけでもないのに更に酷くなっていた。
「あのね、お兄ちゃん」
「うん」
「お料理、美味しかったよ。私の……すっ好きな、味……だった、から」
「…………」
僕の心臓に、爆弾が放り込まれた気がした。体温が急激に上がり、風呂に入ったわけでもないのに汗が噴き出してくる。
鏡を見たわけではないので分からないが、きっと全身茹蛸のように真っ赤だろう。
真夜の言葉はそれだけ僕に影響を与えていた。
「そっ、それだけだからっ」
パタパタッ、バタンッと音がして、それ以降は完全な静寂が訪れる。
しばらくの後、僕の体はゆっくりと重力に負けて傾いでいき、ドタンッと大きな音を立てて背中と床が再び感動の再会を果たした。
「……反則だろ、それ……」
僕が起き上がれるようになるまで、長い時間がかかる気がした。
こうして僕らは付き合い始めた。
時には一緒に登校したり、時間をずらして外で待ち合わせをして、隣町までデートをしに行った。
細心の注意を払って僕らは僕らの関係を隠し続け、苦労して今まで通り普通の兄妹を演じ続けた。
このまま一年間隠し通せる。僕らはそう思っていた。
でも、現実はそう甘くなかったんだ。
だから僕らは逃げる事にした。全てを捨てて、たった二人で未来に向かって。
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